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主の御名は全地に満ちている (詩編8:2~10)

メッセージ
2018年10月14日富里キリスト教会
「主の御名は全地に満ちている」
(詩編8:2~10)

1.幼子、乳飲み子の口によって

「主よ、わたしたちの主よ、あなたのみ名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます。幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き、報復する敵を絶ち滅ぼされます。」
  (詩編2~3)

主の御名というのはイエス・キリストという名前ですが、そのイエス様の名前がこの世界にいっぱい満ち溢れているということです。ご存知の通り、名は体を表しますので、名前があるということはそこに神様ご自身が存在しておられるということです。しかも全地です。どこへ行っても神様がおられないところはないというのです。南極の氷の世界でも、アマゾン流域でも、ゴビ砂漠でも、そして大都会の中でも神様は名前を置かれ、大いなる力をもってこの世界をご支配しておられるのです。

もちろんここ、富里キリスト教会にも主の御名が置かれましたし、この場にも主はいてくださいます。そしてわたしたちはいつもここに集まって、心を一つにして御名によって祈っています。主がご臨在している場所です。また積極的に神を否定し逆らう者に対しては、何をもって戦っておられるかと言いますと、何と主は「幼子や乳飲み子の口によって」戦っていてくださるのです。

3節に「幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を築き、報復する敵を絶ち滅ぼされます。」とあります。リビングバイブルでも「神様は幼子たちに、神様を真心からほめたたえよとお教えになりました。その子供たちの姿に、敵が恥じ入って口をつぐみますように。」とあります。新改訳では「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のために、敵と復讐する者とをしずめるためでした。」とあります。

いかがでしょうか、神様は今日来ている子供たちやまだ乳飲み子の唇をもって敵と戦われると言っています。子供たちの讃美の力こそ、神の偉大な力を引き出すことができるのです。どんなに大の大人が声をあげても、どんな立派な聖歌隊がガウンを着てすばらしい讃美をしても、幼子、乳飲み子、子供、赤ちゃんの賛美の力には勝てないというのです。彼らが歌う時、神に刃向かう者に対して砦を築き、報復する敵が滅ぼされると言っています。

わたしたちは、この4月から子供たちが増えて来たので、礼拝の時間にちょっと時間を割いて子供メッセージと子供讃美の時を持ってあげていると思ってはいないでしょうか。そうすれば少しは礼拝で、静かにしていてくれるのではないだろうかと思いがちです。でも、皆さんそうではありません。むしろ、子供の時間を中心にして、その時間を挟んで大人の時間を持ってあげていると言っても過言ではないのです。子供たちの賛美に神の力が働くのです。悪しきものから守って下さる。サタンや敵が逃げてゆく、教会に入って来れない、そして滅ぼされてしまうと言っています。

Look at the Psalm 8:2 “ From the lips of children and infants you have ordained praise because of your enemies , to silence the foe and the avenger.” God gave the voice of praise to the children to silence the foe and enemies. The song of praise from the lips of children and infants brings out the power of God rather than the beautiful voice of choir of adult. The voice of children cast away the evils by the power of God. Did you see the singing motion of Miko-chan ? She is singing
with big motion as she swings her body. This is an amazing scene. We should set the children time at the center of the worship. Why does the God please the praise of children? Because the children and infants can do nothing, only to rely on Jesus. God is mindful of them and cares for little one. A little and weak one like an infant asks to help to God and to have a hope to God and wait for God’s hands. Let us praise the name of Lord in all the earth as much as I can.

子どもは力がありませんから、何でも親にお願いします。そのようにしてわたしたちも自分の力のなさを自覚して、ただひたすら主により頼んで、主の御名を賛美するときに、初めて主が立ち上がって戦って下さり、敵を滅ぼし勝利をしてくださるのです。わたしたちも幼子のように、また乳飲み子のようになって、ただひたすら親である神様に助けを求め、感謝をささげて行きましょう。

2.神に愛されている人間

もう一度、詩編8編の後半を見てみましょう。
「あなたは天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何者なのでしょう。人の子は何者なのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。神にわずかに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるように、その足もとに置かれました。羊も牛も、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。」
(詩編8:4~10)

自分を幼子のように感じ、乳飲み子のように何にもできない自分であることに気が付く人は、何人いるでしょうか。自分は大人だ、何でもできる、責任があると思って、会社で職場で地域で戦っている私たちです。人間関係、夫婦関係、親子関係で悩みながら生きている私たちです。しかし、神様の目から見たら、わたしたちはいと小さきものです。何もできないものです。特に月や星を仰ぐ時、何とちっぽけな自分であるかと思い知らされることがあります。そう思う時に、肩の力が抜けて何でも聞ける人間になります。(「訊きながら聴く」)

