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今の時を用いよ

メッセージ

2009年9月27日富里教会
           「今の時を用いよ
                 (エフェソ5:15〜21)

1.聖霊に満たされなさい
今月のメッセージを振り返ってみますと、一つの共通点があるような気がします。それは、「聖霊」という言葉です。残念ながら、クリスチャンの中でもこの聖霊様についてあまり認識がない方がおられます。神様、イエス様という言葉は言いますが、聖霊様と言う言葉を口から出したことのない方がおられます。でも、聖霊様も神様の一人で、ちゃんとした人格を持っておられる方ですから、私達が拒めば聖霊様も悲しみます。やり取りができる方です。また、私達が罪を犯したり、悪いことをすれば、イエス様はもちろん、聖霊様も悲しむお方です。悲しむという感情も持っておられます。

この聖霊様のいろいろな働きが、このエフェソの手紙の中に書かれてありますので、少し見てみましょう。まず、1:13に「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、私達が御国を継ぐための保証である。」とあります。聖霊様は第一に、私達が神の子であり、天国に入るためにあらかじめ与えられた保証書のようなお方だということです。私達は信仰によって、すでに神の所有物であるという太鼓判を押されたのです。

第二は、キリスト様を私達の心の中に届けて下さいます(3:16〜17)。第三は、私たちを一つに結び付けて下さり、一致を与えて下さる方だということです。(4:3〜4)。第4四番目に、聖霊様は悲しまれるお方だということです。4:29に「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聴く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保障されているのです。」私達が、悔改めず、いつまでも、悪い言葉を語ったり嘘をついたりすると、聖霊様が悲しまれます。聖霊の火が消えてしまわないようにする必要があります。そして第五番目には、御言葉の剣として働き、人々の心の中の罪を明らかにすること、そして祈りを助けること(6:17〜18)などがあげられています。

私達は、イエス様を信じた当初は、聖霊様の「はんこ」を押していただきました。ですから皆さんすでに聖霊様をいただいているのです。しかし、聖霊様の力が弱いのです。ですから、私達はもっと聖霊様に心の中を満たしていただくよう祈る必要があります。それが、今朝の六番目の御言葉です。「聖霊に満たされなさい」ということです。5:15〜19までを読んでみましょう。
「愚か者としてではなく、賢いものとして、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから無分別なものとならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩篇と賛歌と霊的な歌によって、語り合い、主に向って心からほめ歌いなさい。」

私達は、どうしたら聖霊に満たされるだろうかと考える時があります。クリスチャンなら誰でも聖霊に満たされて、いつも喜びに満ちた生活を送りたいと願います。でも、この世のいろんな誘惑が絶えず私たちを襲ってきて、以前のふしだらな生活に引き戻そうとします。ここでは、酒に酔うという誘惑が付きまとってきています。まだ聖霊様の力が弱いので、クリスチャンであっても酒に飲まれてしまうことがあるのです。

2.詩篇と賛歌と霊の歌を歌いなさい
聖霊に満たされるためには、19節「詩篇と賛歌と霊的な歌によって、語り合い、主に向って心からほめ歌いなさい。」とあります。聖霊に満たされるためには、まず、詩篇の朗読、賛美歌、霊の歌を歌うことです。これは、今朝、私達がしたように10時から集まって来て、賛美歌、特に霊の歌を歌いました。讃美歌は神様をほめたたえるための、厳かな歌が多いですが、霊の歌は少し歌いやすいフォーク調の歌や元気の出る明るい歌などがあります。この賛美の声が上がることによって、そこに神様が御臨在するのです。その時、歌いながら、私達は神様の圧倒的な御臨在に触れ、感激して思わず涙がこぼれることもあるでしょう。心が熱くなって燃やされると言うようなこともあるかもしれません。

