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互いに建て上げる教会 (ローマ14:19~15:6)

メッセージ

2010年12月12日富里教会
「互いに建て上げる教会」
(ローマ14:19~15:6)
1.教会はキリストの体

私たちは、一人一人は聖霊様の宿る神殿でありますし、同時に私たちがこうして集まって、富里キリスト教会という群れを作って礼拝しているわけですが、これも目に見えない一つキリストの体です。教会は、イエス・キリストの体であり、互いがしっかりと結び合って一つの体のようになっています。ある人は手の働き、ある人は目の働き、それぞれ働きは違いますが、一つの体です。そしてこの富里キリスト教会が、神の栄光を現すためには、聖霊によって一つとなって行かなければなりません。いくら教会学校をしても、賛美集会をしても、マスターライフを学んでも、聖霊がこのキリストの教会である体をしっかりと結びつけ、聖霊の一致を保って行くことが教会の大きな力です。この聖霊による一致こそ、教会の伝道の力であり証となって行くのです。一致がない所に伝道は起こりません。

教会はこのように一つの体となってゆくために、自分だけの自由を主張するのではなく、お互いの向上に役立つことを求めて行く群れなのです。そして15:1のところで、「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。」と言っています。

2.強い者とは

パウロは私たちクリスチャンのことを、「強い者」と言っています。よく、教会でもあの人は信仰が強いとか、弱いという言葉を耳にします。「いや、私は信仰が強い者ではありません。」と、日本人でしたら謙遜して言ってしまいそうですが、では真に強い人とはどういう人のことを指すのでしょうか。A、B、C、Dの四つあげることができると思います。

A. 強くない人の弱さを担うことができる人

まず第一に、「強くない者の弱さを担う」とはどういうことでしょうか。人の弱さといいますのは、いろいろあると思いますが、それはやはり、自分の弱さを見せることができないこと、これがその人の一番の弱さだと思います。自分の弱さに気がつき、それを神様に祈り求め、また兄弟姉妹にも祈ってもらう。これができない、どうしてもよく見せよう、背伸びする、見かけを繕う、そうするといつも落ち込んだり、逆に相手を見下げたり、攻撃非難してしまうことがあります。比較競争の世界に生きています。信仰生活も落ち着かない、安定性がありません。

そういう人の弱さをカバーしてあげること、これが弱さを担うということではないでしょうか。この「担う」という言葉は、英語ではBEARといいますが、辞典を引いてみましたら、「責任を負う」「相手の恨みに耐える」そしてまた「実を結ぶ」と言う意味もありました。つまり、私たちが信仰の実をつけて行くためには、相手の恨みにも耐えつつ、その人の利益を計ってあげるということではないでしょうか。その人の弱さを担うということは、時には自分が言われもない非難を受けることがあるかもしれません。3節に「キリストも自分の満足はお求めになりませんでした。『あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった。』と書いてあるとおりです」とありますように、いわれのないそしり非難攻撃をされる時があります。でもそういう人のためにも、祝福を祈り、とりなしの祈りを捧げることです。これが「強くない者の弱さを担う」ということではないでしょうか。そういう人が、霊的な実をつけてゆくのです。

B.自分の満足を求めない

二番目に「自分の満足を求めない」。これは、自分がトップでいつも自分を喜ばせるのではなく、常に、へりくだって、謙虚で、相手の言うことに耳を傾け、相手の益を計ってあげることです。自分のしたいこと、自分が喜ぶこと、自分が満足することを率先してするのではなく、相手のことを常に第一に考えて、行動することです。

ある時CSの子供達と近くの山にハイキングに行きました。そうしましたら、いつも元気な男の子が、体は大きくて太っているのですが、登山口から足が動きません。小学生ですけれど関取のような体格をしているのです。坂を登れないのです。小さい子達は、ぴょんぴょんと登って行くのですが、彼は太っているために足が動かないのです。それで、リーダーの一人が彼の伴走になって一緒に励ましながら、引っ張ったり後ろを押したりしてくれました。

そして、やっと山の上のほうの平らな道に着いたら、普通に歩けるようになったのです。皆、早く頂上に行って御弁当を食べたい、でも、そのリーダーの人は、根気よく、忍耐を持って、しんがりの生徒について行って、途中で励まし、声をかけ、後ろを押してやっと頂上についたのです。私たちも、このリーダーのようになりたいものです。自分だけ先に行かず、群れ全体を見て、弱っている人、立ち止まっている人、つまずいている人を励まし、その弱さを担い、カバーして声をかけてあげることです。

