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悪魔に勝利する教会 (ヨハネ黙示録12:1~18)

メッセージ

2016年5月8日富里キリスト教会

「悪魔に勝利する教会」
(ヨハネの黙示録12:1~18)

今朝は、この黙示録の12章の「女と竜の戦い」についてみてみたいと思います。12章は三つの部分から成っています。12:1~6までが、キリスト誕生に際しての「女と竜(=教会と悪魔)」の戦いです。そして12:7~12までが、天上でのサタンと天使の戦いで、サタンが敗北して地上に投げ落とされたという箇所です。そして最後が、12:13~18までですが、地上でのサタンと教会の戦いです。それは現在も続いています。

1.女の産みの苦しみ(キリスト誕生)

「また天に大きなしるしが現われた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現われた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには7つの頭と10本の角があって、その頭に7つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の目に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が1260日の間養われるように、神の用意された場所があった。」(12:1~6)

この女は、アブラハムの信仰の民と教会を含む霊的なイスラエル全体を表しています。イスラエルの民は、やがて来られるメシアなるキリストの誕生を待ち望んでいました。女性は子供を産む時には、本当に死ぬような思いで苦しんで出産します。この太陽を身にまとった女も「子を産む痛みと苦しみのために叫んでいた。」とあります。本当に叫び声をあげたくなるほどの苦しみと痛みです。でもそういう苦しむことなしには、新しい命の誕生はありません。母の偉大な所は、やはり新しい命を産み出すために、自分の命をかけるほどの苦しみを経て産んでくれたということです。苦しむことなしには新しい命の誕生はないのです。

ところがもう一つの幻である赤い大きな竜が現われました。これは12:9では「巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンと呼ばれるもの、全人類を惑わすもの」と記されています。御子イエスの誕生当時に置き換えるならば、この赤い竜は、あのベツレヘムの村の二歳以下の赤ん坊をことごとく殺した悪名高いヘロデ大王のことを指しているのではないでしょうか。この悪魔は、御子が生まれるや否やその子を食べてしまおうと待ち構えていました。しかし、三人の博士たちは、別な道を通って行って、王様には御子の誕生は知らされませんでした。それを聞いたヘロデは、地団太踏んで悔しがり怒り、自己保身のために、罪もない村の子供を皆殺しにしたのです。まさに、悪魔の恐ろしい行為です。

この子は鉄の杖で、すべての国民を治めることになります。(詩編2:9)そして、黙示録にはキリストの働きはあまり書いてはありませんが、天上での神の子羊として表されています。キリストは、十字架と復活によって救いの業を成し遂げられて、天に帰って行かれ、神の右の座につかれて今もすべてのものを御支配されておられます。その働きは、神の子羊としての罪の贖いの業でした。ヨハネの黙示録のキリストは、天上での贖いの業を成し遂げた神の子羊として描かれています。

そして子を産んだ女は、荒野へと逃げて行きます。そこは何もない場所ですが、ただ神の御言葉によってしか養われない場所です。一見何もなく、寂しい場所ですが、そうであるがゆえにこそ、この世のいろんな誘惑にさらされることなく、ひたすら神の御言葉によって養われて行く信仰の訓練の場でもあるのです。そこが教会という女の逃れ場なのです。

わたしたちも最初は信仰に入る時、クリスチャン生活が少し堅苦しく不自由な感じを持つかもしれません。でも長い時間をかけて、そういう砂漠のような無味乾燥で不便な生活に慣れて来るのではないでしょうか。少しは不便だけれども、そこが安全な場所なのです。神様は、この教会も必ず、安全な良い場所へと導いて下さいます。ここが人生の逃れの場所なのです。

2.天上での戦い(悪魔の敗北)

「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応援したが、勝てなかった。そして、もはや点には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンと呼ばれる者は、投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。わたしは天で大きな声が次のように言うのを聞いた。『今や、我々の神と救いと力が現われた。神のメシアの権威が現われた。我々の兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、子羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。彼らは死に至るまで命を惜しまなかった。これ故に、諸々の天と、その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、お前たちの所へ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。』」
(12:7~12)