同じような言葉が、コロサイ3:16にもあります。「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩篇と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」と。
ここでも、「詩篇と賛歌と霊的な歌」となっています。そして、「互いに教えあい、諭し合いなさい」とあります。これが先ほどのエフェソ書の「語り合い」ということの中身ではないでしょうか。そこでは、お互いの罪を告白したり、自分の弱さや失敗を証しながら、共に語り合います。ただ集まって黙って聞いているだけではなく、互いに語り合い、学びあうことです。この賛美と語り合いを通して、私達は聖霊に満たされるようになるのではないでしょうか。そして、そこに未信者の方が入ってきたら、共に神様の御臨在に触れ、御言葉と聖霊様の働きによって、心の秘密が露わにされて、罪を悔い改めて、共に神様を礼拝するようになるのです。(1コリント14:23〜25)

3. 今の時を用いよ
16節に「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別なものとならず、主のみ心が何であるかを悟りなさい。」とあります。今日の時代に生きる私達に、何が求められているでしょうか。「愚か者としてではなく、賢いものとして、細かく気を配って歩みなさい」(5:15)とありますが、この賢さと言うのは神様から来ます。賢く歩むと言うことはまず、神様を畏れ敬うことから始まります。ちょうど、今祈祷会では箴言を学んでいます。「主を畏れることは、知恵の初めである」(箴言1:7)という言葉がありますように、賢く歩むためには、まず主を敬い、主を目の前にして、祈りつつ、主の御臨在の中を昼歩くように、つつましく歩むことです。

高慢になることなく、神様が私達の教会を祝福していて下さっていればいるほど、もっと慎重に、気を配り、善悪を見分けて、分別を持って歩むことを教えられました。箴言の中に「自分自身を知恵あるものと見るな。主を畏れ、悪を避けよ。」「力と慎重さを保って、見失うことのないようにせよ。」(箴言3:7,21)という御言葉がありました。神様の驚くほどの恵みを覚えれば覚えれほど、慎重に、時を見分けて、時を捕らえて生かしてゆくことが大切です。

先週、買い物に近くのスーパーに出かけました。すると、驚くような真っ赤な夕日を見ることができました。ほんの短い時間でしたが、西の空の雲が夕日に染まって、空全体が真っ赤に染まっているのです。この世のものとは思えないほどの今まで見たことがない、夕焼けの空でした。その時、「あ、そろそろイエス様の再臨の時が近くなったのかな」と思いました。

今世の中は政権交代で、将来に対する希望が全国民を覆っているような気がします。新しい内閣が新しい政策を次々と打ち出して、国民が期待をもって見ています。でも、私達のマニフェストは何でしょうか。教会のマニフェストです。それは、「イエス・キリストは私達の罪のために十字架にかかって下さり、罪を贖い、三日目に復活されました。そして、再びこの世に来られる。その時、聖徒は甦って天にあげられ、空中で主とお会いし、天国で永遠に主と共に生きる」と言うことです。そしてこのマニフェストの十字架と復活はすでに実現されました。あとは再び主が来られると言う、最後のマニフェストの約束を待っています。

最後に、ヘブライ書の10:24〜25をお読みしたいと思います。「愛と善行とを励むように互いに務め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」とあります。「かの日」すなわち、主の再臨の日が近づいている時です。ですから、集会を止めないようにしなさい。いやむしろ、私達は、その日のことを思うと、もっと熱心に、賛美と感謝の歌を捧げ、共に集まって、御言葉を学びたいものです。自分の歩みについて、もっと真剣に目を覚まして、「今」という時を大切にして歩みたいものです。

「今」が大事なんです。今を真剣に、真面目に生きる。二度と来ないこの瞬間、この時間を精一杯、全力を尽くして生きるならば、そこが天国であり、神様の御栄光が現されるのではないでしょうか。特に共に集まって、祈り、そして賛美と霊の歌を持って語り合いましょう。そこに神様の御栄光が現れるのではないかと信じています。                  
                                 (岡田 久)

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