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墓場から解放された男 (マルコ5:1~20)

メッセージ
2018年2月4日富里キリスト教会

「墓場から解放された男」
(マルコ5:1~20)

1.墓場に縛りつけられていた男

「一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが船から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはや誰も、鎖を用いてさえつなぎとめておくことができなかった。これまでにもたびたび足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。」(マルコ5:1~5)

イエス様の一行は、ガリラヤ湖を渡って、向こう岸異邦人の地ゲラサにやってきました。すると一行が船から上がるとすぐに、墓場を住まいとしていた人が駆け寄ってきたのです。この人は、悪霊に取りつかれていて、非常に狂暴で、長い間裸で墓に住み着いていたと他の福音書には書かれてあります。(マタイ8:28~34、ルカ8:26~39)街の人たちは、この男に足枷や鎖につないで縛っておきましたが、鎖を引きちぎって暴れまわり、墓場や山で大声をあげて叫んでいました。しかも石で自分の体を打ちたたいたりしていたとあります。

明らかに異常者で、今日では専門の病院に隔離しておくということになるのでしょうか。それでも、鎖で縛っておくことができないというのです。おまけに石で自分の体を傷つけていたとありますから、自傷行為をしていたことになります。自分を愛したり、自分を大事にできない、自暴自棄になって自分の体さえ傷つけていました。本当にこの地方の人々にとっても、手が付けられないほどの乱暴者だったようです。

私はこの哀れな一人の人間を見るときに、もしかしたらこれはかつての自分の姿ではないかと思う時があります。と申しますのは、この男は墓場を住まいとして墓場につなぎとめられていました。いわば、墓場が彼の居場所だったのです。居場所と言いますか、無理やり墓場に住まわせられ、墓場に縛りつけられていたのではないでしょうか。

When Jesus arrived to the other side, the man who was possessed by evil spirit ran and fell on his knees in front of Jesus. This man lived in the tombs and cried out night and day and cut himself with stones, no one could chained him on the boneyard. He tore the chains.

私も実は、岡田家の惣領でお寺の檀家総代になるほどの先祖代々のお墓が青森にあります。自分はもうこの町から一歩も外に出られない、一生この墓と共に生きてゆかなければならいと考えるようになり、ものすごい束縛になりました。つまりお墓だけではないのです。お墓にまつわるものとして先祖の位牌、血縁、親戚一同、財産はないですが、もろもろの親戚付き合いがあります。死ぬまで墓場まで持ってゆかなければならないものをいっぱい負わされたのです。そういうものを考えてきましたら、もう気がおかしくなるようになってきました。

お墓に行くと足が震える、親戚の人たちと会いたくない、車を運転しても事故を起こすくらい気が動転してしまうのです。こういう症状がアメリカ人にもよくあるという事例を「バウンダリー」の本にも書いてありました。そして何か悪いウイルスをもらってくるように人格が変わってしまうのです。気が荒くなるのです。わたしも、お墓のある町に降りたとたん、グーっと落ち込んでくるような気がしました。

このゲラサの狂人も、墓に縛りつけられた人生だったからこうなったのではないでしょうか。自分の人生が、墓から一歩も外に出られないのです。墓に縛りつけられた人生なのです。誰でもそうです。特にそういう異教社会でクリスチャンになっている人にとっては、本当に大変な場所なのです。自分の信仰を守ることで精いっぱいなのです。もしキリスト教も知らずに、真の神さえ知らずにこういう社会で生きていたら、発狂してしまうのは当然ではないでしょうか。

As I am thinking about this man I see myself in this man. I was born in Japanese traditional house and grew up by saying “Hisashi you have to care for all our family keeping family tomb family relatives and ancestor and property. So I hate our family and family tomb binding my freedom and my future. I may grow like this crazy man without knowing Jesus Christ. I sympathize this man and see myself in this man. sometimes I used to change myself to the other bad personality as I went to the hometown where our tomb was.

2.イエスよ、かまわないでくれ

「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。』イエスが『汚れた霊、この人から出て行け』と言われたからである。そこでイエスが、『名は何というのか』とお尋ねになると、『名はレギオン。大勢だから』と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。」(マルコ5:6~10)

この狂暴な男の中には、レギオンと言う名の悪霊が住み着いていました。レギオンの意味は、悪霊自身が言っていますが、「大勢入っている」ということです。もともとはローマの軍団4、5千人分の数が入っているといわれています。この後で2千頭の豚に入り込むことから、大体2千人分の汚れた霊、すなわち悪霊が入っていたと思われます。ですから、自分自身と言う意識がないのです。多重人格のような人です。自分が誰だかわからないのです。軍隊の霊ですから狂暴です。どうしてそうなったかというその理由はよくわかりません。

汚れた霊はこの地方に住み着いていて、この地方から追い出されるのを怖がっていました。ルカの方には、「悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。」(ルカ8:31)とありますように、イエス様によって底なしの淵、すなわち地獄に行けと命じられることが一番怖かったようです。イエス様は、このレギオン(=大勢)と言う悪霊に向かって「汚れた霊、この人から出て行け。」と命じました。そうしましたら、自分たちをこの地方から追い出さないようにしてほしいとイエスに懇願して、豚の中に乗り移らせてくれと頼みました。そしてそれをイエスが許可したので、彼らは豚の中に入って、がけから海に飛び込んで全部おぼれ死んでしまいました。本当に不思議な物語です。

ここで汚れた霊、悪霊の特徴が出ております。それはイエス・キリストをちゃんと正しく知っているということです。「いと高き神の子イエス!」と叫んでいます。弟子たちよりもイエスがどんな方であるのかを知っていました。ただ彼らは、イエスは知っていますが、そのお方に救いを求めたり、そのお方の権威に従うということはありませんでした。救い主であり、神の子であることは知ってはいますが、イエス・キリストを恐れ、怖がっているだけなのです。「かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」と叫んでいます。彼らは神に逆らい、最後には滅ぼされてしまう者として存在しているのです(黙示録20:10)。ですから「かまわないでくれ」「苦しめないでほしい」と懇願しているのです。

このレギオン、悪霊の正体は、わたしにかまわないでくれ、わたしとキリストは何の関係もないのだということです。つまり。イエス・キリストが来てわたしたちの罪の身代わりになって十字架に架かって下さり、わたしたちの罪をあがなってくださるお方だということと自分は関係がないということです。キリストを怖がって礼拝していますが、その本心は、十字架の贖いは自分とは何の関係もないと考えている人のことです。「キリストは神の子です」と私たちができないようなすばらしい告白しますが、わたしとは関係がない、キリストの十字架の贖いは何のかかわりもないことだと考えているのが悪霊の本心です。

イエス様は十字架に架かられる前に、弟子たちの足を洗ってこう言いました。覚えていますか。「もしも私があなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる。」(ヨハネ13:8)と言いました。あなた方の汚れた足を洗い続けることによって、わたしとイエス様との関係が存在するのです。この一点においてのみ、わたしたちとイエスとつながっているのです。そこがなければ、わたしたちもこの汚れた悪霊のように、イエスと何のかかわりもないものとなるのです。今日もこの後に、主の流された贖いの血潮と裂かれた体を記念する主の晩餐式をいただきます。そこにおいてのみ、わたしたちとイエス様との接点があるのです。ですから教会は繰り返し、繰り返し、主の晩餐を守ることによってイエス様との絆を確認するのです。

The evil spirit called Legion (it means we are many) shouted “What do you want with me, Jesus , Son of the most High God, Swear to God that you won’t torture me. The evil spirit recognized Jesus is the Son of God, he confessed rightly. But evil spirit will not have a relationship with Jesu, he was afraid of God’s power and authority to cast away the evil one. Evil spirit was afraid the Jesus’s saving work, In other word Jesu came to this world to redeem our sins on the cross and certified the victory through the resurrection from the dead showing an empty tomb. Jesu Christ released us from the sins and dead and demons, so tomb is no power to bind us.

悪霊はそれが怖いのです。十字架が一番怖いのです。なぜならイエス・キリストの十字架において、わたしたちの罪が赦され、十字架において人間を縛りつけている罪と死の鎖が打ち砕かれたからです。そして主は三日後に罪と死と悪魔に打ち勝って復活されました。十字架においてキリストは罪と死と悪魔に最後の裁きを下されたのです。そして、復活を通して罪と死に勝利したことを証明したのです。キリストの復活によって、人間に対して墓はもはや何の力も拘束力も持たないのです。墓には何もないからです。死体はなくなっていたのです。復活したのです。墓に象徴される死の束縛はなくなったのです。それを知っていますから、悪霊はイエスを恐れ、怖がったのです。自分たちを最終的に滅ぼす権威を持っておられるお方だと知っていたからです。ですから「かまわないでくれ、後生だから苦しめないでくれ。」と叫んだのです。

3.正気になった男

主イエスは、悪霊に対して「汚れた霊よ、この人から出て行け!」と命じられました。すると大勢と言う名の悪霊は、海の底に追い出されるのを怖がって、近くにいた汚れた動物である豚の大群に乗り移らせてくれるよう頼みました。そしてそのことが許されると、悪霊は豚の大群に乗り移って行きました。しかし、結局は豚の群れは崖から下って行って、海の中に飛び込んで2千頭もの大群が死んでしまいました。町の人々は何事が起ったのかと思って出てきましたが、豚の大量死の原因が、この墓場にいた人間におこったことが原因だとわかると、イエスにこの地方から出て行ってくれるように言い出しました。

町の人たちにとっては、一人の人間の救いよりは、自分たちの町の産業の方が大事なのです。地域の経済発展のために、汚れた産業の方を好むのです。(豚はユダヤ教では汚れら動物と言われています。食べることを禁じられているのです。)ポルノ産業、原発産業、軍需産業、基地産業の方が大事なのです。地域に悪霊が住み着いて、人間が悪霊に取りつかれて狂って行ってもかまわないのです。産業の方が大事なのです。

この住民たちの拒否にあい、主イエスと弟子たちは、再び船に乗って向こう岸へと帰ってゆくことになりました。この時、悪霊を追い出していただいた男が、主イエスの一行についてゆきたいと申し出ました。しかし、イエス様は「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」(5:19)と言われました。そしてこの男は、このゲラサの地にとどまって、この異邦の地ゲラサの地での最初の伝道者になりました。

Jesus Christ said to this man .“ You evil spirit, come out this man”
Then evil one came out this man. And he sat there and dressed in his right mind. He asked Jesus to follow Him, but Jesus said to him to go back to his family and tell what Jesus has done for him. Then this man became a first evangelist in the Decapolis. Once I was just like this man
living in the tomb and being bound by many chains . But we were released through Jesu’s redemption and resurrection from many chains. Let us tell the gospel to the people who are bound many unseen chains.

イエス様はたったこの一人の男のために、はるばる海を越えてきてくださいました。この地で厄介者にされ、墓場に縛りつけられ、死んだも同然の男を憐れみ、この男から悪霊を追い出してくださいました。このイエス様の一言によって、その御国の権威によって、今まで狂いまわって乱暴を働いて狂人とみなされていた男が、正気になったのです。そしてちゃんと服も着て座っていました。たったこの一人の男のためにはるばる来てくださった主イエスの大きな愛と憐みを覚えずにはいられません。

私もかつてはそのような人間でしたが、本当に主の憐れみによって、正気に立ち返らせていただきました。墓の力から解放させていただきました。でも今なお、同じように悪霊や汚れた霊によって墓に縛りつけられたり、家を無理やり継がせられたり、家業を押し付けられたりして目に見えない束縛の中で苦しんでいる人々がいっぱいいます。この目に見えない鎖の中で、人々は気が狂うほどの苦しみと呻きの中で生きています。

わたしたちはこの主の大いなる哀れみによって、その十字架と復活の力によって、墓場の鎖から解放された者です。自分たちを束縛する鎖はありません。主は十字架に架かられて、三日目に墓から復活されました。墓は暴かれたのです。墓に復活の光が差し込んだのです。死を墓を武器とするサタンや悪霊にも勝利されたのです。この主の憐れみの福音を受けた者として、今もうめき、叫び続けている日本人のために、このイエス・キリストの福音を宣べ伝えてゆきましょう。

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