ようこそ、富里キリスト教会の公式ホームページへ

午後3時の祈り (使徒言行録10:1~8)

メッセージ

2012年3月25日富里キリスト教会
「午後三時の祈り」
(使徒言行録10:1~8)

1.百人隊長コルネリウスの信仰

さて、今日は宣教題を「午後三時の祈り」とさせていただきました。少し変な題ではないかと思う方もあるかもしれませんが、今日の聖書箇所を読んでみたいと思います。「さてカイサリアにコルネリウスという人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て『コルネリウス』と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。」(使徒言行録10:1~3)

ところが今日のお話は、ユダヤ人ではなく、異邦人のしかもイタリア人の兵士の中に、ユダヤ人顔負けの非常に信仰深い一人の兵士のお話です。その名をコルネリウスと言いました。見るからにイタリア人らしい名前です。当時、パレスチナ地方は、ローマ帝国の支配にありました。カイサリアという町は地中海に面した植民都市でして、ローマの文化や建造物が多く建てられていました。
そこにローマの部隊が五大隊三千人が駐屯していたと言われています。一大隊が六百人で、その中に百人の部下を持つ百人隊長がいました。

そして、このイタリア人による百人隊長のコルネリウスについてみますと、異邦人でありながら、信仰心があつかったと記されています。2節には、「信仰心あつく」「一家そろって神を畏れ」「民に多くの施しをし」「絶えず神に祈っていた」とあります。信仰深いユダヤ人にまさるとも劣らないほどの敬虔な心の持ち主でした。どうして、異邦人の中に、しかも兵隊の中にこのようの人が存在したのか不思議です。

A.信仰心があつく

まず「信仰心があつい」と言われていました。英語では「デボート」となっておりまして、信心深い、専念しているという意味です。つまり、いつも神様を意識して考え、神様のことを思って行動するということでしょうか。朝の静聴の時間を英語でデボ―ションといいますが、おそらく常に神様を意識して祈りつつ生活していたと思います。コルネリウスは、いわば占領軍の兵士です。

彼は、ペテロが自分の家に来た時に、自分の親類や友人を集めていて、自分の家を伝道集会の会場にしました。そして、ペテロをうやうやしく出迎えて、ペテロの足もとにひれ伏して拝んだと記されています。(10:25)その時、ペテロはコルネリウスを起こして、「お立ち下さい。私もただの人間です。」と言って、コルネリウスを立ち上がらせています。本来、占領軍の将校として、ペテロなど目にもくれない人間が、ガリラヤの漁師ペテロを、尊敬して畏敬の念を持って招待したのです。こういう所にも、彼が信仰深かったということが分かると思います。

B.一家そろって神を畏れていた

そして、彼の敬虔さは、自分だけではありませんでした。「一家そろって」とありますから、はるばるローマから連れてきた自分の家族や親せきもろとも、神を畏れる家族でした。ここにも彼の信仰の素晴らしさがあります。自分だけではありません。自分の家族も全員神を畏れる信仰を持っておりました。そして、ペテロを招いた自宅での集会には、自分の家族はもちろん、自分の親戚や友人まで集めて待っていました。いかに彼が、普段から家庭でも職場でも神を敬う生活の証をしていたかということです。

さらに、7節を見てみますと、自分の二人の召使いと、自分の側近の部下、しかも信仰心のあつい兵士の三人をペテロを招くための使者として遣わしております。自分の部隊の部下の中にも同じ信仰の熱い兵士がおりました。こうして見てみますと、コルネリウスは、彼を取り巻くあらゆるところでユダヤ人の信じている唯一の神を証し、彼らを信仰に招き家族ぐるみ、職場ぐるみで信仰の友を作っていたということです。

C.民に多くの施しをした

そして、さらに自分の私財を投げ打って、ユダヤ人の会堂の修理や貧しい人々に対して慈善活動をしていたと言われています。わたしも、大学生時代、米軍基地のある三沢のアメリカ人のカルバリーバプテスト教会から、貧しい日本のクリスチャンの学生のためにということで、毎月10ドル4年間、無償で奨学金をいただきました。3,600円ですが、貧しい私にとってはどんなに助かったかです。

もちろん、駐留軍、被占領国という社会的な関係は、本来あってはならないわけですが、信仰というものは、占領軍であろうが、被占領国民であろうが、その立場を越えて、愛と信仰の内に働くのではないでしょうか。むしろ、信仰の世界においては、占領軍の将校であるコルネリウスが、被占領国の一市民であるペテロに対してまるで神を拝むかのようにして招待したのです。ペテロはヘブライ語で話し、誰かイタリア語に通訳したかもしれません。信仰こそ、国境を超え、民族を超えて、イデオロギーを超えて一つにさせてくれます。どこの国の人であろうが、神の前に同じ罪人の一人として立たせてくれるのではないでしょうか。ここに、真の平和があるような気がします。

D.絶えず神に祈っていた

そして何よりも、この敬虔なローマ軍の隊長のすばらしいところは、神に祈っていたということです。しかも、神に祈っていたのです。ローマに住んでいれば、おそらく当時のローマの皇帝を崇拝しなければならなかったと思います。かつての日本軍が、人間である天皇を軍神として礼拝していたように。カエサルの軍隊が、皇帝礼拝をしないで、目に見えない神を拝んでいたわけです。

