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二つのパン種に注意せよ (マタイ16・5~12)

メッセージ

2010年5月30日富里教会宣教
「二つのパン種に注意せよ」
(マタイによる福音書16:5~12)

1. ファリサイ派の教え

ファリサイ派もユダヤ教の一派ですが、当時は、お互いに教理の違いからサドカイ派と対立しておりました。でも、イエス・キリストに反対する時には、一致協力して攻撃してきました。ファリサイという言葉の語源は、ヘブライ語の「ペルシーム=分離する」という言葉から来ております。あのパウロもかつてはファリサイ派の一人でした。

彼らは、律法を厳格に守ることによって、一般のユダヤ教徒と区別されているという自負を持っておりました。そして、モーセ五書と呼ばれる創世記から申命記までと預言書や詩篇などの文学書も認め、律法を生活の中で具体的に実行することを目的としておりました。他にもファリサイ派の人々の言い伝えや教えも厳しく守るように民を指導していました。そして、サドカイ派が神殿、祭司階級に多かったのに反して、ファリサイ派は一般民衆の側に立って、会堂を中心に活動をし、律法を守ること教え、自らも律法の研究者、いわゆる律法学者として一般民衆を指導、教化していました。

また、サドカイ派の人々とは異なって、復活や最後の審判、聖霊や天使の存在も信じておりました。ただ、彼らのその信仰が形式的な律法主義、目に見える表面的な純潔のみを追求したので、本来の律法の精神から離れて偽善的な信仰に陥って行ってしまいました。そういう彼らの信仰をイエス様は厳しく批判されています。例えば、マタイ23章全部に非難されるべきことが書かれてあります。

要するに、ファリサイ派の人々は、人に対しては信心深そうに見せる見せかけの信仰に陥っていました。逆に他の人々をその職業や生活状態で外見的に判断し、自分たちとは違うと区別して裁いていたのです。そして、自分は聖い、汚れていない、完全で義しい人間だと思っていた人々です。自分の本当の心の中を見ようとせず、うわべだけの信仰でした。そういう人をイエス様は、白く塗られた墓だと皮肉をこめてたとえています。表面は良いことをしているようだが、心の中は、死体が入っているように汚れて腐りきっているのを隠している人だと言ったのです。

そこには、自分の罪の自覚も悔改めもありません。ですからメシヤが自分の罪の贖いのために来られたなどとは夢にも思わなかったのです。いつも人を見て、裁き、あの人は汚れていると判断して自分の内側を見ることはありませんでした。いかがでしょうか、私たちの中にもそういう部分はないでしょうか。自分を何とか良く見せたい、醜い部分は見られたくないと思い、本心を隠して見せかけの信仰見せようとする偽善者的な信仰です。そういううわべだけの信仰、体裁を繕う信仰、人からほめられることや人から尊敬されること、ちやほやされることを喜びとするようなことは、よくあることではありませんか。

ある時、一人のご婦人が来られてこう言いました。「先生、私はこんな汚れた教会にいたくありません。○○兄、あれでも役員ですか。私は別な教会に行くようにと神様からしめされました。」というのです。私は、人を見ないで、神様を見上げて行きましょうと言って、なんとか教会に留まるように説得しましたが、その方は、他の教会に行ってしまいました。

ファリサイ派の人々こそ、自分が完全で聖く、汚れた人と自分を区別して離れるのではなく、自分こそイエスの十字架の贖いが必要な罪人だということをまず第一に自覚しなければなりませんでした。そういう教え、そういう見せかけの信仰を、私たちの心の中から取り除いて行きたいものです。「私は罪人です。イエス様の十字架の贖いが必要です。」という信仰、これこそがパン種の混じらない純粋で真実のパンなのです。これこそ、イエス様ご自身である天からの生きた命のパンです。(ヨハネ6:51)自分の罪を告白して、イエスこそ我が救い主、贖い主ですと告白する供え物を持って、常に礼拝する教会を目指して行きたいものです。これこそ主が最も喜ばれる捧げものです。

