ようこそ、富里キリスト教会の公式ホームページへ

巻き物を開く神の子羊 (ヨハネ黙示録5:1~14)

メッセージ

2016年4月17日富里キリスト教会

「巻き物を開く神の子羊」
(ヨハネの黙示録5:1~14)

はじめに

この黙示録というものは、隠されていた秘密が暴かれる、今まで誰も知らないことが明らかにされるというのが、「黙示」という言葉の意味だと言いました。覆い隠されていた秘密のベールが取り除かれるというのが、「黙示=Revelation」だと言いました。誰でもこれから起こることを知りたいと思います。この世界と歴史と宇宙の始まりと最後がどうなるのかと知りたくなります。しかし、それを知っているのは御座にいます父なる神様と御子以外にありません。イエス様は、御自分のことを「わたしはアルファであり、オメガである。」(黙示録1:8)と言っています。「初めであり終わりである」という意味です。

ヨハネは、この初めであり終わりであるイエス・キリストについて、こう教会に書き送っています。「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、ご自身の父である神に仕える祭司として下さった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」(黙示録1:5b~8)これから起こる世界の出来事、そしてその最後を幻や象徴を通して書き残したのが、この黙示録なのです。その鍵を握っているのがイエス・キリストなのです。

そして、今日お話しします天上での礼拝の中で、カギを握っている巻き物を開いて下さるのがイエス様なのです。そして、この巻き物に七つの封印がしてあり、裏にも表にもびっしりと字が書かれておりました。そして、それが順番に一つずつ開封されてゆきます。そして、その六つ目の封印を解くとどういうことが起こるかと言いますと、それが6:12以下に書いてあります。

「また、見ていると、子羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落されるようだった。天は、巻き物が巻き取られるように消え去り、山も島もみなその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、どれも自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって、『わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と子羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ』と言った。神と子羊の怒りの大いなる日が来たからである。誰がそれに耐えられるであろうか。」(黙示録6:12~17)

ここに、大地震、太陽の光が暗くなること(火山の噴火によるのか?)、月が血に変わるということも、火山灰で月が赤く見えるということでしょうか。そして隕石の落下が起こります。山も島も移動するほどの天変地異が起こるということです。今回の熊本の地震でも、テレビの画面で大きな山崩れがありました。人間の予想を超えた想定外のことが起こるということです。そしてそれが実際に起こっています。主の再臨が近いというということです。そして神様は、人々がそういう出来事を見て、一日も早く一人でも多くの人が、主の前に罪を悔い改めて立ち帰ることを望んでおられるのです。それがこの書の目的です。

そのようなこれから起こることを書き記したこの巻き物を開くことのできるのが、神の子羊なるイエス・キリスト以外にいなかったのです。今日は、先週の宣教で話しました「天上での礼拝」に、もう一人の神であるイエス・キリストが加わって、三位一体の神を全被造物が礼拝をしている場面です。これが第5章の天上での礼拝となっております。もう一度、ヨハネが上げられた時の天上での場面を見てみましょう。

1.七つの封印をされた巻き物

「またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏に文字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。また、一人の力強い天使が、『封印を解いて、この巻き物を開くのにふさわしいものはだれか』と大声で告げるのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻き物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。この巻き物を開くにも、見るにも、ふさわしいものが誰も見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老の一人がわたしに言った。『泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻き物を開くことができる。』」(5:1~5)

この巻き物は、御座にいます神様の右の手にありました。そして七つの封印がしてありました。これは完全に封じられていて、誰でも勝手に開くことができないということです。これを開くことのできるのは、完全な者、神御自身でなければできないという封印がしてありました。大天使が、「この封印を解くことのできる者はいないか!」と呼びかけましたが、誰も答えるものはいませんでした。

それを見たヨハネは、そこで激しく泣き崩れました。どうしてヨハネは泣いたのでしょうか。おそらく、この世界の始めと終わりがどうなるのかということを誰も説き明かすことができないと思ったからではないでしょうか。例えば、先週の熊本の地震がなぜ起こったのか、また5年前の東日本大地震と津波はなぜ起こったのか。こんなひどいことが起こっているのに、神は一体何を見ているのだろうか、そしてこのような理不尽な世界が一体いつまで続くのだろうか。この世の終わりはどうなるのだろうか。そして、災害で死んだ者、不慮の事故で死んだ者は一体どうなるのだろうか。

ヨハネの時代のことを考えますと、信仰の故に捕えられて殉教した者たちはどうなるのだろうか。神はいつまでも沈黙しておられるのだろうか。獄中で、あるいは広場で火あぶりにされたり、斬首されたり、はりつけになったあの信仰者の死とその魂は、一体どうなるのだろうかということを知りたかったからではないでしょうか。ヨハネの当時多くにクリスチャンが捕えられて、殉教の最期を遂げました。ヨハネ自身もパトモス島まで島流しにされたのです。そこで幽閉されていました。一体自分たちは将来どうなるのだろうか、このまま死んでしまって、神様は沈黙したままなのだろうかという思いがありました。

