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午後3時の祈り (使徒言行録10:1~9)

メッセージ

2015年6月28日富里キリスト教会

「午後3時の祈り」
(使徒言行録10:1~9)

1.祈りによって全てが始まる

一人の魂が救われてゆく過程には、五つのプロセスがあります。ちょうど先週は「バプテスト教会とバプテスマ」の学びを祈祷会でしておりましたので、この使徒言行録からいくつかのケースについて学びました。①ペンテコステの時の三千人のバプテスマ(使徒言行録2章)②エチオピアの宦官の救い(使徒8:26~40)③サウロの回心(使徒9:1~20)④イタリアの百人隊長コルネリウスの救い(使徒10章)⑤紫布の商人リディアの救い(使徒16:6~15)⑥フィリピの獄吏の救い(使徒16:25~34)などについて学びました。

バプテスマを受けるまでは、どんなプロセスがあるかと言いますと、まず「祈り」です。次に「御言葉の宣教」、そして「悔い改めと信仰決心」、そして「バプテスマ」、更に「新しく生まれ変わった者の生き方」という形で、五つのプロセスを経て順番に述べられています。このローマ人の隊長コルネリウスの場合もそうでした。コルネリウスとペテロの「祈り」があり、コルネリウス宅での集会でペテロが「御言葉」を語りました。すると聖霊のバプテスマによって、ローマ人が聖霊の賜物である異言を語るようになりました。それから「バプテスマ」があり、しばらくペテロはカイサリアに留まって御言葉を語り続けました。初心者のための信仰訓練をしたのです。いずれにしましても、まず祈りが最初にあったということです。そして今朝は、この祈りの大切さについてもう一度みてみたいと思います。

2.午後3時の祈り

「さて、カイサリアにコルネリウストいう人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後3時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。」
(使徒言行録10:1~3)

コルネリウスはローマの精鋭部隊の隊長でした。異邦人ではありましたが、非常に信仰心があり、家族そろって神を敬っていました。四つの特徴が述べられています。「信仰心があつかった」「家族で神を畏れていた」「ユダヤ人に多くの施しをしていた」「絶えず神に祈っていた」とあります。彼は恐らく、ユダヤ教のことを知り、またその道を求め、異邦人ではありましたが、ユダヤ人以上に神の存在を認め、神を畏れて礼拝をしていたと思います。しかも家族そろってです。ユダヤ人にもいろんな施しをして、住民からも好意を持たれていました。

絶えず神に祈っていたとありますから、イタリア人でありながら、ユダヤ教の習慣に倣って一日三回、朝9時、昼の12時、そして午後の3時に自分で祈りの時を持っていたようです。いかがですか、皆さんの中でこのようにして一日三回祈りの時間を取っておられる方はいるでしょうか。わたしもできません。
わたしは朝と午後3時と夜寝る前に祈っていますが、日中は正直言いまして午後の3時だけです。コルネリウスは、異邦人であり、しかも泣く子も黙る「イタリア部隊」の隊長です。そういう兵士が一日三回祈りの時を持っていたのです。

このようにして、伝道は祈りに始まり、祈りに終わるといっても過言ではないと思います。常に祈りの時を持っていたコルネリウスに、神様が幻を通して語りかけました。「ヤッファへ人を送って、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、皮なめし職人シモンという人の客になっている。シモンの家は海岸にある。」(10:4~6)と天使は語りました。

これを聞いたコルネリウスは、部下をペトロのところへと遣わすことになりました。しかも、その中にも「側近の部下で信仰心の熱い一人の兵士」を加えたとあります。いかにこのローマの隊長は、自分だけではなく家族も、そして自分の部下の中にも同じような信仰のあつい仲間を持っていたかです。家族の救いだけでなく、職場でも同僚や部下の救いについても普段から祈っていたことが分かります。伝道熱心でした。祈る人は伝道もするのです。祈りと伝道は、コインの裏と表のように同じことではないかと思います。

さらにあのペンテコステの時に聖霊が下ったときは、朝の9時の祈りの時でした。また、このコルネリウスの祈りに連動して、神様がペテロに働かれて、ペテロが出かけて行く決心をしたのも、昼の12時の祈りの時でした(10:9)。このように神様がユダヤ人や異邦人の間に働かれて、救いの業を起こして下さるのは、クリスチャンの朝9時、昼の12時、そして午後の3時の祈りの時に起こっていることが分かります。わたしたちも日中にも祈る時間を確保したいものです。たとえそれぞれ住んでいる場所、生活している場所は違っても、わたしたちが心を一つにして、時間を決めて祈るなら、神様にわたしたちの祈りが届いているはずです。

ここでも天使は、コルネリウスに対して「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられている。」(10:4)と言っています。このコルネリウスの午後3時の祈りに答えて、神様が、同じようにペテロにも働かれました。「翌日、この3人が旅をしてヤッフォの町に近づいたころ、ペテロは祈るため屋上に上がった。昼の12時頃である。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。」(10:9~10)昼の12時ころです。しかもお腹がすいたころだったと書いてあります。

ペテロは、「12時になってもお腹がすかないで祈りに専念していた」というのではないのです。日常の普段の生活の中で、この祈りの時を持っていたのです。おそらく、お腹がすいて、お昼を食べたからですと眠くなってしまいます。ですから眠くなる前に、空腹を我慢して祈りの時間を持っていたということです。とても人間的で共感が持てますね。ですからきっかり時間を決めて12時ちょうどとか、3時ちょうどではなくても12時ころ、3時ころでもいいですから、その時間帯に祈って行きたいものです。

3.祈りの手

最後に今週は神学校週間です。西南学院、東京バプテスト神学校、九州バプテスト神学校のために祈る週となっております。そしてイエス様がこうおっしゃいました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送って下さるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ9:37~38)と。今週は神学校で働いている先生方、また学んでいる神学生の方々が良き備えをして宣教の働きに出かけて行くことができるように祈りましょう。特に、伝道者、宣教師といった献身者がおこされるように祈ってください。また信徒伝道者として、伝道の働きができる信徒の方々がおこされるようにお祈りください。そして神学校献金を献げて行きましょう。そのためにも祈りが必要です。午後3時に教会員全員が心を一つにして祈りましょう。

わたしたちの手は、やはり神様に向けて祈るために造られたのではないでしょうか。「男は怒らず争わず、清い手をあげてどこででも祈ることです。」(Ⅱテモテ2:8)朝に夕に、そしてぜひ午後3時という一番忙しいときこそ、手を休めてその手を神に向けて祈りの姿勢をとることも、最も人間らしい姿であり、大切な時ではないでしょうか。世界伝道も個人伝道も家族伝道もすべて、伝道は祈りから始まります。祈りなしには伝道はあり得ません。どうか午後3時の祈りに立ち上がって下さい。わたしたちは神の前に祈る者として造られました。祈る人は伝道します。また伝道する人は祈ります。祈りと伝道は切り離すことができません。世界祈祷週間でも、世界伝道のためには祈る人の手が必要なのです。神学校週間もそうです。宣教師や牧師を送り出して下さるように、そして自分自身も主の証し人となって出て行くことができるように祈りましょう。

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