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主の山に備えあり (創世記22:1~2、9~14)

メッセージ

2011年7月3日富里キリスト教会
「主の山に備えあり」(ヤーウェ・イルエ)
(創世記22:1~2、9~14)
1.モリヤの地に行きなさい(レフ・レハ―)

「これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。私が命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
(創世記22:1~2)

アブラハムの生涯は、神様に祝福された生涯だといっても過言ではありません。また、アブラハムの生涯は、祭壇を築く生涯でもあったと言っていいでしょう。
祭壇で始まり、祭壇で終りました。これは神への祈りと御言葉の生活を築くということです。神様との関係を少しづつ深めて行く生活といってもいいかも知れません。いろんな人生の失敗、信仰生活の苦い経験を通して、昨日の祭壇よりは今日の祭壇が一歩神に近づいたという人生です。一族郎党、アブラハムが神様の祝福に従って、ハランの地から出て来て、神様が指し示す地についてしたことは、まず祭壇を築くことでした。一番最初に築いたのが、シケムのモレの樫の木のそばでした。アブラハム75歳の時でした。

後継ぎの子供が授からずに、長い間悩み続けて来た夫婦に、アブラハム100歳、サラ90歳の時に一粒種の子、イサクが与えられました。アブラハムにとっては、目に入れても痛くないほどのかわいがりようでした。そして彼も、これで自分の人生も、神様の祝福を受け継いで、安心して余生を送ることができると思ったのではないでしょうか。そこへ、青天の霹靂といいましょうか、突然、神様から恐ろしい驚愕すべき命令を受けます。それは、「あなたの独り息子イサクを、モリヤの山で焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」(22:2)という驚くべきことでした。しかも、この命令は、アブラハムの信仰を試すためのものであったと記されています。

実は22:2節の「モリヤの地に行きなさい」という言葉ですが、言語のヘブライ語では、前回も話しましたが、「レフ・レハ―=自分自身に向って行きなさい」という言葉になっています。この言葉は、アブラハムの物語のテーマになっています。神様は、アブラハムにどこまでも、「独り息子、イサクに希望を置くな、目に見えるものから離れ、自分自身のために、自分本来の場である神の前に単独者として立つようにしなさい。」と言っているような気がしてなりません。

前回12章では、生まれ故郷、父の家から出て行きなさいと命じました。今度は何から出て行けと命じられたのでしょうか。それは、自分の愛する独り息子、神様が約束してくれた祝福の基である息子、イサクから出て行きなさいということです。恐らく、アブラハムは年取ってから生まれた自分の息子を、もしかしたら神様よりもイサクを愛していたのかもしれません。

でも神様は、「その子はあなたのものではない、その子は私のものである。私が生んだ祝福の子であり、あなたに与えた、いや預けたものである。だから、あなたがわたし以上にその子を愛するなら、それはイサクをあなたの偶像にしてしまうことになる。」と思ったのではないでしょうか。イサクは神に属する者であり、神が返せと言ったならば返さなければならないのです。何があっても、どこまでも、神を第一とし、その御言葉に従うかどうか、そういう信仰を持っているかどうか、主は最後の試練を与えてアブラハムを試されました。 

2.最後の祭壇

実は、旧約聖書では、一貫してこの祭壇に何を献げるかによって、その人の信仰なりが描かれています。アダムの子カインとアベルの場合は、カインは地の産物を献げ、アベルは群れの中で肥えた雄の子羊を献げました。神は、血を流した動物の献げものを喜ばれました。そこには罪の悔い改めがあったからです(創世記4:1~5)。ノアも祭壇を築いて家畜と鳥の全焼の献げ物をしました(8:20~22)。アブラハムは、神の使いの訪問を受けた時、足を洗う水とパンと子牛の料理を献げました。一方、ロトは足を洗う水とパンだけを差し上げました。(18:4~8、19:2~3)人は神様に何を捧げるか、常にそのことが問われています。

すなわち祭壇に、動物の血が流されて、罪の贖いがされているかどうか、言い換えますと、自分の罪の告白の伴った祭壇を築いているかどうかが問われているのです。そういう罪の告白の祈りをしているか、自分の心の底からの真実の祈りであるかどうかということです。そして、今回、アブラハムにとりましては、最後にして最高の供え物、献げる者にとっては最も大きな痛みと犠牲が伴う献げ物が求められました。それが、自分の独り息子イサク、しかも神の祝福の基となっている何にも代えがたい供え物を献げなければなりませんでした。