自分たちの将来のこと、死んだ者たちのこと、この世の終わりについてその答えを見たいし、知りたいとヨハネは思ったのではないでしょうか。その将来の秘密と神の御計画が、この巻き物に記されているというのです。誰かが、開いて下さらなければ自分達には将来のことが分からないし、一切が元の木阿弥になってしまうのです。自分にはもちろんそういう資格がない、誰も開いてくれる人がいないと思うと、ヨハネは悲しくなるのでした。

すると24人の長老の一人が、ヨハネにこう言って励ましました。「泣くな。見よ。ユダ族の子孫で、ダビデのひこばえ(若芽)が勝利を得たので、この巻き物の封印を解くことができる」と。このダビデのひこばえが勝利を得たという言葉で皆さんも解ると思います。それはイエス・キリストのことです。イエス様はユダ族の出身ダビデ王の血筋を引くものです。しかし、その神の民イスラエルは、罪のゆえに神の裁きを受けて、徹底的に滅ぼされてしまいました。そしてバビロンに捕囚となって流されたのです。しかし、いったん途絶えたと思った神の民イスラエルから、新しい芽が出て来ました。それがひこばえです。

ひこばえと言いますのは、切り倒された木の根のふもとから出て来る若い枝です。教会の庭のねむの木も、数年前に切り倒しました。でも、すぐまた翌年、その根のふもとから新しい枝が芽を出して伸びて来るのです。これがひこばえです。この切り倒された木が、イエスの十字架の死で、そこから出て来るひこばえという新しい命がイエス・キリストの復活の命を表しています。

ですから「ダビデのひこばえが勝利した」ということは、イエス・キリストの十字架の贖いと死と復活によって、信じる者に対する永遠の命の約束が与えられたということです。信仰による新生者の新しい時代と新しい世界の到来のことを示しています。その新しい命と新しい霊のイスラエルについて記したのが、この巻き物だったのです。それを解くことのできる方は、十字架と復活によって罪と死と悪魔に勝利した神の子羊なるイエス・キリスト以外にはいないのです。ですからこの聖書の鍵を説いて下さることのできるお方は、イエス・キリスト以外にないということです。

2.屠られた子羊

次にこの巻き物を紐解いて下さる子羊の姿を見てみましょう
「わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような子羊が立っているのを見た。子羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。子羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻き物を受け取った。巻き物を受け取った時、四つの生き物と24人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、子羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。」(5:6~8)

イエス・キリストはわたしたちの罪を贖う贖いの供え物としていけにえですから、子羊として描かれています。ここには「屠られたような子羊」とありますので、すでに十字架に架けられた後の姿ではないでしょうか。いけにえの子羊として手と足に釘の後、わき腹には槍の傷後を持ったままの姿ではないでしょうか。しかし、その子羊には七つの角と七つの目がついていました。奇妙な姿ですが、この七つの角と言いますのは完全な神の力、全能を表しています。

そして七つの目と言いますのは、どこでも見ることのできる神の目、つまり神の全知を示しています。そしてこの七つの目がどこへでも行くことができますので、これは神の遍在を示しています。ですから、この子羊は、人間の罪を贖う贖罪(しょくざい)の力と、神の秘められた真理の御言葉を説き明かして語る福音宣教の働きを持ったお方です。一言で言いますなら、「十字架の言葉」なる神の子羊です。しかも、この子羊は、七つの角と七つの目によって神の全知、全能、偏在の力を持ったお方なのです。

そしてここ御座にいます父なる神様と、その御座の前に燃えている七つのともし火である七つの聖霊様と、もう一人の贖い主である神の子羊キリスト様の三位一体の神の姿が描かれているのです。御座にいます御父は、その手に巻物を持っています。天のお父様はわたしたちに御言葉をくださるお方なのです。そして御子は、その血を持って私たちの罪を贖う子羊として、御父のそばにおられます。十字架の贖いを通して、巻き物の奥義を示して下さるお方です。

そして聖霊様は七つの霊として、あの七つの教会の上に置かれ、神の御言葉をイエス・キリストを通してそれぞれの教会に語る働きをしているのです。(Hear the Spirit says to the churchと会堂の後ろの壁に書かれてあります。)これが今、天上で行われている礼拝なのです。そして今、わたしたちは地上で同じようにしてこの父、子、御霊にして唯一の神様に礼拝を献げているのです。

