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主の御言葉に従って (創世記2:1~9)

メッセージ
7月1日富里キリスト教会
「主の御言葉に従って」
(創世記12:1~9)
1.生まれ故郷、父の家を離れて

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。』」(創世記12:1~3)

アブハムの父の名前はテラ、妻の名前はサライといいました。もともとはカルデア(今のイラク)のウルという町の出身ですが、一族を連れてユーフラテス川をさかのぼって北上して、今のシリアのハランという所まで来ました。そこで、父のテラが205歳で亡くなりました。(創世記11:31~32)そのハランという町にいたときに、アブラムは、神様から、このハランの町を離れて、神が指し示す地に行きなさいとのご命令を受けたのです。

この「あなたの生まれ故郷を離れなさい」ということは、自分が住んでいた環境や文化、今まで自分が持っていた特権を捨てなさいということです。そして「父の家を離れなさい」ということは、家族親戚、自分の肉親や血のつながりの中に自分の居場所を見つけようとするような生き方を捨てなさいということです。わたし達はクリスチャンですから、肉親や親族のつながり以上に、主にある兄弟姉妹のつながりを持っています。しかし、この世の人々は、真のつながりと言いますと、自分の家族や肉親のつながり以外にないのではないでしょうか。お墓に入るまで付き合ってくれる固い血の絆で結ばれています。

またそれは自分の生まれた家や土地の宗教とも深く結びついています。お盆や正月には、実家に帰って一族で集まって食事をする、そして先祖のお墓に行って線香をあげてくる。ここが自分のルーツだなあ、いつでもここに帰って来れるという安心感があります。恐らくそれは死ぬまで続くのではないでしょうか。よくとれば、家族の絆、岡田家のルーツであり、そこに自分の人生の基盤があり、やがてそこに帰って行くという人生の目的もあるわけです。しかし、その反面そういう血縁家族に束縛されて、自由になり切れない未熟な日本人があるような気がします。大人になり切れない。いつまでも親子の絆が強すぎる。親離れできない、自立できないいつまでも子どのような、未熟な日本人の姿がそこにあります。

このアブラムに語られた神様の御言葉「あなたは自分の生まれ故郷、父の家を離れなさい。」という言葉は、ある意味ではそういう血の絆と決別しなさいと言っているのではないでしょうか。神様がそう命じているのです。ある人はそれができたらいいなあ、そうしたいけどできないんだよなあと言います。普通の人はその血のつながりから抜けることはできません。それは自分自身の存在を否定してしまうようなことですから。自分はその父の家族で生まれ、そこで育てられ、それに貢献してゆく者として生を受けたのです。それを否定し、その関係を断ち切るということは自分の存在そのものを危ういものにするからです。周囲に負い目を感じ、不安感を覚えます。父の家から離れてどこへ行けばいいのでしょうか。

The Lord had said to Abram “Leave your country, your people and your father’s household and go to the land I will show you”(Genesis
12:1) the Lord said to Abram that leave your country and your father’s household. How do you answer and response to the word of the Lord. It is very difficult for us to leave our home town and our family where we have been raised and loved. Can you leave your
family united by the blood? If we have been in our country and father’s household, we may not come to the church in Japan, because there are a lot of ceremonies related to relatives on Sunday.

Many Japanese are tied to the blood relationship and Buddhism . And we could not reject the invitation to ceremonies. We cannot cut the relationship with other religions by ourselves. Only God can cut the relationship with relatives and Buddhism. God called us to the word of God leaving from many invitations of relatives. We need to response to God’s calling rejecting to invitation of relatives and Buddhism. Sister Gerura and wijisiriwardana family have answered to God’s calling, then they came to Japan. but God already provided the Baptist church where they came.

2.わたしが示す地に行きなさい。

そして自分を造り上げ自分を育ててくれた環境から解放されることによって、今度はどこへ行くのかと言いますと、わたし達にはちゃんと目的があります。行き先が決まっています。目的も何もない放浪の旅にさ迷い出るのではありません。主なる神様は「わたしが示す地に行きなさい。」といいました。

わたし達が生まれ故郷、血の絆から解放されたのは、神の目的を目指して旅をするために召されたのです。神様が示す地です。これはただ単にカナンの地に行きなさいということではなく、神様の「わたしが示す地へ行く」という信仰の従順を通して、人間が本来いるべき場所へ入って行くということではないでしょうか。つまり、この地上的なものの中にアイデンティテーを求めるのではなく、地上の肉の父の権威に頼るのではなく、神ご自身の権威の中に、神のみ言葉に従うということの中に、自分の本来いるべき場所を見つけ出すということではないでしょうか。

これが神の指し示す地なのではないかと思います。神の御言葉に従う生活、そういう人々の群れ、そういう国を建設してゆくことが、神の示す地ということではないかと思います。神の御言葉が支配する共同体、神の御言葉が生きている群れ、神ご自身が満ち満ちている共同体、神の愛と恵みの満ち溢れるところ、神様の祝福が満ち溢れている国、それが神の指し示すと地ではないかと思います。

The Lord said to us leave your country and your father’s household.
And then the Lord said us to go to the land I will show you. The Lord called us to lead to the land where God show. Where is the land that Lord show us? I thought that the land where the Lord show us is not specific earthy place but unseen our inner obedience heart. God called us to follow the word of God perfectly in our deep mind. God made us leave from our father’s land and taught us and trained us to the obedience for the word of God. The life of Abram has been in the trials and tests for the full obedience to the word of God. The community of the people who will follow and submit the word of God is the true land where God showed and will show us. To be submitted fully we will be made go through many trials. This is the journey of faith.