神様が天地万物を造られ、その中で土のチリからわたしたち人間を造って置い下さいました。あのすばらしい楽園、エデンの園に永遠に生きるものとして置いてくださったのです。しかし、そのエデンの園の中で人間はサタンの誘惑に負けて、禁じられた木の実を食べてしまいました。その結果、目が開かれ恥ずかしい思いを抱き、神様の目を避けてしまったのです。罪を犯してしまいました。このアダムの罪によって、すべての人は死ぬという運命を負わせられました。空しくはかない存在になってしまったのです。

しかし、主なる神様は、そういう罪を犯した人間をも尚も愛してやみませんでした。「アダムよ、どこにいるか。」と今も名前を呼んで、御心に留めてわたしたちを探し求めておられます。罪から立ち帰ることを願っておられます。5節に「人間とは何者なのでしょう。人の子は何者なのでしょう。」という言葉がありますが、前の「人間」はヘブライ語では「エノーシュ」、弱くもろい人間という意味だそうです。そして後の「人の子」と言いますのは、「アダム」という言葉で、チリに帰る死すべきものという意味があるそうです。

そのようなチリにも等しい者を、神様は御心に留めてくださり、顧みていてくださるのです。どんな人間でも皆同じです。土から造られ、土に帰るむなしいものです。しかし、そういうチリ灰に過ぎない者をも、今も御心に留め、顧みていてくださるお方がおられるのです。この詩編の作者は、夜空の天の星を仰ぎ見なが ら、いかに神様の創造の御業がすばらしく、その反面、何と自分はちっぽけでむなしい者であるかを訴えています。

God created the heavens and the earth and created man from the dust of the ground. God gave everything to man in the garden of Eden.
But man sinned against the God’s command, and hid from the God.
God called to the man “where are you? “ And they were drove away from Eden. After the man sinned , as the result they will return to dust. This is the essence and nature of man. Although the God seeks and loves man wherever we are and whatever we do. And Psalm 8: 5 said “God made him a little lower than the angels crowned him with glory and honor.” This “him” means Jesus Christ. Paul explained that “Jesus was made a little lower than the angels , now crowned with and glory and honor because he suffered death , so that by the grace of God Jesus might taste death for everyone .”(Hebrew 2:9)
This verse means the cross and resurrection of Jesus. And God made us brothers and sisters of Jesus through his redemption for everyone.
So Let us look upon Jesus in heaven. He is our hope and goal of life. Now Jesus dominates everything in heaven. He is a ruler of everything.
His name is full in this world. Jesus is in everywhere in this world. So psalmist said crying “ How majestic is your Name in all the earth.”
God loves us and cares for us such as children and infants.

そして6節からは、「神にわずかに劣るものとして人を造って下さった」と言っています。これはわたしたち人間が神の似姿に造られていることを言っているのかと思いましたが、実はこの詩編の言葉が、ヘブライ書2:9に引用されているのです。「ただ、『天使たちよりも、わずかの間、低いものとされた』イエスが、死の苦しみのゆえに、『栄光と栄誉の冠を授けられた』のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。」とあります。つまりこの「神にわずかに劣るものとしての人」と言いますのは、イエス・キリストのことを言っているのだと、パウロは説明しています。そしてわたしたち人間も、またキリストも、一つの源である神から出ているのであると言っています。(ヘブライ2:11)

しかし私たちはまだすべてのものが、イエスに従っている様子を見てはいません。でも、イエス・キリストはわたしたちを神の子としてくださり、ご自分の兄弟の一人にしてくださっているのです。わたしたちの目的であるイエス・キリスト様を見つめつつ、歩んでまいりましょう。この世界はまだ、悪魔の支配の中に置かれていますけれど、すでに主イエス・キリストは罪と死と悪魔に勝利して復活されましたので、わたしたちの人生の目標であり目的でもあるのです。目には見ていませんが、わたしたちの罪を贖い復活され、すべてのものをご支配しておられるお方を見上げて歩んでゆきたいものです。

このように、わたしたちの主イエス・キリスト様の御名は、全地に満ち満ちでいます。つまりどこにでもおられるということです。そして大いなる力をもってご支配していられます。何も心配することがありません。幼子のように、乳飲み子のように、讃美と感謝をもって進んでゆくときに、敵は退き、行くべき道が示されてきます。これからも、この詩編を口ずさみながら、乳飲み子や幼子たちの賛美の声を先頭にして歩んでゆきましょう。そして、こんな小さなものも生かされている恵み、罪人を赦してくださるお方を見上げて歩んでまいりましょう。 
                  (岡田 久)

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