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妻の話を聞く (ローマ10・17、エフェソ5・25~28)

メッセージ

2010年6月20日父の日礼拝・富里教会
「妻の話を聞く」
(ローマ10:17、エフェソ5:25~28)

1. なぜ、男は聞けないか?

どうして男は妻の話に耳を傾け、じっくりと聞くことができないのでしょうか。あるクリスチャンの男性の集会で、世の男性が抱えている悩みについて話し合ったところ、大体、5つの課題があげられたそうです。一つは「お金の問題」、二つ目は「性的な誘惑の問題」、三つ目が「プライドの問題」、四つ目が「コントロール=支配」の問題、五つ目が「自分の父親の問題」だったそうです。この五つの問題で、クリスチャンの男性は悩んでいると言っていました。私もいくつか心当たりがあります。

そして、特に、妻との関係で、夫が妻の話を聞くことのできない理由の一つに、「プライド」の問題があるとのことでした。確かに聖書には「女は男を助ける者」(創世記2:18)として造られましたし、「女の頭は男である」(1コリント11:3)とも書かれております。ですから、クリスチャンの夫でも、この聖書の箇所を引き合いに出して、妻を自分のヘルパー、あるいは自分に従う者だと考えている方が少なくありません。

そしてこのプライドで、一番の問題なのは何かと申しますと、自分の罪や過ちを認めることができないということです。プライドが過ぎると義に過ぎると言われます。つまり、いつも自分だけが義しいと思ってしまうことです。特に、医者や教師や牧師に多いと言われています。家にいても教師であったり、牧師であったりします。特に牧師家庭の場合には、信仰という点が共通していますので、ともすると家族への道徳的支配がエスカレートしがちです。ある牧師の家庭のお嬢さんが、「お父さんが、甚平姿でうちわあおぎながらナイターを見ている姿が見たい」と言った言葉を思い出します。知らず知らずの内に、家族の者に自分の考えを押付けてコントロールしてしまうことがあります。私も家内からしょっちゅう、仕事と家庭を分けて欲しいといわれています。

この男のプライドは、年齢、国籍に関わらず誰でも持っているもので、この性質が、神様の前に自分の罪を見えなくしており、素直に自分の非を認めて、神の前にも人の前にも砕かれて、へりくだることができなくしているのではないでしょうか。それは人間の罪の本質を表わしているといってもいいかも知れません。アダムがエデンの園の木の実を食べた時に、神様からそのことをとがめられて問いただされました。しかしアダムはすでに自分も神の如くになろうという、自我の罪の目が開かれていましたので、「私が食べたのは、あなた(神様)が与えて下さった妻のエバが食べさせたのです。それで、しかたなく食べました。」(創世記3:12)と答えました。

ここに自分を義とする人間の罪の姿があります。これは男が生まれながらに持っているものです。(もちろん女性も同じ罪の中にあります。)でも、もしあの時、アダムが「神様、申し訳ありませんでした。妻が悪いのではありません。食べた私が悪いのです。」とアダムが言ったとしたら、人間の歴史は変わっていたかもしれません。少なくとも、妻のエバも責任転嫁をして、同じ罪を犯すことことはなかったのではないでしょうか。「いいえ、アダムが悪いんではありません。食べるように誘った私が悪いんです。」と互いに罪を認めたら、新しい別な世界が始まっていたような気がします。

ですから、家庭で社会で会社で、男が自分の過ちを認め、自分の罪を悔改めたら世界が変わって行き、新しい世界が広がって行くのではないでしょうか。新しい世界の始まりは、この男性の救いにかかっていると言っても過言ではありません。男性のプライドが崩れると、あるがままの自分を見つめることができるようになります。「いやあ、実は会社が倒産したんだよ。」とか、「実はバツイチなんだよ。」とか「うちの息子が、引きこもりで家にいるんだよ。」とか「女性問題で失敗したんだ」と自分の悩みや問題を、素直に言えるようになるのではないでしょうか。そして、妻に対してもいろいろ自分の悩みや問題を打明けて相談にのってもらうこともできます。

また、神様が本来、男に与えて下さった、創世記にある「助け手」としての妻の本来の意味は、「男と向き合う存在」という意味だそうです。いわゆるヘルパー、助手と言う意味ではありません。夫と相対して、しっかりと向き合って会話をし、時には夫の悩みを聞き、カウンセリングをしてあげたり、時には助けたりするものとしての助け手なのです。夫もまた、妻と向き合って話を聞き、それを受け止め、正しい判断をしてゆく責任があります。ですから、夫が妻の話を聞けないというのは、まだプライドや支配しようとする罪から開放されていないからです。妻の言葉には絶対、耳を傾けまい、黙って俺について来いという、自分中心、プライド中心の古い生き方そのものなのです。