天上では、天使ミカエルとその遣いたちと竜との間で壮絶な戦いが起こりました。その結果、悪魔は敗北をし、天から投げ落とされてしまいました。もはや天には悪魔のいる場所が無くなったのです。そこで悪魔は地上に降りて来て、荒野に逃れた女を追いかけて行きました。

この天上での敗北によって、どういうことが起こったかと言いますと、悪魔に勝利をするという神の御子イエス・キリストの権威が現われました。また神の救いと神の支配が現われたのです。ですから、夜も昼の絶えず神の前で告発する悪魔は、もはやキリストの御名にはかなわないことが明らかになったのです。つまりイエス・キリストの十字架の贖いの血は、悪魔のどんな訴えそしりも寄せ付けないということです。キリストにある者は、もはや責められることはない、罰せられないというのです。それほどの御子の血潮には力と権威があるというのです。

その悪魔に打ち勝った勝利の秘訣はないかと言いますと、「子羊の血」と「証しの言葉」と「信仰による服従」でした。この三つが、悪魔に対する勝利の武器であり秘訣なのです。わたしたちが十字架のイエス・キリストの御名によって祈るときに、悪魔は逃げて行きます。その人を支配していた悪魔はキリストの御名によって天から地に落とされるのです。さらにわたしたちの救いの力強い証の言葉です。クリスチャン一人一人が、自分の救いの証しを用いることによって、人々を支配していた悪魔の鎖から解き放たれて自由にされて救われるのです。

この贖いを成し遂げられたイエス・キリストの御名の権威と力、そしてこのキリストの救いを証するわたしたちの証しの言葉、伝道の働き、そして神の御言葉に死に至るまで忠実に従おうとする信仰、この三つがサタンに打ち勝った勝利の武器なのです。祈りと証しと服従です。

3.サタンの最後の戦い

「竜は自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒れ野にある自分の場所に飛んで行くためである。女はここで、蛇から逃れて、一年、その後二年、またその後半年の間、養われることになっていた。蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。しかし、大地は女を助け、口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守り通している者たちと戦おうとして出て行った。そして、竜は海辺の砂の上に立った。」(12:13~18)

蛇は、女である教会の後ろから水を吐き出して、この水で教会を押し流そうとしました。教会を襲ってくる嵐や洪水です。しかし、その時に、地面が裂けて流から出てきた水が、地面の中に吸い込まれて教会に害を及ぼすまで至りませんでした。つまり、どんな強力なサタンの攻撃も力も、神が配慮して下さってその災いから守ってくださるということです。わたしはここで、新約聖書の中の一つのたとえ話を思い出しました。それは、石の上に家を建てるというお話です。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものは皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」(マタイ7:24~25)
つまりどんなに水が洪水のように川となって襲って来ても、教会が岩を土台としているならば、決して流されないということです。つまり「岩を土台とする」ということは、わたしたちが神の御言葉にしっかりと立って「神の掟の御言葉を守り、イエスの教えの証しを守り通す」ということです。そういう教会は、大水が襲って来ても、決して流されることはありません。

「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、誰かを食いつくそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」(Ⅰペテロ5:8~9)サタンは昼も夜もわたしたちを見張っています。そしてすきさえあれば飛びついて食いちぎろうとしているのです。でも決してサタンを恐れてはいけません。既に勝利はイエスの御名にあるのですから。このサタンに打ち勝つには、いつも心の内を御言葉でいっぱいにして防御しておくことです。

「神に服従し、悪魔に反抗すればいいのです。それだけでサタンは逃げて行きます。」(ヤコブ4:7)そして神の前にへりくだって、罪を悔い改めることです。これ以外の強力な武器はありません。その時サタンは声をあげて逃げて行きます。今はサタンとの戦いの時ですが、すでに勝利と支配はイエスの御名にあります。既に天ではサタンに勝利したからと言って、油断したり高慢にならないようにしましょう。たとえ、産みの苦しみの時がありましても、母なる教会として、あきらめずに忍耐して祈って行きましょう。   

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