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地上での仮の宿 (Ⅰペテロ1:13~21)

メッセージ

2015年6月21日富里キリスト教会

「地上での仮の宿」
(Ⅰペテロ1:13~21)

1.心を引き締めていなさい

「だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが表れる時に与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、召し出して下さった聖なる方に倣って、あなた方自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである。』と書いてあるからです。」        (Ⅰペテロ1:13~16)

ここに「いつも心を引き締めていなさい、身を慎んでいなさい」という言葉が述べられております。口語訳聖書では「心の腰に帯を締めなさい」となっております。私も学生時代には剣道と柔道をやったことがありますが、やはり試合をする時には、剣道も柔道も、帯をしっかりときつく締めなければ力が出ません。帯が緩んでいますと、相手と組んでもまけてしまいます。力を入れるためには、また相手のすきを見て打ち込むためには、まず帯を腰にしっかり締めて、お腹に力を入れなければ闘えません。

しかもペテロは、体の腰ではなく、心の腰に帯を締めなさいと言っています。心にも腰があるのですね。つまり心の中心に常にイエス・キリストを置きなさいということです。この世の楽しみや快楽と言った邪念を捨てるということです。神以外に大事にしている偶像を捨てるということです。英語では、「Prepare Your Minds For Action(行動のために心の準備をしなさい)」となっていますが、いつでも主の御用のために心準備をしていなさいということです。そうでないといざという時に、主の御用のために力が出ないし、闘うことができないからということです。

ですから、わたしたちもいつでも行動ができるように、足腰を鍛えておくようにして、心の準備運動をしていなさいということです。心の準備運動は、毎日規則正しく聖書を読み、祈ることです。この「祈り」「聖書」「伝道」と「愛の一致」という心の準備運動をしておくことが大事です。普段から主の働きのために自分の心を鍛えておくことです。剣道のけいこをする時に、いつも「メン」「胴」「小手」と言って竹刀を素振りするように、毎日毎日、「祈り」「御言葉」「伝道と愛」という基本動作を繰り返し、繰り返し行うことです。

このことによって、心の帯を締め直し、おのずと「身を慎むことも」できるようになります。英語では「身を慎む」という言葉は、「Be Self―Controlled」となっています。自分の体をコントロールして、悪い道に入って行かないように制御するということです。この基本動作を止めますと、わたしたちはすぐに悪の道に踏み込んでしまいます。実に弱い肉の体です。肉の中にはまだ罪が残っています。安きに快楽の方に流れやすいのです。

「あなた方自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。」と言っています。
何度も申しますが、「聖」という字は、「耳」と「口」と「王」というつくりからできています。つまりこれは、「耳」で聖書の御言葉を聞いて、「口」で絶えず主に祈り求めつつ、自分の心の中に、キリストが「王」としていて下さること。これが聖なる者となるために条件ではないかと思います。いつも、しっかりとイエス様に繋がっていることです。わたしたちが忘れても、イエス様の方がわたしたちを忘れていません。今は主の再臨がすぐ目の前に近づいている時代です。いつ主が来られてもおかしくはありません。「祈り」と「御言葉」と「証」と「愛の業」に励みながら、心の帯をしっかりと引き締めて行きたいものです。

2.仮住まいの体

次にこう言っています。「また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、『父』と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、そのお方を畏れて生活すべきです。知っての通り、あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものによらず、きずや汚れのない子羊のようなキリストの尊い血によるのです。」(1:17~19)

聖書では、「わたしたちは地上では仮住まいをしている」と言っています。いわば借家住まいをしているというのです。なぜなら私たちの本当の住む家は、この地上にはないのです。わたしたちの住むべき家は、この地上ではなく天上に備えてあるのです。そこが、わたしたちがやがて帰るべき「マイホーム」なのです。

イエス様もこうおっしゃっておられます。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くといったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ14:2~3)またパウロもこう言っています。「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」(Ⅱコリント5:1)