C.隣人を喜ばせる

三番目に、「隣人を喜ばせる」ということもなかなかできるようでできません。特に隣りにいる人であればあるほど、トラブルになる場合があります。相手の益を計ってあげることです。

特に隣りの人とは土地の境界線の問題などがあります。ちょうど、隣りの畑との境に、小さな水路がありました。狭い土地ですが、5メートルもあれば、合わせて数坪になります。隣りの家で、畑を宅地にしたいということで、そこのグレイゾーン(境界線の曖昧な場所)を測量に来ました。その時私は、「ちょっと待ってください。この水路は今は水がないですが、水路の半分は、うちの土地も含まれているんじゃないですか」とクレイムをつけてしまったのです。

そうしましたら、隣家と関係が悪くなってしまいました。とてもいい家族でした。わたしはその時、「失敗したなあ、曖昧な時には、隣りの人の善を図って、相手を喜ばすべきだった」と悔やみました。

そして東京に来てからも同じような、境界線の問題が起こりました。私は二度と同じ過ちは繰り返すまいと、今度は、隣の家の言い分を認めてあげました。そうしましたら、立派な塀を隣りの人が全額負担して作ってくださったのです。ちょっと土地が減ったけれども、あえて塀を作ってくれたお礼に品物を持って、隣家にお礼に行きました。その後も隣りの家とは、いい関係が続きました。「おのおの善を行って、隣人を喜ばすべきである。」という御言葉を覚えたいものです。

D.互いの向上を努める

四番目に強い人とは、「互いの向上に努めることのできる人」ということです。前の口語訳聖書では、「互いの向上に役立つ」という言葉を、「互いの徳を建てる」と訳していました。徳川家康の徳ですが、徳を建てるという言葉は難しい言葉です。でも実は、この「徳」と言う言葉が、今言った4つの徳目を意味している漢字になっています。「徳」と言う漢字を思い出してください。左側のぎょうにんべんは、道を表しています。そして右側の字は、よく見ると「十字架」と「四」と「心」という字から成り立っています。つまり、「徳を建てる」と言うことは、イエスの十字架に示された四つの心を行う道と言う意味です。

そして、「相手の弱さを担うこと」「自分の満足だけを求めない」「善を行って隣人を喜ばせること」「互いの向上に努めること」この四つのことを心がけることのできる人が、強い人ということになります。

この「互いの向上に役立つことをする」と言うことを英語では、BUILD UPという言葉です。原語のギリシャ語では「オイコドメオー」といいますが、これはもともと建築用語です。例えば、この教会の建物を建てる時に柱を立てます。梁を張り、壁板を打ち付けます。床の土台をしっかりとさせるために石を敷きます。つまり、柱1本では家は建ちません。片側の壁だけでも家は建ちません。柱も壁も、お互いに反対側にある壁や柱を必要としています。

それと同じように、私たち教会員も相手の柱、反対側の壁を必要としています。そしてそれをつなぐ時には、カンナででこぼこを削ったり、穴をあけたりしてちょっと痛い思いをします。そのためには、忍耐が必要です。時には誰かに慰められ励まされてもらうことも必要です。自分があれします、これしますではないのです。もちろんそういう積極性も大事ですが、共同して、協力をしてやる作業です。その時に、教会は大きな力を発揮します。

3.忍耐と慰めと希望による一致

最後の聖書箇所、15:4から読んでみましょう。「かつて書かれた事柄は、すべて私たちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリストイエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、私たちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。」(ローマ15:4~6)

相手の益を計り相手に役立つこと、相手を成長させ、向上させることを願うことは、本当に忍耐が必要です。腹を立てたくなる時、無視したくなる時があります。でも、イエス様がそうであったように、周囲からいろんな非難攻撃を受けても、忍耐を持って相手を教え諭されました。どんなにか忍耐が必要だったでしょうか。でもその力は忍耐と慰めの源である神様から来ます。この神様と同じ思いを持つことが、強い者です。私たちも、イエス様に倣って、この忍耐と慰めと希望を与えて下さるイエス様と同じ思いを持ちつつ、心を一つにし、声を合わせて、父なる神様をほめたたえてまいりましょう。 (岡田 久)

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