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天上での礼拝 (ヨハネ黙示録4:1~11)

メッセージ

2016年4月10日富里キリスト教会

「天上での礼拝」
(ヨハネの黙示録4:1~11)

1.ヨハネの黙示録の真実

「黙示」という言葉は、読んで字のごとく、黙って示すという漢字から成っています。原語のギリシャ語では、「アポカリュプシス」という言葉で、「アポ」は「除く」、「カリュプシス」は「覆い隠されていたもの」ですから、今まで覆い隠されて人間の目には見えなかったものが、「覆いを取り除かれて見えるようになった」ということです。英語ではRevelationと言います。これも「Re」は「除く」、「veil」は「覆い」です。覆いを取り去るという意味です。ですから、「黙示」という言葉は、「隠されていたことを、神様から見せてもらって示す」という意味になるでしょうか。視覚に訴える描写が多いことです。一方、「預言」という言葉は、「神から聴いた御言葉を預かって語る」という意味ですので、言葉によって訴えるという意味で、少しニュアンスが違うような気がします。

大雑把に分類しますと、黙示録の1章が「過去」の出来事、そして2~3章が七つの教会に対する勧告として、「現在」に向けて語られていることです。そしてこの4章以降が、これから起こる「未来」のことについて語られています。しかし、ヨハネの時から見た未来ですから、あれから二千年後の今日の私達の世界にすでに起こっていることも含まれているのではないかと思います。

黙示録には恐ろしい怪獣のようなものが登場して来ますが、中でも一番の恐ろしいのが、赤い獣にまたがって登場する大淫婦と言われる女の怪獣です。(17:1~6読んでみる)そしてこの淫らな女の正体は何かと言いますと、17:18にありますが、大都会、大きな都バビロンであると言っています。やがてこの強大な都は神の裁きによって滅ぼされてしまいます。(18:9~13を読む)この地上の商人と言いますのは、資本家のことです。資本家たちは、今日の大きな都東京、パリ、NYという現代のバビロンを舞台にして、商売をして大儲けをすると預言されています。そして、その商品の目録が18:12節から示されています。これは何でしょうか。今日の巨大市場、モールですね。爆買いの舞台です。

世界一貧しい大統領として今、日本にきておりますウルグアイのムヒカ大統領が、よくテレビに出ております。そして日本を見て、どうしてこんなに大量消費をする国なのだろうかと不思議に思っているようです。お金、お金、商品、商品、経済効果、経済効果、日本にはもっと良いものがあるはずなのに。商人はどこでも買えるが、自分の寿命を買うことはできないと言っていました。まさに東京は、ムヒカさんからみたら、足ることを知らないむさぼりの貪欲な、あの黙示録にある淫らな女のように見えたのではないでしょうか。まさに黙示録は現代のことを象徴的な絵を見せることによって預言しているのです。そしてこの世界がやがてどうなるかということを警告しています。

ですから、イエス様がヨハネに「ここへ登って来なさい。この後、<必ず起こる>ことをあなたに示そう。」(4:1)と言ったことが、今まさに起こっているのです。この黙示録は今から約二千年前に書かれましたので、この預言の言葉が今、現代すでにこの地上で進行中なのです。ですから、この黙示録に書かれてあることは、神話や幻想、SFの世界ではなく、今日の出来事であり、わたしたちはこの黙示録を注意深く解釈しなければなりません。

2.天上での礼拝

この黙示録の中で一貫して強調していることが二つあります。それは「わたしはすぐに来る」という主の再臨が迫って来ているという言葉です。そしてもう一つは、「悔い改めよ。」という言葉です。この書が書かれた目的は、キリストの再臨と最後の審判が押し迫って来ているので、あなたがたは一人でもいいから早く悔い改めなさいということです。アジア州にある七つの教会に向けてそのことを語っています。この世の未信者ではなく、むしろクリスチャンが、そして教会が悔い改めることを願っているのです。

七つの教会でもいろんな教会があります。みんな良い点と欠点を持っています。この2~3章に書かれてあります七つの教会を全部調べてみましたら、良い点だけを持っている教会は、七つのうち二つでした。それはスミルナ教会とフィラデルフィア教会です。この二つの教会だけが悪い点が挙げられていません。一方、何も良い点がなく悪い点ばかりしかない教会が、この最後に出ていますラオデイキア教会です。良い点が何もありません。(3:15~19を読む)

「だから熱心に悔い改めなさい」とヨハネは言っています。共同訳聖書は「熱心に努めよ。悔い改めよ。」となっていますが、口語訳、新改訳共に「熱心に悔い改めなさい」となっています。熱心に、一生懸命に、朝に夕に悔い改めなさいということです。それだけ私たちは罪を犯してしまうということです。でもその悔い改めの結果として、必ず聖い実をつけることができます。自分の罪を悔い改めて、主の前にひれ伏して礼拝をしなさい、これが黙示録の言わんとしていることです。天上では、玉座がもうけられて、その周りには全被造物がひれ伏して礼拝しています。

「その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。『ここへ登って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。』わたしはたちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座に座っている方がおられた。その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。また、玉座の周りには24の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった24の長老が座っていた。玉座からは、稲妻、様々な音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも、一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。」
(黙示録4:1~7)

今、天上には中央に玉座が据えられています。その玉座の周りにはエメラルドのように光り輝く虹がかかっていました。そしてその玉座に座っている方は父なる神ですが、碧玉や赤めのうといった権威と尊厳を備え、周りを虹が囲んで光輝いていました。そして玉座からは稲妻や雷などの音が聞こえ、神の力と栄光がとどろき渡っています。そしてこの玉座の周囲には、24の座があり24人の長老が座っていました。24というのは、12部族と12使徒を表していて、今日の霊のイスラエル(教会)のことを指していると言っています。また玉座の前には、水晶に似たガラスの海がありました。

更に次がなかなか難しいのですが、この玉座の中央と周囲には4匹の奇妙な生き物がいました。この四つの生き物には六つの翼があり、その翼の全面に内も外も目がついていました。そして第一の生き物はライオンのようなものであり、第二の生き物は若い雄牛のようであり、第三の生き物人間のような顔を持っていました。そして第四の生き物は、空を飛ぶ鷲のようでした。翼と目というのは、全世界どこへでも行って、どんなことでも見ることができる存在だということです。これが何を意味するのかは難しいですが、共通した見解は、獅子の生き物は動物、獣です。そして雄牛は家畜の力です。第三は人間、第四は鳥を表しています。

すなわち地上の生き物のすべてを代表するものであると言われています。神に造られた被造世界の生き物が、創造主である神と七つのともし火である聖霊を中心にして礼拝をしているのです。そしてそれらが、どのようにして神を礼拝しているのかといいますと、この四つの生き物は、昼も夜も絶え間なく神を賛美していました。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」(8節)と言いながら一日中、父なる神様と聖霊様を賛美しているのです。

そしてこれらの四つの生き物の賛美が終わると、今度は24の座に座っていた24人の長老たちが一斉に、自分たちの冠を御座の前に投げ出して、御座におられる方をひれ伏して礼拝したのです。「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」(4:11)

このように天上では御座にいます方と聖霊様、そしてこの後5章に出てまいります子羊なるキリスト様を中心にして、全被造物と教会が畏敬の念を持って神の前に身を投げ出して礼拝することを教えています。御座にいます方は、稲妻や雷や響き渡る轟音によって威光と尊厳をもって中央に座しておられ、力と栄光に輝いておられる方です。

ですから、わたしたちは、自分の罪を悔い改めて、この24の長老のように、神の前に身を投げ出し、自分の冠を投げ捨てて、ひれ伏して神を礼拝することが求められているのではないでしょうか。自分の冠とは自分の栄光を捨てることです。自分の罪を告白して、ただただ主の前にへり下ることです。四つの被造物は、夜も昼の絶え間なく主を賛美し「聖なる方、聖なる方、聖なる方、今もいまし、そしてやがて来られるお方だ。」と言って主をほめたたえていました。(中條先生の言葉)いかがでしょうか。わたしたちが神様の前に礼拝を献げる時に、どのような心構えで礼拝を捧げているでしょうか。やがて私たちも天に帰った時には、このようにして神を中心にして、昼も夜も絶えず主をほめたたえ、主の前に身を投げ出して礼拝を捧げることになります。今は、地上での予行練習のようなものです。

そしてやがて、新しい天と地が成就する時には、この新しい都エルサレムが天から下って来られるのです。(21:1~4)今はこの御座にいます方も神の子羊である方も、目に見ることはできませんが、やがて主の再臨に際して美しく着飾った花嫁である新しいエルサレムが天から下って来ます。しかもすぐに来ると、ヨハネは何度も言っています。その時に天の門を通って、新しい都に入ることのできる者は幸いであると言っています。(22:14~15を読む)

イエス様はヨハネに「ここに上って来なさい。この後必ず起こることをあなたに示そう。」(4:1)と言いました。主の再臨と神の国の完成は必ず起こります。ですからわたしたちは今、自分の罪を悔い改めて、主の前にへり下り、主に栄光を帰して夜となく昼となく神への讃美と感謝の祈りを捧げるものでありたいと願っています。そして、「主よ、早く来て下さい。」マラナタという信仰を持って、新しい天と新しい地の成就する日を待ち望みたいと願って入ります。 

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