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命綱を断ち切る (使徒言行録27:27~38)

メッセージ

2012年4月29日富里キリスト教会
「命綱を断ち切る」
(使徒言行録27:27~38)

1.はじめに

1月には、イタリアの豪華客船コンコルデア号が、地中海の沿岸で遭難しました。岸に近づきすぎて、船底に穴が開いて浸水しエンジンが停止してしまいました。船は沖に流されましたが、強い海風に押されて岸に押し戻されて、浅瀬に上がって座標してしまいました。三千人を乗せたタイタニック並みの巨大な船体が、浅瀬に横たわっている姿は何とも不思議な光景でした。

パウロたちを乗せた船は、そこまで大きな船ではありませんが、乗員が276人とありますから、当時では大きな船の部類に入っていたのではないでしょうか。やはり風にあおられて、イタリアの南のシチリア島のさらに下にある小さなマルタ島と言う島に漂着しました。今朝は、その漂着の場面です。

2.綱を断ち切る(真夜中の嵐の中で)

まず最初の真夜中の場面の27:27節からもう一度読んでみましょう。
「14日目の夜になったとき、私たちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているのを感じた。そこで、水の深さを測ってみると、20オルギィアであることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、15オルギィアであった。船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨をおろす振りをして小舟を海に降ろしたので、パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。」(使徒言行録27:27~32)

よく私は、説教の中で「船」を教会にたとえて話させてもらっていますが、やはり、今回も嵐の中の教会、しかも難破して漂流している船です。そしてこのまま風に流されるままにしていると、岸の岩場に乗り上げて、あのコンコルディア号のように座標してしまい、船が大破して生命にも関わる危機的な事態に突入しようとしています。そこで起こったことは何かと言いますと、抜け駆けによる逃亡です。

これからどういう事態が起こるかということは、海の専門家であり技術者である船員の方が解っています。かれらは、真っ暗にもかかわらず、陸が近いと直感しました。航海のプロですね。水深を図ってみたら案の定、だんだん浅くなってきました。間違いなく、岸に向かっている、しかし、下手をすると暗礁に乗り上げ、船は転覆してしまいます。迫りくる危険を誰よりもいち早く、察知しました。そこで、本当の海の男なら、船と乗客を守るために最大限の努力をし、危険を避けようとします。

あの原発の技術者が、逃げ出したら、今頃は一基だけではなく6基の原発が全部メルトダウンをして、日本はなかったかもしれません。医者や科学者、知識人はこの原発事故がどんなに恐ろしいことかを知っていますから、そういう科学者や技術者、知識人がいち早く海外に脱出しようとしました。パウロは彼らを逃がさないためにその退路を断ってしまったのでした。ひとたび災害が起こり、事故が起こりますと必要なのは技術者であり、その道の専門家なのです。

私たちも、自分の逃げ道を断ち切って、腹をくくる必要があります。自分の持ち場を最後まで離れないということです。もしこの船が教会だとしたら、皆さんの持ち場はどこですか。覚悟をして、自分の持ち場を最後まで守ることです。教会という船から逃亡してはいけません。そして自分のできることを、神様から与えられている自分の仕事を最後までやり遂げることです。

3.髪の毛一本もなくならない(夜明け前)

次に、夜明けがいよいよ近づきました。33節から読んでみましょう。
「夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。『今日で14日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。』こういってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。そこで、一同も元気づいて食事をした。船にいたわたしたちは、全部で276人であった。十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて舟を軽くした。」
                        (27:33~38)

いよいよ夜明けが近づいて上陸の時が迫りました。その時、パウロがしたことは何かと言いますと、十分に食事をとることでした。その時に、パウロは神に感謝の祈りをささげて食べ始めました。いわば主の晩餐式のようにして食べたのです。イエス様が、私たちの罪のために流してくれたあがないの血潮と裂かれた体を思い出して、感謝の祈りを捧げて食べました。その時に、イエス様がおっしゃった有名な言葉を思い出して、みんなを元気づけました。

それは、マタイ10:29~30の御言葉です。「二羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも1本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」あなたがた、あの一羽の雀よりも価値がある者である。あなたがたの髪の毛の一本一本さえ神は、数えられておられるのだから、決して滅びることはないと言って励ましました。