更に主は、アブラム自身が祝福の源となると約束してくださいました。「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」と言いました。つまり神様の祝福は、アブラムを通して人々に与えられるのです。私たちを通して神様の祝福は、逆に家族の者に、親戚のものに、地域の人々に与えられるのです。わたし達抜きには、神の祝福はこの地上に与えられないということです。アブラムが祝福の源となって、彼を通してこの地上の人々が神の祝福に入るというのです。つまりここに教会があるということは、富里市をはじめこの北総の地が、この教会を通して祝福に入るということです。そして逆に、この教会を呪う人は、神様の呪いを受けるという厳しい警告も含まれています。

神様はこの世の偶像から私たちを解放して、真の神へと立ち返らせ、わたし達の証を通してこの世を滅びから救おうとされているのです。これが神の祝福の源としてのクリスチャンということです。皆さんの家庭も会社も自治会も、皆さんの信仰を通して、神の祝福にあずかっているのです。わたしたち一人一人は祝福の源なのです。私たちを通してこの町も会社も自治会も祝福されるし、また呪われもするのです。

3.主の言葉に従って旅立った

後はわたしたちがこの主の御言葉に従うかどうかです。主は、「あなたは生まれ故郷を離れて、父の家を離れ、わたしが指し示す地に行きなさい。わたしはあなたを祝福するものを祝福し、あなたを呪う者を呪う。」と言ってアブラムに語りかけました。そしてこれはアブラムだけではなく、わたしたち一人一人に対して呼びかけられている言葉です。

「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムはハランを出発したとき75歳であった。アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と主にカナン地方へ向けて出発し、カナンに入った。」(12:4~5)

「あなたの生まれ故郷、父の家である実家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」という主の召しを聞いた時、皆さんはどうされるでしょうか。聖書では、「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」とあります。皆さんはいかがでしょうか、すぐに主の御言葉に従って旅立つことができるでしょうか。生活をどうしたらいいだろうか。仕事はあるだろうか。子供たちの学校は大丈夫だろうか。食べ物、住まい、習慣、言葉が通じるだろうかと、いろんな心配があったと思います。でも、アブラムは、主の言葉を聞いてそれに従って出発しました。しかも、その時のアブラムの年齢は75歳でした。いかがでしょうか。75歳で新しい生活、新しい人生を始めようと決心できるでしょうか。普通でしたら、もう定年退職されて、悠々自適の老後を送る年です。何もこれから苦労して長い旅に出る必要もありませんし、人生をやり直すこともありません。あとはそのまま暮らして、その土地に骨をうずめるだけではないでしょうか。

でも神様はそういう、人生を十分に生きてきた人物、あとは老後の生活をしてそこに骨をうずめるだけという人に、故郷を離れて、わたしの指し示すと地に行きなさいと命じたのです。聖書では「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」とあります。彼は直ちに主の言葉に従って旅にでたのでした。しかも行き先も告げられていません。

新約聖書にはこう書いてあります。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召しだされると、これに服従し、行き先を知らずに出発したのです。・・・この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れていませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいのものであることを公に言い表したのです。」(ヘブライ11:8、13)

つまりアブラムは、神様の約束の御言葉を信じて、まだ見ていない信仰の旅に出かけたのです。たとえそれを手に入れることはできなかったとしても、神様の御言葉を信じて、それに信仰と確信をもって喜んで従ったのです。まさに「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することである。・・・信仰によってわたし達は、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」
(ヘブライ11:1、3)

アブラムは、この主の御言葉を信じる信仰がありましたので、御言葉に従うことができました。どこへ行ってもよそ者です。私たちもそうです。よそ者です。そうはいっても、それでもやはり故郷を離れ、実家を離れてまだ見ぬ世界へ旅立つということはなかなか難しいです。よっぽど強いられなければできないのではないでしょうか。故郷から追われる、家から追い出されるといった負の力によってでもなければ、離れることはできないかもしれません。

When Abram heard the calling of God, are there any conflicts or hesitations in his mind? Bible said “So Abram left, as the Lord told him” That is Abram who met many trials and temptations in his life.
Even when he has been in the last stage of his life, he has been tested if he follow the word of God or not. God ordered him to give his only son Isaac to the Lord. Abraham decided after suffering trouble to give his only son Isaac to the Lord. Then God said to him “I know that you fear God”. In other word the land where God show us is in our heart to submit the word of God and to be obedient to the God’s orders.
God has called us to the full obedience through the many trials and desert and made us train to be a humble obedient Christian. Let us pray to the Lord that we should submit the word of the Lord.

アブラムも恐らく、この主の召しの言葉を聞いたときに、多少の葛藤や迷いはあったのではないでしょうか。でも聖書には、「アブラムは主の言葉に従った。」とありますから、恐らく彼は従順に従ったのではないでしょうか。このアブラハムこそ、その生涯を通じて神様から様々な信仰の試練にあった人物はありません。このアブラム物語の最後の場面でさえ、神様はアブラハムを試されています。それはアブラムの最愛の一人息子イサクを神に捧げなさいという命令でした。この試練にもアブラムは耐えて、悩み苦しんだ末に、一人息子イサクをいけにえとして神に献げる決心をします。その時神は「あなたが神を畏れるものであることが今わかった。」(創世記22:12)と言ってその手を止めました。

つまり、神様が示す地と言いますのは、目に見える土地や国や地方のことではなく、わたし達の心が神に対して従順になる世界、神への全き服従の世界を意味しているのではないでしょうか。神に従う信仰、神の御言葉に従う信仰を養うために、神はわたし達を何もない世界、砂漠のような不毛の地へと押し出すのです。そして、わたし達を従順な信仰へと訓練教育してくださるのです。これが神様の指し示す地ではないでしょうか。この信仰の従順を学ぶ旅路へと召されているのです。どうか共に、主の御言葉に従わせてくださいと祈ってまいりましょう。

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