わたしたちはやがて、この地上の幕屋(=テント)である体を離れて、天にある永遠の住まいに住むことになります。そしてその時には、イエス様がその住む場所を用意して下さって、その準備ができたら迎えに来るとおっしゃっておられます。ですから、わたしたちはこの地上の肉の体を自分のものだと思ってはいけません。大家さんは神様なのです。この仮住まいである体から出るときには、リフォームして新しくしてから返す必要はありませんが、大家である神様を畏れて大事に使わなければなりません。

つまり、この体は自分のものではないということを強く意識し、自覚したいものです。ですから、暴飲暴食をして、不健康な体にすることも神様に申し訳ないことです。また自分の体だから、好きなように使ってもいいと思って、みだらな行為や忌まわしいことや犯罪に使うべきではありません。それは貸主に対する違反行為です。そしてやがては、この体は地上で朽ち果ててしまう仮の宿であるということも覚えたいものです。決して、自分の体だから自由に好き勝手に使ってもいいというものではありません。

体を車にたとえるならば、これは神様から無償でレンタルしているものです。ドライバーである私たちは、この体を大事に違反しないように、法規に従って運転しなければなりません。もし自分のものだと思って、スピード違反して、規則を破って運転したらどうなるでしょうか。自分の体も傷つけ、相手の体も傷つけてしまいます。先日の事故では、一瞬にして4名の尊い命を奪いました。残された一人の子供さんも意識不明の重体ですが、これからの人生をどうやって生きて行くのでしょうか。取り返しがつかないことになってしまいました。

この取り返しのつかないことを、スピードを出したドライバーはしてしまいました。どうしてそんなことをしてしまったのでしょう。それはお酒です。運転前にかなりの飲酒が常習的にあったと報道されています。ちょっとアルコールが入っただけでも、運転するとものすごいスピードが出てしまいます。「一杯くらいが」と思っても、それが二杯、三杯となって行きます。「これくらい大したことはない」と思ってハンドルを握ったことでしょう。別に彼らは犯罪者ではありません。ごく普通の人です。でも「心の帯」が緩んだのです。「セルフ・コントロール」ができなくなったのです。その代償は大きいです。自分の腹を切っても償いきれません。一生この重荷を背負って行くしかありません。

わたしたちの車(=体)が普通の車と違うのは、莫大な保険が掛けられているということです。「知っての通り、あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、金や銀や朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない子羊のようなキリストの尊い血によるのです。」(1:18~19)とありますとおり、キリストの血が失敗や過ちを償って下さったのです。ですから、どんな大事故を起こしてもそれを償って下さるお方がいるのです。相手とかけあって下さり、裁判沙汰になっても、わたしたちの弁護をして下さる方がいつもついているのです。莫大な無限大の補償金さえ、支払って下さるお方です。それはイエス・キリスト様です。このお方が、御自分の尊い血潮と命を持って、わたしたちの罪を償って下さったのです。今も永遠に贖って下さっています。

ですから莫大な保険が掛けられているが故に、事故を起こしてもいいというのではなく、むしろそれにふさわしい正しい品格のある運転をするべきではないでしょうか。これが、所有者である神様と保証人であるイエス様を畏れて生活する者の生き方です。そして早くこの保険に入っていただきたいと思います。イエス・キリストの流された尊い血潮は、わたしたちのどんな違反も失敗も過ちもすべて赦してくださるものです。そして無償で誰でも入ることができます。保険料もイエス様が払って下さるのです。

そしてどんなに安全運転しても、やがてこの体も廃車になる時が来ます。でもその時には、天にある新しい永遠の栄光の体に甦らせて下さると主はおっしゃっておられます。21節に、「あなたがたは、キリストを死者の中から復活させて栄光をお与えになった神を、キリストによって信じています。従って、あなたがたの信仰と希望とは神にかかっています。」(1:21)とあります。

わたしたちの救いは、この仮の住まいを下さった父なる神様と、どんな違反や失敗や過ちを犯してもその罪を贖って下さるイエス・キリスト様にかかっています。ですから、大家さんである父なる神様と、保証人であるイエス・キリスト様を忘れることなく、信じて歩んで行きましょう。心を引き締め、身を慎んで、聖なる生活を目指して歩んで行きたいと思います。   

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