しかも、ローマが占領している国の神を信じて、朝に夕に祈りをささげていたということは、なかなかできることではありません。上司に知れたら、どんな厳罰を下されるか分からないからです。しかし、それでもコルネリウスは、死を覚悟してまでもユダヤ人の神を信じて祈っていました。しかし、彼には、どんな神なのか、自分が畏れ敬っている神とは誰なのか、まだ十分解りませんでした。ですから、誰かに来てもらって、自分が求めている神とは誰なのか、かつて十字架にかけられたメシヤとは誰なのか、もっと詳しく知る必要があったのです。そのことを、コルネリウスは神に祈っていたのではないでしょうか。

2.午後三時の祈り

コルネリウスは、ユダヤ人から見れば神に見捨てられた異邦人ではありますが、
それでも彼なりにユダヤ人の習慣に倣って、午後の三時に毎日敬虔な祈りを捧げていました。3節に「ある日の午後三時ごろ」という言葉があります。また、10:30のところにも「わたしが家で午後三時の祈りをしていますと」という言葉があります。そして、同じ使徒言行録の3:1にも、「ペテロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った」という記事があります。

ですから、この午後三時という時間帯は、ユダヤ人の祈りの時間帯だということです。ユダヤ人は、一日三回、朝9時、12時、そして午後の3時に祈る習慣があったと言われています。もしこれが事実だとしたら、一日中祈っていなければならないことになります。私たちも、朝早く起きて静聴の時を持ちます。そして夜寝る前にも祈って休みます。その上に、このユダヤ人の祈りの習慣に従って日中三回祈りの時間を取りますと、合計五回となります。おそらく一日中祈っていることになるのではないでしょうか。毎日が祈祷会のようなものです。

私も、実際にこの午後三時の祈りをやってみますと、なかなか時間が取れないのです。ちょうど説教を作っている時間になったり、買い物の時間になったり、庭の草取りの時間になったりしてこの時間に合わないことがあります。ですから、今では午後三時の前後一時間の余裕を持って祈らせていただいております。それでも、日中に祈りの時間を取るということはなかなか難しいし、祈らないでしまうことがあります。そのぶん、神様はこの忙しい時間帯を用いて、神様の伝道の働きをされるのではないでしょうか。

このコルネリウスは、異邦人で救われた最初の魂です。その異邦人の救いを、ペテロが起こしたわけです。もしペテロが、この異邦人に福音を宣べ伝えていなければ、キリスト教は、ユダヤ教の一派として、エルサレムだけに留まって、やがて歴史の中に埋もれて消えてしまっていたかもしれません。

4.祈りを通して働く神

そこで、神は、この異邦人コルネリウスの午後三時の祈りに答えて、ペテロが祈っている時に、一つの幻を通してペテロに、異邦人のところへ行くようにされました。それがちょうどペテロが、昼の12時の祈りをしている時に起こりました。

「翌日、この三人が旅をしてヤッフォの町に近づいたころ、ペトロは祈るため屋上に上がった。昼の十二時ごろである。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に降りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい。』という声がした。しかし、ペトロは言った。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません。』」(10:9~14)

ペトロは、汚れた物は食べませんでした。しかし、神様は、ペトロが食べるように、ちょうど昼の食事の時間帯を狙って、ペテロのお腹がすいたころに、いろんな動物や鳥の入った布を天からつりおろしました。「食べなさい」、「いや食べません」というやり取りを三回しているうちに、ペトロは我に返りました。
そこに、ちょうどコルネリウスの使いが三人やって来ました。ペトロは、先ほどの幻を思い出して、これは神様がきっと私に汚れた異邦人のところに行きなさいということではないかと思って、思い切って三人を家に迎え入れ、食事をすることにしました。こうして、異邦人への伝道の道がようやく開かれたのです。

これは神様が、コルネリウスの祈りに答えて、ペトロが祈っている時に幻を見せ、ペトロの律法主義的な偏見を取り除いて、異邦人への伝道の道を開いて下さったということです。これらのことは、すべて祈りの時間帯に、祈っている時に起こりました。皆さん、神様は必ず祈りに答えてくださいます。私たちの小さな祈りに、必ず耳を傾けていてくださいます。そして、コルネリウスのように、誰かクリスチャンを遣わして欲しいと待っている方がいると思います。

この後、ペトロがコルネリウスの家に行って福音を語りますと、集まっていた人たちに聖霊が下り、神様はユダヤ人だけではなく、異邦人にも誰に対しても分け隔てすることなく、聖霊を注いでくださるということがみんなの目に明らかになりました。(10:44)これを機に、異邦人伝道が、エルサレムのユダヤ人クリスチャンの目から見ても、神の御心であることが証明されて教会は大きく地中海世界に拡大してゆきます。そして、異邦人への伝道を託されたパウロの時代へと移って行くことになります。

祈りましょう。特に午後三時の祈りにチャレンジしてみませんか。祈りを通して、神様は私たちの間にあって力強く働いて下さいます。私たちも祈られています。誰かがどこかで、皆さんのために祈っております。そして、誰かを私のところに遣わして下さいと求めている方もおられます。そして、神様はこの祈りを確実に聞いて下さっております。祈りが私たちの心を変え、相手の心を変え、祈りを通して神の福音が力強く前進してゆくのではないでしょうか。
(岡田 久)

powered by Quick Homepage Maker 4.50
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional