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幸いな人とは誰か (詩編1:1~6)

メッセージ
2018年10月7日富里キリスト教会
「幸いな人とは誰か」
(詩編1:1~6)
1. 幸いな人の生活態度

「いかに幸いなことか、神に逆らうものの計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢なものと共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」
 (詩編1:1~3)

ここに幸いな人の姿、そしてその生き方が端的にはっきりと示されています。そしてこれがこの詩編全体の巻頭言にもなっているのです。幸いな人生とは積極的にはどういうことかと言いますと、まず、第一に神に逆らう者と一緒にならないということです。平気で罪を犯すもの、罪を何とも思わない人に誘われても、一緒に行かないことです。また自分を誇ったり、自慢したりする傲慢な人と一緒に食事の席に着かないということです。どうしてでしょうか。それくらいはいいんじゃないだろうかと思うかもしれませんが、それはそういう人の仲間になってしまうから危険なのです。

今までそういう悪い人に誘われて、いつの間にか自分も仲間になってしまった人を見てきました。少しくらいが、だんだんと取り返しがつかない悪の道にはまり込んでゆきます。じゃあ、どうしたらそういう悪の道に入り込まないようにしたらいいのかと言いますと、主の教え、この聖書の言葉を第一としてこれに従ううことが、一番だと聖書は教えています。2節にありますように「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」です。主の教えであるこの聖書の御言葉を愛してそれを心に蓄えて、その御言葉に従う生活を生涯の目的としている人です。

いかがでしょうか、皆さんはそういう生活を続けていますか?昔はそうだったが、今はそうではないとお考えでしょうか。なぜ半分以上の人が、信仰を捨て、教会から離れてしまうのでしょうか。その答えは簡単です。信仰は何から始まりますか?聖書にはっきりと記されています。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17)

信仰は聞くことから始まるのです。み言葉に聞くしかも真剣に聞くことが、信仰なのです。聞かなくなった人は信仰を失いかけている人です。聖書の御言葉を聞かなくなった、読まなくなった、祈らなくなった、当然信仰の炎が消えかかってしまいます。そういう人が6割以上いるということです。完全に消えてしまっている人もいるでしょう。ですから、朝静まってもう一度御言葉に立ちましょう。

Today we are reading Psalm 1. This is the first chapter of Psalms as the introduction. This chapter says the subject of all Psalms.
“Blessed is the man who does not walk in the counsel of the wicked or stand in the way of sinners or sit in the seat of mockers. But his delight is in the law of the Lord, and on his law he meditates day and night. He is like a tree planted by the stream of water, which yield his fruit in season and whose leaf does not wither. Whatever he does prospers.” (Psalm 1:1-3)

What is the happiness for you in life? To gain the money and prospers or to have a big family or to get the highest social position ? The Bible says Blessed is the man who please the law of the Lord and on his law he meditates day and night. The happiness in our life is to hear the word of God and delight it and meditate it day and night. Do you hear the word of God and read the Bible in every morning and meditate it in silence and follow to Jesus ? the most blessed man is to hear the word of God. Because the faith begins to hear the word of God. And passively we should not walk and stand and seat with the wicked man and mockers and sinners. To stand on the word of God is the only way to protect us from the wicked.

あの「拡大する人生」の中の第1週目に、静聴の時間を持ちましょうというのがありました。そこにこう書いていました。「朝、聖書を読むということをやったりやらなかったりするという生活態度は、あなたがクリスチャンとして成長するための真剣さにかけている証拠です。」(「拡大する人生」P12)つまり信仰において真剣でないということです。真面目にやっていないということです。不真面目だということになるわけです。皆さんはどちらですか、真面目ですか、不真面目ですか、真剣ですか、中途半端ですか?そのことをこの詩編の第1篇は問いかけているのです。

常に主を愛し、み言葉に立つ人は、いつも主の前に立っていますから、世間の流れや人の目を気にすることはありません。孤立することを恐れません。孤独を愛する人です。人間関係や人とのかかわりの前に、まず神との関係をしっかりと立てることのできる人です。ですから、1節にありますように「いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢なものと共に座らず」とありますように、この世の神に逆らう人々と歩調を合わせることはありませんし、罪人や傲慢な者と同じテーブルに着くことはありません。

2.流れのそばの木

イスラエル旅行に行った時、ヨルダン川を南の死海に向かってバスで下って行きました。ガリラヤ湖の方は、まだ水も木や草も豊富ですが、だんだんと南に行くにしたがって、砂漠地帯に入ってゆきます。そして最後の死海のあたりでは、ヨルダン川は水路のように細くなってやっとの思いで死海に到達します。砂漠が広がってくるあたりから、川のそばにあった木々が、だんだんと少なくなってきて最後には、川に沿って木が両側に一列に立ち並ぶ光景になりました。あとは全部砂漠ですから、木が一本もありません。不思議な光景です。でもこれがあの詩編の第1篇に歌われている情景なのだなあと、考え深く思いました。