アブラハムにとりましては、何にも代え難い、自分の命よりも大事なものです。しかも信仰的に見ても、イサクには神の祝福の種が宿っているわけですから。もし我が子を、神に献げ、自分の手元に神の祝福となるべきものが無くなってしまったら、一体今までの神の約束はどうなるのだろうか、そしてそれを信じてここまで従ってきた自分の人生は一体なんだったのだろうかと、思ったに違いありません。イサクには、イスラエルの救い、そして私たちの信仰もかかっているのです。

「ここまで、信仰をもって、神を信じて歩んで来た自分、その最後の晩年に、何故神はわたしを安らかに天国へと送って下さらないのだろうか。自分の財産や地位や名誉は手放すことが出来ても、あなたが与えて下さった祝福の約束であるイサクを手放すこと、たとえあなたに返せと言われても私は納得が行きません。」そう思ったかもしれません。

しかし、聖書を読んで見ますと、息子イサクとのやり取りで、私は、アブラハムは神が必ず献げ物の子羊を備えてくださることを信じて、一緒に黙々と歩いて行ったような気がします。アブラハムも人の子です。いろんな迷いと疑問はあったと思います。でも、物語は淡々と展開しています。そこには、この神のご命令に黙々と従う信仰の父アブラハムの姿が描かれています。

たとえ信仰によって神様からいただいたものであっても、それは神の所有物です。自分のものではありません。自分の最も大切なもの、それを神様の前に差し出す時、神様は必ずそれを祝福してくださるお方です。アブラハムは、たとえイサクを神に献げ、イサクが死んでも甦らせてくださるという信仰を持っていたのでないでしょうか。

4.主の山に備えあり

最期の場面では、アブラハムは、我が子を手にかけようとした時、そこに神の手が入りました。「解った、お前は神を畏れる者であり、自分の独り息子でさえわたしに献げることを惜しまなかった。」と。実にすんでのところで、アブラハムはイサクを手にかけずにすみました。アブラハムの信仰は実に、この最期の最期まで神によって試されました。信仰とは、どこまでも神の御言葉を信じて、それに従うことです。かたくなまでの信仰です。息子を献げよと言ったら、捧げます。十分の一献金をしなさいといったら、きっちりと最低十分の一を捧げます。夜明け前に起きて、わたしを呼びなさいと言ったら、夜明け前に起きて神に御言葉を祈り求めて、御心を聞き、それに従います。

自分にとって出来ないこと、自分にとって痛みを覚え、辛いことであっても、御言葉なら従いますという信仰です。そのような態度を見て、神は初めて、「解った。お前は自分自身を捨てて、わたしを第一とし、私を畏れ敬いその御言葉の権威に従う者であることがようやく解った」とおっしゃって下さるのではないでしょうか。

でも自分にはそこまで出来ません。一人息子を犠牲にせよ、と言ったら、神に反対し、神に敵対して息子をかばってしまい、信仰も何もかも捨ててしまいかねない私たちです。また、もしかしたら、自分の心の中に神様に隠している秘密があるかも知れません。「わたしのイサク」という手放せない秘密を密かに持ち続けているかもしれません。

でも、神様は、あらかじめ、私たちに身代わりの献げ物を示してくださいました。それが、あの十字架の神の独り子であるイエス・キリストです。神は、そ
のような弱く、従い得ない不信仰な私達のために、身代わりの献げものをすでに備えてくださったのです。アブラハムが払う犠牲よりももっと大きな、そして全ての人の罪を贖い消し去ることのできるお方、イエス・キリストを身代わりの供え物としてくださったのです。先に、神様が備えてくださいました。すでに私たちの罪の償いは済んでいるのです。ですから心配しなくてもいいです。私たちの罪、不従順はすでにあの神の御一人子イエスの十字架によって、贖われ、赦されているのです。

アブラハムも、きっと主があらかじめ身代わりの献げ物を準備しておられる。だから、我が息子も必ず贖い清めて返してくださると信じていました。ですから、彼はそのモリヤの山を、「ヤーウェ・イルエ」(=主は備えてくださる)と名付けました。モリヤの山は恵みの山です。「主の山に備えあり」とは、あなたの罪のための贖いの供え物はすでに献げられている、だから罪を持ったままで、それを包み隠さず主の元に持ってくることです。その時に主は、あなたの罪を贖い赦し、恵みと祝福を豊かにたまわって下さいます。ですから安心して、本来自分の立つべき場所である神の山に登りましょう。罪も欲も汚れも弱さも恐れも持ったままで、登って行きましょう。それが、「レフ・レハ―」、本来の神の前に存在する自分自身に立ち帰る唯一の道です。        (岡田久)

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