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城壁の修理 (ネヘミヤ2:11~20)

メッセージ

2012年10月14日富里キリスト教会
「城壁の修復」
(ネヘミヤ2:11~20)

1.城壁とは何か

さて、それでは城壁とは何でしょうか。預言者エリヤは、水の祭壇を築きました。その祭壇が、神殿だとすれば、その祭壇の周囲に掘った溝が城壁です。ソロモンが神殿を築いたとすれば、その周囲に張り巡らしたのが城壁です。イエス様が十字架にかかって、贖いの祭壇となられたならば、あのペンテコステの時の弟子たちの聖霊充満による証しと伝道の広がりが城壁です。私たちは、伝道集会を持ってこの世に福音を知らせ、スモールグループを持って地域で証をし交わりを持って行くならば、そこが私たちの伝道の最前線です。この世と接するところであり、城壁なのです。今日はその城壁の話です。

もし城壁がないならば、敵の進入を簡単に許してしまいます。城壁の中に、異教の偶像や教えを入れないようにしなければなりません。ソロモンの時代に、立派な神殿と立派な城壁ができました。しかし、ソロモンが敵に心を許し、慢心になって、外国の妻をたくさんエルサレムに、そして宮殿に入れました。そのために、いつの間にか偶像がエルサレムだけではなく、神殿の中にまで入り込んでしまいました。

本来、そういう偶像を入れないというための城壁でしたが、心を偶像に赦し油断をするとすぐに偶像が侵入してきます。そういう偶像礼拝、異教の神々、異なる教えの進入を防ぐのが城壁の働きです。神の民は受け入れるが、それ以外は拒む場所です。聖と俗の区別です。聖書の真理の教えとこの世の異端の教えとの区別と排除です。先ほども言いましたが、城壁は教会がこの世に向かって伝道する宣教の最前線であり、かつ異なる教えや淫らなこの世的な生活から抜け出して逃げてくるものをかくまる場でもあるわけです。兄弟姉妹の交わりです。CSでもありSGでもあります。これが、今日の私たちの教会の城壁ではないかと思います。

目に見える城壁を築くことも大事ですが、目に見えない私たち自身の、心の城壁を築くことも大事です。聖と俗の区別、霊的なことと肉的なことの区別、神様の思いとこの世の思いとの区別をしっかりとして、俗的なこと、肉的なこと、この世的な思いをというものを排除してゆく戦いの場、それが私たちの城壁ではないかと思います。そこは外敵サタンとの戦いの最前線です。心の城壁が崩れると、肝心の神殿の中まで偶像が入り込み、神ならぬものを神にして礼拝してしまうということが起こります。

2.城壁の修復

先に帰ったエズラは祭司でしたので、神殿の建築に携わりましたが、ネヘミヤは役人でしたので、エルサレムの町や行政の復興にあたり、その大きな仕事が城壁の修復と再建でした。しかし、この城壁の修復には、細心の注意が必要でした。といいますのは、エルサレムが陥落してから、この地は周辺の異民族が支配しておりました。イスラエルの民が戻って来て、再び神殿を建設したり、城壁を修復することは自分たちにとって不利益につながることでしたので、その復興運動をなんとか阻止しようとしたからです。

A)内部の戦い

ネヘミヤは、エルサレムに到着してから三日間は何もせず、まず休息を取ったうえで、ある夜数名の側近のものだけを連れて、町の城壁の破壊の程度を調査に入りました。2:11から読んでみましょう。「わたしはエルサレムに着き、三日間過ごしてから、夜、わずか数名の者と共に起きて出かけた。だが、エルサレムで何をすべきかについて、神がわたしの心に示されたことは、誰にも知らせなかった。わたしの乗ったもののほか、一頭の動物も引いて行かなかった。」
(ネヘミヤ2:11~12)

ネヘミヤは側近のものを数名だけ連れて、真夜中にこっそりと壊された町の城壁を見て回りました。周囲の人々だけではなく、ユダの人々にも、祭司にも、貴族にも知らせませんでした。ネヘミヤは非常に慎重でした。外部の人々だけではなく、内部の人々にも秘密にしておきました。彼は自分の目で、自分の足で現場に行って見るまでは、この事業が果たして実現可能かどうか確信がなかったのではないでしょうか。苔むした城壁とそこにいる人々の信仰と気持ちを目で確かめたうえでなければ、着工のゴーサインを出すことはできませんでした。