2.話を聞き始めた夫

しかし、実際に妻の話を聞くということは、男にとってはプライドを捨てなければなりませんし、ある意味では苦痛が伴います。私も牧師になりたての頃、いくらバプテスマを授けても、その人の信仰生活が続かないでどんどんおちて行くという苦しい状況が続いた時がありました。家内から、「信徒訓練のいい学びについての研修会があるわよ」と言われましたが、牧師のプライド、夫のプライドが邪魔をして、「そんなハウツウものでは信仰は育たん。信徒は牧師の背中を見て育つのだ。」と言って研修に行きませんでした。そして家内が一人で学びに行って持ち帰って来たテキストが、「拡大する人生」であり「マスターライフ」でした。妻には、見せてくれとは言えず、自分で蔭でこっそりと見てみました。学んでみました。そこで目からうろこが落ちるように、牧師であってもはじめて信仰のABC、基本を教えられたのです。

本当に、妻の話に謙虚に耳を傾けるところに、人生の大きな祝福があります。仕事も成功します。今の菅首相は、家で家庭内野党と言われる奥さんの話をじっくりと聞くことによって、国民や野党の声にも耳を傾ける訓練をしているとのことです。今は、一市民から総理大臣になりました。男性の皆さん、妻の話を聞くところに神様の奇跡が待っているのです。夫が自分の話を聞いてくれたということで、どんなに妻が開放され、家庭が祝福され円満になるかということです。会社でもそうです。上司であるあなたが部下の声に耳を傾け、お客さんの声に耳を傾けるならば、職場も祝福されます。それだけではなく、夫自身であるあなたも意味のある有意義な人生を送ることができるのではないでしょうか。

イエス様は言いました。「自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従って来なさい。」(マタイ16:24)と。それは人生を主に捧げて献身する、神学校に入る、時には殉教覚悟で宣教するということよりも、もっと身近なことを言っているような気がします。つまり、自分を捨てるということは、自分の妻の話に耳を傾ける、自分の息子の話に耳を貸すという、ごく身近なところで起こってくる、出来事ではないかと思うのです。

3.祝福の源

最後に、妻の話を聞くということを、もっと積極的な言い方をするならば、妻を愛するということではないかと思います。ヨハネ第一の手紙5:25に「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、(自分の)妻を愛しなさい。」とあります。夫が男のプライドを捨て、妻の話を聞くことができるようになったのも、一重に、イエスキリストが私たちのプライドと言う罪のために十字架にかかって死んでくださったことによって、私たちも自分と言う罪とプライドに死ぬことができるようにしてくださいました。このイエス・キリストの十字架の愛によって救われ、生かされている者として、妻を愛してゆくことができるのではないでしょうか。それが、妻の話を聞くということです。妻の話を聞くということは、ただ単に妻を喜ばすためということだけではありません。私たちが夫が、真にキリストの弟子になってゆくためなのです。

あるクリスチャンの男性の集会で、こういう宿題が出されました。「私が妻のためにキリストのようにできることは何か?」と。すると、そのアンケートの中にこういうのがありました。「妻のそのままの価値を尊重し、ほめ、彼女の悩みを自分の悩みとして受け止める」「手紙を書く。自分の思っていることを怒らずに伝える努力をする。」「10分でも15分でも妻の話を聞くこと」「出張中には家に電話をすること」「子供にも、『お帰り』とか『お休み』『ありがとう』という声をかけること」など、いろいろな回答が出されました。

夫がその信仰の証として、妻の声に耳を傾け、妻の話を真剣に受け止めてじっくりと聞き始めるならば、私はそこに何か新しいこと、神様の祝福が沸き起こってくるような気がします。「実に信仰は聞くことから来るのであり、しかもそれはキリストの言葉から来るのである」(ローマ10:17)とありますように、実に、神の祝福は、その源である妻の心の井戸から湧き上がって来ます。あの天上のあらゆる霊的な祝福は、そこから湧き出てくるのです。最後にもう一度招詞を読んで、今朝のまとめにしたいと思います。

「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。その源は溢れ出て、広場に幾筋もの流れができるであろう。あなたの水の源は祝福されよ。若い時からの妻に喜びを抱け。」(箴言5:15,16,18)妻の話をじっくりと聞く人生を目指してまいりましょう。そして、人生の海の嵐を祝福の源である妻と共に乗り越えて行きましょう。また、若い人はそういう人が神様から与えられるよう祈ってゆきましょう。         
                                       (岡田 久)

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