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主に振り返ったマリア (ヨハネ20:11~18)

メッセージ

2014年4月20日富里キリスト教会

「主に振り返ったマリア
(ヨハネ19:28~37)

1.墓の中を見るマリア

マリアにとっては、イエス様が十字架に架かって死んだだけでも大きなショックと悲しみなのに、その遺体が無くなるということはもっと大きな悲しみではなかったでしょうか。彼女は、愛する人を失った者の悲しみと喪失感でいっぱいでした。目の前の空っぽの墓穴のように、マリアの心も空っぽになっていたのではないでしょうか。その空っぽの心を、何かで埋めなければ安心できない、満たされないという喪失感がマリアの心を占めていました。

何が起こったのか、何でこうなったのか、だれが盗んで行ったのか、どこへ行ってしまったのか、その犯人探しと理由を求める思いが悲しみと怒りと共に込み上げてきました。すると、白い衣を着た二人の天使が、マリアに「婦人よ、なぜ泣いているのか」と尋ねました。その天使のことさえ気がつかないほど、マリアは心が騒ぎ乱れていたのです。

私たちが墓の中に、本人の遺体を求め、墓の中をいつまでも見ている限りは、悲しみや辛い心が癒されないのではないでしょうか。何でこうなったのか、誰のせいでこうなったのか、自分の悲しみの原因追及しなければ気がすみません。しかし、この現実の世界に失ったものの原因を追究しようとする限りでは、本当の意味でいやされることはないような気がします。

自分の悲しみの原因、心の痛みや心の傷といったものを、この現実世界の中に、その原因究明と犯人探しをするだけでは、気が収まらないし、本当の意味での答えを見つけることは出来ないのではないでしょうか。マリアのように、愛する人のいない墓の穴を見つめているだけでは、またその墓のそばに立ちつくしているだけでは、いつまでもその悲しみが癒されないような気がします。

2.振り返ったマリア

でも、復活の主は、嘆き悲しんでいる人のすぐそばに立って声をかけていて下さいました。死んだはずの人がすぐ後ろにいたのです。14節からを読んでみましょう。「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。『婦人よ、なぜ泣いているのか。誰を探しているのか。』マリアは園丁だと思って言った。『あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。』イエスが、『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボ二』と言った。『先生』と言う意味である。」                     (20:14~16)

マリアは、声をかけられたのがイエス様であり、その方が甦って自分の後ろに立っているのを見ました。しかし、見ていながら、まさかそれがイエス様だとは全く気がつきませんでした。どうして、マリアは最初の呼びかけに気がつかなかったのでしょうか。墓苑の管理人だと思いました。何度も申しますが、この共同訳聖書では、マリアが振り返った動作を、14節も16節も同じ「振り向く」と言う言葉で表しています。前に使っておりました口語訳聖書では、「振り向く」(14節)と「振り返る」(16節)と微妙に訳が違っております。マリアは、「振り向いた」時に気がつかず、「振り返って」始めて気がつきました。

更に英語のNIV訳で見てみますと、14節は「turned around」、16節は「turned toward 」になっています。さらに、英語のリビングバイブルでは14節は「she glanced over her shoulder」、16節は「she turned toward」となっております。大して違いはないではないかと思われるかもしれませんが、この振り返り方によって、マリアが復活の主に気がついたかどうか、出会ったか否かの違いが出て来ているのです。

それともう一つ、振り返り方の違いが出てくる要因には、イエス様の問いかけによってもマリアの反応に違いが出て来ています。イエス様が、マリアに彼女の涙と悲しみの原因について尋ねている時には、マリアはそれがイエス様だとは気がつきませんでした。でも、イエス様が、態度を変えて、「マリア!」と呼びかけた時に、彼女は初めてその声の主がイエス様だと分かったのです。

イエス様の方から、じかにわたしたちに名前を呼んで声をかけて下さる時に、初めて私たちは復活の主の声だと知るようになるのではないでしょうか。つまり、イエス様と一対一の関係です。イエス様との対話を通しての人格的な関係。目を墓から離して、イエス様の方に完全に向き合う時に、復活の主とお会いできるのです。このイエス様との一対一の関係、イエス様の方にしっかりと向き直ること、イエス様に目を向けて見上げること、これが先ほど言いました16節の方の「振り返る」ということではないかと思います。最初に声をかけられて振り向いた時には、英語のリビングバイブルでは、「she glanced over her shoulder」ですから、「彼女は自分の肩越しに、ちょっと振り向いて主を見た」ということです。つまり、体は、墓の方に向きながら、顔だけチラッとイエス様の姿を見たということです。

でも「マリア」と声をかけられた時には、「she turned toward Him」でした。肩越しにチラッと見たのではなく、イエス様の方に体をしっかりと向きなおして、顔と顔、体と体を合せて向き直ったのです。真剣にイエス様に向かって、面と面を合わせて向き合う時に、私たちは復活の主とお会いすることができるのではないかと思います。またイエス様もそのことを求めておられます。こっちを向いて欲しい、向き直って欲しいと。あのイエスを十字架につけたローマの百人隊長も、「イエスの方を向いて」(マルコ15:39)立っていて、「この人は、本当に神の子だった。」と告白したのです。

つまり、「振り返る」ということは、「振り向く」ということと違って、完全に主に向き合うこと、主の御前に出ること。主の御言葉を聞く備えをすることです。そういう心の持ち主に復活の主が出会って下さるというのです。いや、主は常に出会っていて下さるのですが、私たちの方の心の準備、心の持ち方が十分でなかったために復活の主に気がつかずにいるのではないでしょうか。何かをしながら、片手間にイエスの方を見ているとか、二心を持っているとか、本心は別の方にあるとか。

いかがでしょうか、私たちは主にきちんと「振り返って」いるでしょうか。マリアの前に墓に来た二人の弟子ペテロとヨハネは、空の墓を見て信じたとあります。(ヨハネ20:8~9)しかし、その後に、二人はまだ復活と言う聖書の言葉を理解していなかったとあります。見て信じようとするのは、「振り向いた」信仰です。まだ聖書の御言葉から復活の出来事を理解するまでに至っておりません。

私たちは、何か別なことをしながら、自分の肩越しに後をちらちらとみるような信仰を持ってはいませんでしょうか。信仰が、何か自分の趣味か教養の一部分で、自分自身はもっと別なものを求めているとかということはないでしょうか。この世で立身出世するための一手段としてキリスト教もいいのではないだろうか、人生の教訓として聖書を学んでもいいのではないだろうかとか。もしそうであるならば、復活のイエス様に気がついていないのではないかと思います。

3、復活の証人となったマリア

更に復活の主と出会ったかどうかは、その後の行動を見ればはっきりわかります。17節から読んでみます。「イエスは言われた。『わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る」と。』マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、『わたしは主を見ました』と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」(20:17~18)

復活の主と出会ったマリアは、イエスから告げられたことを弟子たちに告げました。そして「わたしは主をみました。」といいました。そうです。復活の主と出会った人は、復活の主の証人となるのです。この前のペテロとヨハネは、空の墓を信じて帰りましたが、まだ聖書の言葉を理解してはいませんでした。ですから、彼ら二人の弟子は、自分の家に帰って行ったのです。(20:8~10)でも、復活の主と真に出会ったものは、自分の家には帰りません。仲間のところに行くのです。そして「主は甦った」と告げるのです。

ここではっきりしています。御言葉を通して復活の主に出会った人は、初めて力強く大胆に証しするようになるということです。復活の主がその人の内に働いて、御言葉を与えて宣教のために用いるのです。聖霊の力によって。実際、復活の主と出会った人は、そのことを誰かに告げずにはいられません。皆さん、いかがでしょうか。マリアこそ、復活されたイエス・キリストの最初の伝道者、御言葉の宣教者となりました。ペテロでも、ヨハネでもありません、女性のマリアが最初の伝道者、復活の主の証人となったのです。

私たちが復活の証人となって、そのメッセージを伝える時、そこに主が現れて、集まっているものに聖霊の息吹を吹きかけて、平安を与えてくださいます。今日、週の初めの朝、主は私達に御言葉を通して出会って下さいました。わたしたちも、マリアのように、この復活の良き知らせを今日の内に、あるいは今週中に、人々に宣べ伝えてまいりましょう。人々はみ言葉を待っています。主が先だって、私たちと共に働いて下さいます。私たちが主の証しをする時、そこに必ず復活の主が現れてくださいます。           (岡田 久)

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