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偶像の部屋 (エゼキエル8:1~13)

メッセージ
2016年10月9日富里キリスト教会

「偶像の部屋」
(エゼキエル8:1~13)

1.神の都エルサレムの堕落

「第六年の六月五日のことである。わたしは自分の家に座っており、ユダの長老たちがわたしの前に座っていた。そのとき、主なる神の御手がわたしの上に下った。わたしが見ていると、人の有様のような姿があるのではないか。その腰のように見える所から下は火であり、腰から上は琥珀金の輝きのように光輝に満ちた有様をしていた。彼が手の形をしたものを差し伸べて、わたしの髪の毛の房をつかむと、霊はわたしを天と地の間に引き揚げ、神の幻の内にわたしをエルサレムへと運び、北に面する内側の門の入り口に連れて行った。そこには、激怒を起こさせる像が収められていた。」(8:1~3)

第六年の六月五日と言いますのは、ユダの王エホヤキンが捕囚となってから6年目ということです。エゼキエルの家ではユダの長老たちが集まって、会合かあるいは礼拝をしていたのかもしれません。すると突然、主の手がエゼキエルの髪の毛をつかんで空中に引き揚げました。地と天の間とありますから、相当高いところまで引き上げられたようです。そしてエルサレムの都まで一気に彼を持ち運びました。これは幻の中でおそらく一瞬のうちに起こったことと思います。そしてエゼキエルはこの後、エルサレムの四つの忌まわしい偶像礼拝を目撃することになります。

1)神に激怒を起こさせる像

まず第一に、エルサレムの町の北門のところまで連れて行きました。そうしましたら、そこには神が激怒するような像が、祭壇の中に納められていました。
ある注解書には、「みだらな情欲を引き起こさせる色情の像」と書いてありました。神が激怒するような像だったのです。どんな像だったのでしょうか。おそらく口にするのも恥ずかしいような像だったのではないでしょうか。

2)地を這うものや獣の部屋

そればかりではありません。神殿の中の秘密の部屋の中でも同じようないかがわしい礼拝が行われていました。「彼はわたしを庭の入り口に連れて行った。見ると、壁に一つの穴があるではないか。彼がわたしに、『人の子よ、壁に穴をうがちなさい。」と言ったので、壁に穴をうがつと、そこに一つの入り口があるではないか。彼は、『入って、彼らがここで行っている邪悪な忌まわしいことを見なさい。』と言った。入って見ていると、周りの壁一面に、あらゆる地を這うものと獣の憎むべき像、およびイスラエルの家の長老70人が、シャファンの子ヤアザンヤを中心にして立っていた。彼らは、それぞれ香炉を手にしており、かぐわしい煙が立ち昇っていた。彼はわたしに言った。『人の子よ、イスラエルの家の長老たちが、闇の中でおのおの、自分の偶像の部屋で行っていることを見たか。彼らは、主は我々を御覧にならない。主はこの地を見捨てられたと言っている。』」(8:7~12)

壁に穴をうがつということは、簡単に言いますと壁に穴をあけるということです。そこから隠されていることを見抜くという意味もありますが、いずれにしても神殿の中の隠された秘密の部屋の中にイスラエルの長老70人がいました。長老70人と言いますのは全議員のことを指しています。その中に、捕囚の民の間にも名が知れていたシャファンの子ヤアザンヤが、真ん中に立って香をたいていました。そして忌まわしい動物の彫り物を拝んでいたのです。這うものですから、蛇やトカゲやさそりと言った汚れた生き物、そしていろんな獣の像などが壁一面に彫られていました。しかもその部屋は隠されていて、暗くして誰も入れないようにして秘密の儀式をしていたのです。神殿の壁に穴を開けなければ見れないものでした。そして彼らは、神はこの儀式を見てはないと思っていました。「神には分からない、どうせ神は我々を見捨てられたのだから、神なぞいない。」と秘密の儀式をしていたのです。しかも神殿の中です。

3)タンムズ神

三番目はタンムズ信仰です。「彼はわたしを、主の神殿の北に面した門の入り口に連れて行った。そこには、女たちがタンムズ神のために泣きながら座っているではないか。」(8:14)このタンムズ信仰というのも、古代から広く信じられていた宗教で、いつの間にかイスラエルに入ってきました。土地が焼けて植物が枯れる夏は、この神は死んでしまいます。しかしタンムズの姉妹であるイシュタルとの結婚によって、春になるとまたタンムズは復活して芽を出して来るのです。これによって、死んで甦る神とされていました。そしてこのタンムズが死ぬ夏の時季に、女たちは喪に服して嘆き悲しむ習慣があると言われていました。ですから、イスラエルの女性達もこの季節の移り変わりを支配し、死と復活の輪廻の神タンムズを信じていたのです。イスラエルの女性たちが、タンムズを信奉し、嘆き悲しんでる場面をエゼキエルは幻の内に目撃しました。

