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主にあって常に喜びなさい (フィリピ4:1~9)

メッセージ
2019年6月30日富里キリスト教会
「主にあって常に喜びなさい」
(フィリピ4:1~9)

1.エボディア姉とシンティケ姉の争い

「わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。」(4:2~3)

教会の中の有力なこの二人の婦人の名前は、エボディア姉とシンティケ姉と言いました。この二人は福音のためにパウロと共に力を合わせて戦ってくれた婦人です。信仰のある立派な女性です。そしてこの二人は、「命の書」に名前が記されているクレメンスという人と同じような人物だと言うのです。教会の中ではまが合わない二人ですが、不信仰ではありませんでした。「命の書」に名前が記されている婦人なのです。既に名前が「命の書」に記されていると、パウロがそのように太鼓判を押してくれました。皆さんはいかがですか、わたしの名前は既に天国の「命の書」に記されていると確信を持つことができるでしょうか。

そういう立派な信仰者の二人でした。そういう二人でも、表面的につきあっている時はいいのですが、実際にいろいろな活動をしたりしますと、信仰の篤い人でも、喧嘩をしたり、相手をねたんだり、陥れたりすることもあります。そういう人は以外と経験があり有能なクリスチャンに多いのではないでしょうか。このフィリピの有力な二人の婦人も、二人が一緒に奉仕をすると、お互いに張り合ったり、相手をやっつけたり、破壊し合ったり、自分の仲間を集めたりして競争することがあったようです。

パウロは「主において同じ思いを抱きなさい。」と言っています。このような戦いはどこの教会でもあります。そういう教会に行きますと、牧師を真ん中にして引っ張り合いをします。牧師を何としても自分の味方につけたいのです。信仰的でない人が必死に牧師を味方にしようとします。本当に手が避けそうになります。若い牧師が涙ながらに訴えていました。「どうか主にあって、一緒になってください。キリストの体である教会が引き裂かれるように悲鳴を上げています。」
それだけすさまじい戦いがあったのでしょう。どこの教会でも男性よりも女性の方が多いですね。でもそういう争いをしていても、この二人は既に「命の書」に名前が記されているとパウロは言っています。

そしてそこにはもう一人、パウロの真実の牧会協力者である第三の人物がいました。「なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。」(4:3)とあります。真実の協力者即ち、パウロの本当の意味での牧会協力者だということです。しかしその人の名前はあげられていません。本当に存在していたのか、あるいはパウロが理想として描いた人物なのかわかりませんが、第三者の存在が必要なのです。そしてこの人は、二人のどちらかにつくということではなく、両方を支えてあげるということにおいて真の協力者なのです。

先ほどの涙ながらに訴えていた若い牧師は、どちらかの陣営につくように引っ張られていたのですが、この人は、両方を支えてあげることにおいて、パウロの真の牧会協力者なのです。教会で言いますと、役員かCS,SGのリーダーの方です。真のリーダーは、どちらかに入るのではなく、両方に良くしてあげることによって仲を保ち、仲裁して教会の一致を保てる人のことです。一方に組みしないということです。わたしもパウロのように、片方につくのではなく、両方の間を保って和解と仲裁の労を取って欲しいと願っています。

これが真実の牧会協力者、教会の霊的リーダーの働きをするキーパーソンです。そういうご婦人や壮年がいる教会は、しっかりしています。キリストの体としての一体感があります。まさに主によってしっかりと立つクリスチャンです。どっちにつこうかなとふらふらしていません。どっちにもつかないのです。イエス・キリストにつくのです。十字架の基に御言葉と祈りをもってしっかりと立つ人です。4:1にパウロが言っていますように、「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」と言っています。主によってしっかりと立つことです。どちらにも組しないで、両者を平等に支えてあげることのできる人です。

In Philippians church there is a conflict with two women named Euoudia and Syntyche who are stronger workers. Both two women are very faithful and coworkers of Paul and their names already are in the book of life. But these two women always conflict at the church ministries. Paul said “Please agree with each other in the Lord.” (4:2)
And he asked the other third woman who is a loyal yokefellow. “Please help these two women.” Who is a yokefellow! Her name was not mentioned. The true yokefellow is not stand on one side, she will help and support both two women equally and suggest the true advice according to the Bible. This is a key person to establish the church strongly. I also hope to see this true yokefellow in our church.

2.どんなことでも思い煩ってはいけない

次にこの手紙の一番大事な個所ですが、常に喜びなさい、思い煩ってはいけないということが勧められています。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになりなさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」        (4:4~7)

ここでパウロはフィリピの信徒の方々に、常に喜ぶこと、そして広い心で思い煩わないことを勧めています。ということは逆に、フィリピの人々は、思い煩うことが内側にあり、そしていつも喜んでいることができない状態にあったということです。だからパウロはそうならないように励ましています。喜べない思い煩い、それは何でしょうか。おそらくこの二人の姉妹の対立が、教会の前進を阻んで暗い影を落としていたのではないでしょうか。そしてこの二人のことのゆえに喜ぶことよりも悲しみと痛みを覚えていたのではないでしょうか。

教会でも病を抱えている方々がいます。介護の必要な家族を抱えています。入院している方もいます。家族の中にも病気の者を抱えている方々がおられます。また教会堂の建物も老朽化しています。メンバーも高齢化して将来のことも心配です。いろんな心配要素ばかりが目につきます。これで果たして喜んでいることができるでしょうか。最近は祈祷会への参加者が少なくなっています。でもパウロは、そういう時こそ「常に喜んでいなさい。重ねて言います、喜びなさい。」と言っています。皆さん喜べますか?

「主において常に喜びなさい。」「常に」とはいつもという意味です。状況が良くても悪くてもです。また私たちの「広い心」がすべての人に知られるようにしなさいと言っています。家族や教会の周りの人々に、わたしたちの寛容な心、オープンな心が知れ渡るようにしなさいとも言っています。また「どんなことでも思い煩うのはやめなさい。」と言っています。どうしてでしょうか。その理由は二つあります。「主にある信仰を持った私たち」です。そしてもう一つは、「主はすぐ近くにおられる」からです。これは、イエス様はいつも私たちのそばにおられるということと、主の再臨がすぐ間近かに迫っているということを意味しています。

明日にでも主の再臨が起こりますと言うことです。もし明日イエス様が天から来られたらどうなるでしょうか。お金がないとか、老後の生活が大変だとか、年金が不足しているというこの世的な心配の種はどうなるでしょうか。それよりも天に備えてある新しい住まいとイエス様と共にいることができると言う約束の方がすばらしいではないでしょうか。ですから、わたしたちは今全力を尽くして主に仕えることが大事ではないでしょうか。いつ主が来られてもいいように、喜びをもってどんな些細なことでも全身全霊を尽くして奉仕することです。

6節の言葉が大事です。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」とあります。どんなことでもです。マイナスのことでも神に感謝して祈りなさいと言うのです。「がん細胞が見つかった、どうしよう、お先真っ暗。」とふつうは思います。でもクリスチャンは、「神様、がんが見つかってありがとうございました。感謝です。」と感謝を込めて祈りなさいと言うのです。そしてそのことをそのまま神様に打ち明けなさいと言っています。(思い煩うことの罪と落とし穴、がんが検査で見つかった人の話。)

主イエスも「あなたがたの内、誰が思い煩ったからとて、自分の寿命をわずかでものばすことができるだろうか。」(マタイ6:27)と言っています。またパウロはこうも言っています。「神はあなたがたを顧みていて下さるのであるから、自分の思い煩いを、いっさい神に委ねるがよい。」(Ⅰペテロ5:7)と。わたしたちが思い煩う時、それは神様の領分まで入ってしまって、自分で何とかしようとしています。ですから思い煩いは罪なのです。神を信じていないことです。自己中心になっているのです。それよりも喜びながら、常に感謝を持って祈ることです。

そして主を喜ぶことです。有名なネヘミヤ書の言葉にこうあります。「今日はわれらの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ8:10)とあります。主を喜びましょう。そこにわたしたちの力と希望があります。寛容の広い心を示しましょう。どんなことでも思い煩ってはいけません。思い煩いは主に対する罪です。

Paul said “Rejoice in the Lord always. I will say it again: Rejoice! Let your gentleness be evident to all. The Lord is near. Do not be anxious about anything, but in everything, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your heart and your minds in Christ Jesus.” (4:4-7) This is a very comfortable and encouraging word for us. He said “Rejoice in the Lord always. And do not be anxious about anything” we should not be anxious about anything, we may always be anxious about everything. To be anxious is a sin because it will do everything by our own power beyond the territories of the God. So we should stop to be anxious, rather pray with thanks in everything and present our request to God with thanks giving. Then the peace of God will keep our heart and minds in Christ Jesus. If you have any anxious, please pray your request to God with thanksgiving. Nehemiah said “the joy of the Lord is our strength, so do not grieve.” (Nehemiah 8:10) Let us pray in everything with thanks giving and joy.

それよりも「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」とあります。礼拝の後のホワイトボードの祈りの時、まず感謝して祈りましょう。どんなことでも感謝です。歩いていて側溝に落ちて足を怪我しても感謝です。「主に感謝します。」と言いましょう。ともかく感謝をもって祈りと願いをささげることです。皆さん感謝していますか?私もこのみ言葉を読んではっと気が付かせられました。いつも神様に、願い事ばかりしているのです。感謝の言葉がありませんでした。感謝できないことがあっても、まず感謝です。そしてわたしたちは、どんな困りごとでも悩みでも、神様に打ち明けることができるのです。これがクリスチャンの特権です。

そうしますと、がんが治るとは書いていませんが、「人知をはるかに超えた神の平和が、あなたがたの心と考えをキリスト・イエスによって守るでしょう。」とあります。わたしたちの思い煩いや心配や恐れや悩みや問題は、いつでもあるでしょう。しかし、そういう思い煩いであっても、それらを感謝して主に祈り願い求めるならば、そこに奇跡的な人の思いをはるかに超えた想定外の不思議な神の平安があなたの心と考えを守りますとあります。人知を超えたという言葉は、英語ではtranscends all understanding とあります。異次元の信じられない神の平安です。

3.良いことを心に留めなさい

最後にパウロはこの世的にも、クリスチャンは良いことを心に留めなさいと言っています。信仰が深くなると、ともするとこの世的な良いことを超越してしまって、極端な方向に行ってしまうことがあります。選挙に参加しないとか、文化勲章を受けないとか、そういうこの世の名誉を否定してしまう傾向があります。そうではなく、この世にあっても名誉なことや賞賛に値するようなことを無視せずに、心に留めておきなさいと言うことです。この世的な名誉ばかりを求めて必死に賞を得るような生き方をする必要はありませんが、そういうこの世的に良いと思われていることも心に留めておきなさいと勧めています。

そしてパウロは「わたしから学んだことや、受けたこと、わたしについて訊いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」(4:9)と勧めています。平和の神は、心の中だけではなく、この社会の中にあっても、良いことを通して平和を造り出してくださるのです。わたしたちは世のひかりとして、また地の塩として、この世にあっても光り輝く存在となって証をしてゆく者となります。これがパウロの最後の言葉です。主にあって喜びましょう。主はすぐ近くにおられます。思い煩う必要はありません。いつも喜んでいましょう。そこにわたしたちの力の源があります。そして感謝をもって、どんなんことでも祈って行きましょう。(岡田 久)

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