そして、何よりも彼は祈りの人でした。慎重に祈りながら、現場と現実を見極めたうえでなければことを起こさなかったのです。その上で、ネヘミヤは民に呼びかけて城壁の修復工事に着工することを提案しました。現実と現状を見ずして、また人々の信仰と気持ちを見ずしては何事も始まりません。果たしてこの町は、この民は復興するだけの力と信仰があるかどうかを見極める必要があります。実にネヘミヤは慎重かつ用心深い人でした。

B)外部の戦い

さて次は外敵との戦いです。19節から読んでみましょう。「ところが、ホロニ人サンバラト、アンモン人の僕トビヤ、アラブ人ゲシェムは、それを聞いて私たちを嘲笑い、さげすみ、こう言った。『お前たちは何をしようとしているのか。王に反逆しようとしているのか。』そこでわたしは反論した。『天にいます神御自ら、私たちにこの工事を成功させて下さる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する。あなたたちには、エルサレムの中に領分もなければ、それに対する権利も記録もない。』」

サンバラト、トビヤ、ゲシェムは、エルサレム近郊の異邦人の支配者たちですが、彼らにとって、イスラエル人が帰って来て、神殿を建て、城壁を築くことによって自分たちの領分が侵されるとでも思ったかもしれません。彼らは、エルサレムを荒廃したままにしておきたかったのです。そこで、この再建工事を中止させようとしていろんな邪魔をしました。

彼らがどんな妨害工作をしたかといいますと、エズラ4:2では、神殿を建てるのを手伝わせてくれと言って、協力を申し出ました。しかし、協力を断ると、ユダの人々の指揮を鈍らせ、ペルシャ王、アルタクセルクセス王へ謀反ありとの手紙を書いて、工事を中断させました。(エズラ4:2~5)

ネヘミヤの時には、共謀してエルサレムに攻め入り、混乱に陥れようとしました。そのため、人々は、武器を帯びていつでも戦闘態勢に入れるようにしました。そして半数の人が作業をしている時には、残りの人は武器を持って警戒に当たりました(ネヘミヤ4章)。それでもこの三人組は、脅迫と攻撃をやめずに、偽預言者を使って士気をくじこうとしたり、ユダの中の貴族たちと手を組んで、
密告をさせたり、脅迫状を送ったりして、あの手この手を使って何とか工事を止めさせようとしたのでした。彼らは、ユダの人々の中の信仰の弱い人をそそのかして、内部からの崩壊ももくろみました。このようにして、外部からいろんな妨害が、修復工事に対して仕掛けられてきたのです。まさにサタンの攻撃と言っていいかも知れません。

4.サタンの攻撃に抗して

今日の教会も、教会を建て上げ、教会形成をしようとする時に必ず、同じような妨害や攻撃が起こって来ます。確かに教会も、内側にも弱さや破れはありますが、それにもまして外部からの攻撃は大きなものがあります。このエルサレムの神殿の修復の戦いを通して、私たちもしっかりと外敵であるサタンの攻撃を見破り、それに対抗して行きたいものです。

牧師は、人々を迎えるよりも、むしろしっかりとその人を見て判断して、教会員として、この群れにふさわしいかどうかを判断することの方が大事ではないかと最近では思っています。「あなたたちには、エルサレムの中に領分もなければ、それに対する権利もない。」(ネヘミヤ2:20)。ネヘミヤはこう言ってきっぱりと断っています。またエズラ書には「私たちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちではなく、私たちに託された仕事です。ペルシャ王キュロスがそう命じたのですから、わたしたちだけでイスラエルの神、主のために神殿を建てます。」(エズラ4:3)と断言しました。

ですから、特に教会のリーダーである牧師を選ぶときには、手っ取り早く、簡単に誰でもいいやとか、謝礼が少なくて済む方とか、たまたま出席していた牧師ではなく、祈りに祈って、神様が選び遣わされた牧者を選ぶ必要があります。教会が弱く、群れが小さい時にはいろんな協力者が現れるものですが、誰でも仲間に入れたいものです。でも、サタンの偽装に欺かれることなく、祈りの中で信仰と知恵を持って選んでゆく必要があります。

先週も、昔この教会の教会員であった方が見えられましたが、その人の心の傷とか破れとかが、主の愛によっていやされ、もう一度、昔の城壁に組み込まれたらどんなに素晴らしいことだろうかと思いました。そのような心の城壁の修復作業を、主は成し遂げて下さると信じております。ネヘミヤもこう宣言しています。「天にいます神御自ら、わたしたちにこの修復工事を成功させて下さる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する。」(2:20)と。わたしたちも同じような決意を持って、教会の再建、心の城壁の修復を目指して頑張りたいと思います。(岡田 久)

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