4)太陽神

そして四番目の偶像礼拝は、太陽を礼拝することでした。これはエジプトの太陽礼拝に由来します。「彼はわたしを主の神殿の中庭に連れて行った。すると、主の聖所の入り口で、牢と祭壇の間に、25人ほどの人がいて、主の聖所を背にし、顔を東に向けていた。かれらは東に向かって太陽を拝んでいるではないか。」(8:16)ここでは25人ほどの人が、肝心の主の聖所に背中を向ける形で、太陽の方に向かって礼拝をしていたのです。これほどはっきりと、神に背を向けた礼拝はないのではないでしょうか。

このようにしてあの神の都エルサレムの神殿で、偶像礼拝の秘密の部屋があり、町の中でも神殿の中でも、神ならぬ神々を公然と、また密かに隠れて礼拝をしていたのです。この偶像礼拝のゆえに、神はイスラエルの怒りを向け、エルサレムを敵の手に渡し、王をはじめ多くの人々を遠くバビロンまで追いやったのでした。それは、不信の民に対する神の裁きではありますが、実はこの敗北と捕囚の苦難を通して、彼らが真に悔い改めの信仰に立ち帰ることを願っていたからなのです。

2.なぜ偶像が入り込むのか

あの華麗さと宗教的な厳かさを誇ったエルサレムの神殿に、どうしてこんなに偶像がはびこってしまったのでしょうか。それは国が不安定になって来ると、どうしても目に見える力に頼ってしまうからです。自分たちの神を忘れて、武力を持って助けてくれる神、経済力を持って助けてくれる神を求めたのです。

この世の神である経済力、軍事力は、実に巧妙にイスラエルの国に入って来て、いつの間にか神殿に祭られるようになったのです。前にも出て来ました、北の王アハブの妻イゼベルは、自分たちの国シドンの神バアルを持ち込みました。そしていつの間にか、イスラエルの国がバアルの祭司でいっぱいになり、ヤハウェの祭壇も破壊されて、バアルの神々が祭られるようになりました。経済優先、軍事優先になると他の神々が入って来ます。国の一番の中心である王の堕落から、イスラエルの腐敗が始まりました。

神殿は経済活動をする場所ではなく、目に見えない真の神を礼拝する場所です。
あのイエス様も、神殿で商売をしていた人々を追い出してこう言いました。「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである。ところがあなたたちはそれを強盗の巣にしている。」(マタイ21:13)経済の衣をまとった偶像礼拝は、実に巧妙にわたしたちの礼拝の中にも入って来ます。そして経済のために礼拝を休ませようとします。まことの神よりもお金を拝ませようとします。商売繁盛と家内安全を優先させようとします。わたしたちも毎週、この誘惑に直面し、これと戦いながら礼拝に来ています。

3.自分の心の小部屋をのぞいてみよ

今週からわたしたちも自分の心の部屋を点検してみましょう。神ならぬものを神としていないか、何かに心を縛られてはいないか。わたしたちの心の中に情欲を引き起こさせる偶像に縛られていませんか。映像の世界にのめり込んではいませんか。怪しげなオカルト的なもの、スピリチュアルとか自然崇拝です。

神と合体するとか、宇宙の神と交信するとかと言ったニューエイジムーブメントが若者の間にはやっているそうです。そして香をたいて、その煙が立ち昇るなかで黙想して、神と合体するというような神秘経験を楽しんでいるという方はいないでしょうか。わたしたちの神様は、この聖書の御言葉を通して出会って下さいます。聖書の御言葉は両刃の剣で、わたしたちの心の中まで穴をあけ、すべてを明らかにされます。

まさに穿つという言葉が示すように、わたしたちの隠されている秘密に触れることのできるお方なのです。後はわたしたちが心の扉を開いて、心のドアを開けるかどうかです。もちろん神様はその中に何があるかは、すでにご存じです。でも無理矢理こじ開けたりはしません。わたしたちの方からすすんで主に自分自身を明け渡すことを待っておられるのです。

もし何か自分の心の小部屋の中に、何か神様に見られたくないもの、秘密にしておきたいものがありましたら、今日、ここでそのことを主に告白して、自分の心の中に主を迎えましょう。主は決して私たちの悪を責め、わたしたちを滅ぼそうとしておられるのではありません。わたしたちが悔い改めることを願っておられるのです。わたしたちが自分で自分の心の中の偶像を取り除くことはできません。取り除いてくださるのは唯一イエス様だけなのです。この主イエスの十字架を見上げるだけでいいのです。

エゼキエル書のテーマ「悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。」です。「彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。」(18:30,28)とエゼキエルは言っています。主の目に隠されているものは何もありません。隠しきれません。自分のしたこと、良いことも悪いこともすべて御存じです。ですから、わたしたちはそのことを隠すのではなく、それらを持ったままで主を見上げようではありません。主に心を明け渡して主に清めてもらいましょう。主は必ず私たちを清め、生きるようにして下さいます。    

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