つまり木の根っこが川床の水の方に伸びて行って、そこから水分を吸い上げているのです。ですから川のそばの木しか育たないのです。他の木は水源がないですから、皆枯れてしまいます。わたしたちは、その流れのほとりに植えられた木なのです。川の水に届く根を持っている木だけが養分を吸って大きくなるのです。やがて季節になれば、葉が茂り花が咲き、実が付いて大きく成長するのです。すべてにおいて繁栄をもたらすというのです。すぐには実をつけないかもしれませんが、5年10年20年たってきますと、自ずとその違いが出てきます。ただその流れのほとりに立っているだけでいいのです。根から養分と水分が、絶えず注ぎ込まれていきます。

この流れと言いますのは、イスラエルではヨルダン川のことを指していますが、わたしたちにとっての流れとは何でしょうか。それは、主の教えです。命の水である聖書の御言葉です。この命の水である聖書の御言葉に、わたしたちの心の根がしっかりと届いているでしょうか。み言葉に足を下ろしているでしょうか。もし自分は御言葉に立っているつもりだけれども、どうも成長していないみたいだ、どこか御言葉に根を伸ばしていないのではないだろうかと思っている方はいませんでしょうか。そういう人は、自分の心の中の根と川の水をブロックしている何か、石のようなものを内に持っていることはないでしょうか。

もしそうであるならば、それを聖霊様によって探っていただき、その固い石を取り除くことが必要なのではないかと思います。あるいはその水分を仕上げる木の根が、詰まっていることはないでしょうか。水が吸い込まれて行かなければ、成長しません。何か心の中に、水分を吸い上げることを邪魔している障害物がありますならば、それを告白して清めていただく必要があります。そして自分の心の中にある障害物を悔い改めを通して取り除いて、根がしっかりと水路に届くようにしたいものです。

When I have been to Israel I saw the trees standing in line along the Jordan river. Only the trees beside the river could survive getting the water through its roots under the ground. The Psalmist sang the poem
by drawing the trees and the stream in the desert. “He is like a tree planted by the stream of water, which yields its fruit in season and whose leaf does not wither. Whatever he does prospers.” Only the trees standing beside the stream was able to survive in the desert. Because they could get the life of water through their roots. They do nothing only to stand beside the stream of water. Standing beside the water is our job, speaking in other word it is reading the Bible that we will growth yielding its fruit and leaf and whatever we do prospers.
Do you read the Bible every morning, do you stand before the God waiting for God’s word ? This is the secret of our happiest life.

3. 神に逆らう者の末路

この命の水である詩編の御言葉にしっかりと根を下ろさないならば、その人たちの行く末ははっきりとしていると記されています。「神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻、神に逆らう者は裁きに堪えず、罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。」(詩編1:4~6)

根が水脈に届いていませんから、当然枯れてしまいます。「風に吹き飛ばされるもみ殻」のようだと言っています。つまり、実をつけないということです。皆さんよく脱穀した後に、もみ殻を高く上げて風にさらしている写真を見たことはないでしょうか。そうしますと実の入っていないもみ殻は、軽いですから風に吹き飛ばされてしまいます。そして実の付いたものだけが籠の中に残ります。つまりしっかりとみ言葉につながらない人は、そのように風に吹き飛ばされてしまうような虚しい人生で終わるということです。それは滅びの道です。クリスチャンの聖なる集いに立つことができないのです。

一方神に従う人の道を主は知っていてくださるのです。これが幸いな人の人生ではないでしょうか。たとえ成功しなくても地味な人生でありまして、大事なことは、神様がわたしたちのことを知っていてくださるということです。神様に知られている人生です。これが主の御言葉に従う人生です。わたしたちは人生の節目、節目で主に従うかどうかを問われます。自分の考えや自分の設計や自分の計画ではなく、神様の計画に従うかどうかです。

If we do not read the Bible we may be like chaff that wind blows away.
And wicked man will not stand in the judgment and sinners will not stand in the assembly of righteousness and the way of the wicked will perish. Which do you want choose blessed way and wicked way. The Salm 1 asked us which do we want. I ask you to read the Bible everyday using the bible reading in the bulletin or upper-room or Psalms everyday reading. In any way let us read the Bible every morning and stand before God and wait for the word of God sincerely. You should de more sincerely.

解からなくてもいいです。コツコツと毎日読みましょう。絶えず主の教えを愛し、それを学び、それを暗唱し、一日中その御言葉を口ずさんでゆく時に、み言葉に従う信仰が養われてゆきます。それは突然やって来ることがありますから。この詩編第1篇は、わたしたちにあなたがたはどんな人生を選択するのかを問うているような気がします。神に逆らう道か、神に従う道かです。もし自分がみ言葉に聞くこと、従うことにおいて弱かったと思われる方は、今日が最初の日です。朝毎に主の御言葉を待ち望みましょう。やったりやらなかったりする人は、自分で決めた通りに読むように、また祈るように心がけましょう。今までの自分の不従順を悔い改めて、御言葉と向き合おうではありませんか。(岡田 久)

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