3.御名を賛美させてください

この御座にいます父なる神様、そしてそのそばにおられる子羊なるイエス・キリスト様、そしてみ座の前に燃えている聖霊様の三位一体の神様を、今わたしたちは礼拝をしているのです。天上ではすでに、聖なる集会として完全な礼拝がなされていますが、地上の礼拝は、まだいろんな悩みや課題を抱えたまま、そしてこの世の悪魔と闘いつつなされているのではないでしょうか。でもやがて、この天上のような完成された礼拝が、地上に降りて来ます。そのとき私たちはこの天の門をくぐって、この完全な聖なる神の国へとあげられて、多くの聖徒や被造物と共に新しい礼拝をするようになるのです。今はそのための準備予行練習のようなものかもしれません。

「そして、彼らは新しい歌を歌った。『あなたは、巻き物を受け取り、その封印を開くにふさわしい方です。あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。』また、わたしは見た。そして、玉座と生き物と長老たちの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数何倍、千の数千倍であった。天使たちは大声でこう言った。『屠られた子羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして讃美を受けるにふさわしい方です。』また、わたしは、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。『玉座に座っておられる方と子羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように。』四つの生き物は、『アーメン』と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。」(5:9~14)

4章までは、「聖なるかな、聖なるかな、全能なる神、かつておられ、今おられ、やがて来られる方に栄光と誉れと力があるように。」(4:8、11)と天地万物の創造主なる神を賛美しました。この5章に入りまして、今度は御座にいます御父に対する讃美だけではなく、そのそばにおられる神の子羊なるキリストに対する讃美が捧げられています。9~10節が、四つの生き物と聖なる24人の長老によって献げられた讃美と祈りです。そして12節は、天使の大軍勢の声によって賛美された言葉です。「屠られた子羊こそ力と富と威力と誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です」と大声で歌っています。そして三番目が、13節ですが、全世界のすべての被造物、天と地とさらにその地底にすむ生き物、海にいる生き物までが、玉座におられる方と、子羊に対して「賛美と誉れと権力がありますように」と賛美しているのです。長老と御使いたちはキリストを賛美し、最後にすべての被造物が、父なる神と子羊なるキリストを賛美しているのです。

とりわけ、子羊に対する讃美の内容が大事ではないでしょうか。それは聖にして天地万物の創造主なるお方だけではなく、だれも開くことのできない父の御手の中にある巻き物を受け取って、それを開いて下さるお方だということです。今まで隠されていた神の御言葉の奥義を、わたしたちに告げ知らせて下さるお方です。そして全世界の人々の中から、ありとあらゆる種族、民族、国民の中から、御自分の血潮を持って罪を贖ってくださる人を選んでくださるお方だということです。

いやそればかりではなく、そのように罪人であるわたし達を神に仕える王、また祭司として召して下さったのです。そのことを長老と四つの生き物と天使たちが、声に出して讃美しているのです。そしてその賛美の輪がだんだんと広がって行って、ついには全世界の被造物、空の鳥から地面の中の虫に至るまで、神をほめたたえる賛美の大合唱に加わって来ます。そしてその御座にいる方と子羊に対する讃美の大合唱が、だんだんと大きくなって行くのです。

このようにして、三位一体の神の御性質と神の御業に対する全宇宙的な大合唱が、全世界全宇宙の果てにまでとどろき渡るのです。これが「ハレルヤコーラス」です。「メサイヤ」という曲を作ったヘンデルは、この黙示録の全被造物の三位一体の神に対する賛美の歌声を念頭に置いて作曲したと言われています。ですから神によって造られ、キリストによって罪が贖われて、聖霊によって神に仕える者とされている私たちは、まず第一に「御名を崇めさせたまえ」という祈りを捧げるのです。この三位一体の神の御名を賛美させて下さい、イエス・キリストを通して神様に感謝させて下さいと祈ること、そして賛美を捧げることが、わたしたちの最大の願いではないでしょうか。そして次に「御国が来ますように。御心が天になされましたようにこの地にもなりますように。」と祈りなさいとイエス様は教えてくださいました。

感謝できないこと、心が打ちひしがれること、希望を失いかける時もあります。でももう既に、天においては、救いの御業を成し遂げられた神の子羊が、御父と共に御座に着いておられます。そのことを聖霊様が私たちに教えてくれています。誰も天に昇ったことのある人はいませんが、ヨハネがその光景を目の当たりに見て来ました。どんなに天変地異があり、山も島も動くようなことがありましても、それはやがて実現する神の最期の裁きの時の前兆にすぎないということです。わたしたちは聖霊様が告げる「罪を悔い改めて、神に立ち帰りなさい。心の扉を開いて、今のうちに素直に主イエス・キリストを受け入れなさい。」という巻き物の言葉に従うものでありたいと願っています。

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional