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夢解き人 ヨセフ (創世記41:1~16)

メッセージ

2011年8月7日冨里キリスト教会
「夢解き人・ヨセフ」
(創世記41:1~16)
1. 神の救いの御計画

ヨセフは、何も悪いことはしていませんでした。自分が見た夢を正直に兄弟たちに話しただけです。ポテパルの妻の誘惑にも負けませんでした。情欲の誘いを断ち切りました。よっぽど信仰がしっかりしていなければできないことです。しかし、それがために無実の罪を着せられて、牢屋に入ってしまいます。

しかし、どこへ行っても、たとえそれが本人の意図するところではなく、不名誉なところ、行きたくないようなところでも、神様は、その真只中にいて、ヨセフを祝福してくださいました。奴隷となった侍従長ポティファルの家では執事長になり、囚人として投獄されても牢屋番になり、最後は一国の財政をつかさどる大臣にまでなったのです。しかもそれはヨセフの救いだけのことではなく、父イスラエルの家族全体の救いにも関わるようなことでした。

A)苦難に意味がある

ですから、私たちが、なんで自分はこうしていつも運の悪いくじばかり引いてしまうのだろうか、どうしてこんな所に来てしまったのかとか、なんでこうなってしまったのだろうかと言って、自分の不幸、不運を嘆く必要はありません。すべてに神の目的があり、すべてに神の御計画があるのです。

兄弟たちからいじめを受けて、売られてしまったヨセフでしたが、このことがやがて別れた家族全員を救うことになるとは、いったいその時、誰が予想できたでしょうか。神様は、イスラエル・ヤコブの一族を救うために、あらかじめヨセフをエジプトに送り、エジプトの大臣にさせたのです。そのためには、ヨセフは落とし穴に投げ込まれたり、隊商に売られたり、牢屋に入ったりしなければなりませんでした。私たちの人生、そして人間が受ける苦難にはすべて、何らかの意味があるということです。神様は決していたずらに苦しめ、意味のないことをなさる方ではありません。

B)一人の苦しみが世界の救いになる

このヨセフの苦しみを通して、最終的にはイスラエル・ヤコブの家が救われます。神様は、そのためにあらかじめヨセフをエジプトの地に遣わしてくださったのです。そして、ヨセフのおかげで、ヤコブ一族は助かりました。飢饉の時にも十分に食料を確保できたのです。それだけではありません。ヨセフの苦難は、最終的にイスラエルの家族全員を救っただけではなく、エジプトの国はおろか、アフリカ、中東の世界までもが、この食糧貯蔵の恩恵にあずかったのです。

このヨセフの予言ともいうべき夢の解釈がなければ、エジプトは安穏と7年間の豊作を楽しむだけで、その後に来る飢饉に対する備えができませんでした。夢を解くということは、これから起こるべきこと、未来の出来事を予言するわけですから、世界の救いもこのヨセフの夢の解釈にかかっていたといっても過言ではありません。

2.義人の苦難と世界の救い

ヨセフのひいおじいさんのアブラハムは、行き先を知らずに旅に出ました。父親のヤコブ・イスラエルは、兄と兄弟げんかをして仕方なく遠い旅に出ました。そして、このヨセフは、兄弟たちのいじめとねたみという罪によって、自分の意志に反して遠い異国の地に売られてゆきました。三人とも、生まれ故郷と家族を離れてゆく運命をたどりますが、ヨセフの場合だけ、自分で決断して遠いところに出かけて行ったのではなく、自分の意志とは関係なく、兄弟達の罪によって遠くにつれて行かれたのでした。

そこで、彼はいろんな苦難と同時に神様の取り扱いも受けます。そして最終的には、罪を犯した兄たちをも救うということになります。これが、ヨセフにとりましての「レフ・レハー」(=自分自身に向かって行きなさい)という人生の旅であったわけです。すなわち、罪を犯した者ために、その罰を自分が変わりにうけることによって、最終的には罪びとをも救うという神様の救いの御計画を示していたのです。この一人の正しい人の苦しみによって、イスラエル・ヤコブの家が、その兄弟たちが救われるのです。全世界が救われたのです。

しかも、それはただ単に食料問題で救われるということだけではありませんでした。人間の罪、兄弟間の争いの問題をも取り扱っています。自分たちの妬みという罪ゆえに、実の弟を穴に落とし、隊商に売り渡し、嘘をついた兄弟たちの罪は大きいものがあります。しかし、このヨセフの苦しみを通して、最終的には彼らに食料を分けてやっただけではなく、兄たちとの和解の働きもしたのです。

そのヨセフの心境を、自分の生んだ二人の息子の名前の中に読んでとることができます。長男の名前を、マナセ(=忘れさせる)といい、次男はエフライム(=増やす)と名付けました。つまり、ヨセフは、今までの自分のつらい過去の思い出、兄弟たちの行った罪を忘れた、帳消しにしたと告白したのです。兄たちの犯した罪を、すべて忘れる、赦すという決心をしたのでした。そして将来に対するあふれるほどの神の祝福を信じて、次男をエフライム(満ち溢れる)と名付けたのでした。

3.苦難の恵み

ヨセフは罪を犯さなかったとはいえ、人間です。両親に対しても、将来自分にひれ伏すと公言してしまいました。天真爛漫な性格ではありましたが、思ったことをすぐに口に出す、自分中心の自己愛の強い少年であったかも知れません。
しかし、ヨセフは自分の身に起こった様々な苦難を通して、その中でも神様が共にいてくださるということの故に、少しづつ霊的に成長してきたのではないでしょうか。神様からヨセフに三つの祝福が与えられたような気がします。一つは、「へりくだりと謙遜」で、二つ目は、「思慮深さと慎重さ」です。そして三つ目が「忍耐と待つ力」です。

A)へりくだりと謙遜を学ぶ

かつては、自分の見た夢をその通りに語りましたが、無実の罪で牢屋に入れられてからは、「(夢の)説き明かしは神がなさることではありませんか。どうか私に話してみてください。」(40:8)と宮廷の役人に尋ねています。また、ファラオの夢を解くときにも、「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」(41:16)と答えています。

ヨセフは、自分が夢を解くことができるとは言わずに、神がそうさせて下さると答えています。この言葉の中に、ヨセフが幼い自由な信仰から、神の前にへりくだり、どんな境遇の中にも神がいてくださるという強い確信が生まれ、ますます神により頼み、神を中心とする信仰へと変えられていったような気がします。

エジプトの王ファラオから、国を治める大臣に任命されても、決しておごり高ぶることなく、エジプトの国のために謙遜に政策を進めました。そしてやがて、兄たちとの再会を果たしますが、一国の大臣としてふんぞりかえって偉ぶることなく、昔年の思いで兄たちに接します。そして、兄に対する恨みや憎しみもかなぐりすて、へりくだって愛を持って対面をはたします。そのような「へりくだりと謙遜」の祝福を、神様はヨセフに与えてくださいました。

B)思慮深さと慎重さ

さらに神様は、ヨセフに素晴らしい賜物を与えました。それはエジプトの宰相として、飢饉という難局に思慮深く備えたのです。41:35に「このようにしてこれから訪れる(7年間の)豊年の間に食料をできるかぎり集めさせ、町々の食料となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う7年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」(41:35~36)

このような知恵と思慮深さが、ヨセフに備えられました。この今ある7年間の豊作は、決して長続きしない、やがて凶作が来るということを予告し、そのための備えを全国民をあげてしたのです。やはりこういう政治家が、国を治めることによって国はしっかりと固くたってゆきます。いい時は長くは続かない、必ず、そうでない時が来る、しかも想定をはるかに超えた事態が起こるということを国政をつかさどる者は、肝に命じたいものです。

聡明な指導者を立てることと、豊作の年には収穫のうちの五分の一を徴収することを命じました。この備蓄のおかげで、エジプトの国は飢饉から救われ、近隣の国も助かりました。そして、この世界的な飢饉はパレスチナにもおよび、やがて自分を売りとばした兄たちとの再会も果たすことになります。

C)忍耐と希望を学ぶ

ヨセフがエジプトの大臣になるまで、実に17年の歳月が流れました。それまで彼は、奴隷として、囚人としてつらく厳しい生活を送らなければなりませんでした。それでも、自分が子供の時に見たあの「わらと太陽と月と星の夢」を信じていたに違いありません。(創世記37:5~11)やがて、そのような時がやってくると信じていたのかもしれません。

私も実は、忍耐心があまりありません。ある時、階段の踊り場のところのガラスに、一匹のじょろう蜘蛛が巣を張っていました。そして、雨の日も風の日も台風の日も、じっと巣に餌の虫がかかるのを待っていました。私もその蜘蛛の忍耐心に感動して、何か月もその様子を見ていました。そして、ある時、説教でこの一匹の蜘蛛を通して「待ち望む」という話をしました。

今日はいいたとえ話が見つかったと思って、蜘蛛にお礼でも言おうかと思って、ふと見てみましたら、なんと蜘蛛が突然と姿を消していたのです。主人のいなくなった空の蜘蛛の巣を見て、もしかしたら、自分のために神様がここに蜘蛛を置いて見せてくださったのではなかったのだろうかと思うようになりました。神の救いの時を待ち望むことです。それには忍耐が必要です。ヨセフは様々な試練を通して、この忍耐と待つことを教えられたのではないでしょうか。

私たちも、このヨセフのようにどんな困難なことがあっても、信仰と純潔をしっかりと守って、へりくだり謙遜の限りを尽くして兄弟姉妹に仕えてゆきたいと願っております。(岡田 久)

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