2. サドカイ派の教え

次にサドカイ派の教えについてですが、サドカイという名前の由来は、一説には、サドクという大祭司の名前に由来しているといわれています。彼らは、祭司階級として伝統的にイスラエルを支えてきました。そして神殿を中心に多くの議員も出して、文字通りユダヤ社会の貴族であり、政治的にも国の中枢を構成しておりました。ただ、ファリサイ派とは教理の面で異なり、対立しておりました。でも、主イエスに対しては、ファリサイ派と一緒になって反対し続けました。サドカイ派は、聖書はモーセ五書だけを正典としており、預言書や文学書などは認めていませんでした。そして、教理的にはファリサイ派と違って、復活を否定し、聖霊や天使とか最後の審判、神の意志というものを否定していました。要するに、彼らは徹底的な現世主義、人間中心の現実的な政治団体としてイスラエルの国を支配しておりました。

これがユダヤ教の主流派だったのです。そういう神殿中心、祭司中心の伝統主義に反抗して、ファリサイ派は、律法を守るという点に信仰の活路を見いだし、サドカイ派と信仰の面で鋭く対立しておりました。パウロは使徒言行録の中で、彼らの違いに注目して、この両者を衝突させております。使徒言行録の23:7~8(P.260)を見てみましょう。「パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれも認めているからである。」このような、両派の対立に乗じて、パウロは難を逃れることができました。

さて、このサドカイ派の教えですが、復活を信じない、聖霊を信じないという信仰は、2000年前だけではなく、現代でもそういうクリスチャンは多いです。そして、復活も聖霊様も信じていないという方もけっこうおられます。じゃあ、何をテーマに説教しているかといいますと、ヒューマニズムです。反体制、差別解消、弱者救済と言った、かつて私も学生運動、労働組合に熱中していた時に心酔していた思想や哲学、イデオロギーなのです。恥ずかしながら、私もかつてはそのような教え、神学にどっぷりつかっておりました。

そして、若い時に、かつて連盟の理事長をされた松村秀一牧師に「あなたはかつて福岡の炭鉱の労働争議で委員長をやって多くの労働者の味方だったのに、なぜ変遷して今は福音だけを語っているのか。我々はもっとアメリカに反対して安保反対をし、南部バプテストの宣教団からも独立すべきではないか!」と食ってかかったのを覚えています。でも、憐れみに富む神は聖霊様を通して、私の目を開いてくださり、組合活動を通して、私の罪を目の前に突き出して悔改めてさせて下さいました。そして、イエス・キリストの福音にのみ仕える伝道者にしてくださいました。

イエス様は、ファリサイ派とサドカイ派のパン種、すなわちそのような教えに注意しなさいとおっしゃっておられます。なぜか、そこには罪という概念がありません。ですからイエスの十字架も復活も必要ないのです。自分の内側、罪とか悔改めとか、聖霊の満たしと言ったような聖書の教えには目を向けません。聖霊に満たされることも聖霊の働きもありません。最終的には歴史批評、時事解説か革新政党のマニフェストのような教えに、私たちは注意しなければなりません。今日、聖霊も復活も信じないクリスチャンが多くなって来つつあります。イエス様が「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい」(16:11)とおっしゃったのは、まさに今日の教会に対して注意を促しているのではないかと思います。

3. 純粋で真実のパン

最後に、パウロはこう言っています。「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越しの子羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過ぎ越し祭を祝おうではありませんか。」(1コリント5:7~8 P.305)

私たちはパン種の入っていないパン、すなわちイエス・キリストの十字架はわたしの罪のためですという、教えを持って礼拝を捧げる者となりたいと願っています。自分を誇らず、へりくだった心を持って主の前にひざまずくものでありたいと願っています。そして、お互いに心開いて自分のあるがままの姿、主の前に一人の罪人ですと言って、互いに罪を告白し合う交わり、また互いに赦し合う交わり、これが真実のパンによる交わりではないでしょうか。私は富里教会の皆さんが、お互いに自分の罪を告白し合い、十字架の赦しと神様の愛、そして聖霊様の一致を求めて心を一つにして祈っている姿は、神様からの貴重な賜物ではないかと思います。これは是非大切に、守って行かなければなりません。

この私たちの交わりの中に、自分を誇ること、自分の罪を隠し、外見上の信仰を装うことのないようにしてゆきましょう。また、目に見えない聖霊様や主の復活を否定することなく、もしまだ解らなければ、主の前に心を無にして、素直にそのことを祈り求めてゆくものでありたいと思います。そして、見えるものに頼らず、見えないものを信じてやがて来るイエス・キリスト様の到来を待ち望みながら、この時代のしるしを見つめつつ、共に歩んでまいりたいと願っています。                       
                                       (岡田 久)

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