そして、彼らは、食べてから、大切な食糧である穀物も海に投げ捨てました。この二週間にも及ぶ漂流生活で、彼らは、船の中にある者を次々と海に捨ててきました。最初は、船を軽くして水が入らないようにするために積み荷を海に投げ捨てました。その次には、船具も投げ捨てました。そして、救命ボートの小舟まで綱を断ち切って流しました。そして、最後は一番大切な食糧である穀物さえ、海に投げ捨てて舟を軽くしました。これはなるべく船底をあげて、岩礁に乗り上げないようにするためです。たくさん積み荷があれば、船が重くて沈みます。波も入って来るし、船底も岩にぶつかる危険が増してきます。

私達は、この世のいろんなもの、自分を守ってくれる人生の積み荷をたくさん持ちすぎてはいないでしょうか。もしこの船が、教会だとしたら、信仰生活というものは、この世の積み荷を海に投げ捨てて行く人生ではないかと言ってもいいのではないでしょうか。自分の人生も、嵐にあって、揺さぶられる時があります。そして、信仰生活は、自分のこの世の積み荷を少しづつ手放して行く過程ではないかと思います。自分を支えているもの、財産やお金や地位や生命保険、株、時には家族や友人や生きがいといったものを捨てさせられることがあるのではないでしょうか。

私達も人生の節目節目で、枝葉の部分を切り落とさせられるような痛い体験をすることがあるかもしれません。そういう人は、一本のりんと伸びた竹に似ているとある人は言っていました。つまり、竹の根元の節目が多いほど、しっかりと太い節を作って地面に根を張り、天高くそびえる一本の竹に似ていると。

今はちょうど、朝日が昇る夜明け前の時代です。不必要な積み荷は捨てましょう。そしてこの神の御言葉だけを信じて、まっすぐに生きて行きたいものです。詩編86:11に「皆を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。」という素晴らしい御言葉があります。一筋の心です。神様は、ご自分の一人子を与えるほどに、私たち一人一人を愛して下さいました。そして、私たちの頭の髪の毛一本でさえ、神様は覚えて、気にかけて下さっておられるのです。

4.全員が無事に上陸した(復活の朝)

いよいよ最後の時です。「朝になった」ということは、天国に入るその時のことです。しかしその時にも、思いがけない事故が起こりました。船は、島の砂浜を見つけまして、そこにまっすぐに突っ込んでなるべく岸に近づけようとしました。そして、最後の最後に、船を引き留めていた錨も切り離して海に捨て、舵もほどいて自由にし、船首の帆をいっぱいに張って風に乗ってまっすぐに砂浜に突っ込んで行こうとしました。ところが、途中に運悪く浅瀬があって、船がそこに乗り上げてしまいました。

もし、この船にパウロが乗り合わせていなかったとしたらどうでしょうか。おそらく、兵士たちの手によって、囚人たちは次々と処刑されていたかもしれません。しかし、この神の人であり宣教者であるパウロの存在により、死刑囚の全員が助かりました。たった一人のクリスチャンが、この船に乗り合わせた人々全員の命を救ったのです。災害という死から、そして殺人という罪の死から、パウロは人々を救ったのです。そして、ついに全員が、無事に島に上陸したのでした。総勢276名、一人も失われることはありませんでした。

この第三番目の朝の場面は、何を意味するかと申しますと、向こう岸である天国へゆく時、すなわち夜が明けて新天新地の新しい世界が始まるということです。その時には、私達を乗せて運んできたこの教会は壊れてしまいます。この建物はなくなります。新しい神の国では、このような形ある物は、存在しません。一人一人がその信仰によって、向こう岸にわたるのです。この富里教会の建物に乗って天に上って行くわけではありません。この建物はあくまでも、この世の建物であって、向こう岸には、一人一人が自分の信仰によって泳ぎ着くのです。そして何よりも励まされるのは、たった一人の信仰者によって、この船に乗り合わせた未信者の人々も救われたということです。明確に信仰を言い表さなかった人々も、この一人の人の信仰ととりなしの祈りによって共に、やがて御国に行くことができるという可能性も与えられました。

神様は、私たち一人一人を気にかけ、心配しておられます。眠ることなくいつもご覧になっておられます。髪の毛の一本一本さえ、数えられているのです。今の時代は、本当の真っ暗闇の時代です。何が起こるのか分からない先の見えない夜の時代に入って来ています。時には、大きな嵐が起こり、人生の土台から揺さぶられることがあります。でも、神様は私たち全員を向こう岸に無事に届けて下さる方です。ですから、余分な積み荷は捨てましょう。神様以外に頼りにしているものの命綱を切り捨てましょう。一切を主に委ねる者となりたいと思います。そして、なくてならい只一人のお方にのみ、信頼し、寄りすがって生きる者となりたいと願っております。         (岡田久)

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