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万軍の主の熱意 (イザヤ8:23~9:6)

メッセージ

2013年12月1日富里キリスト教会

「万軍の主の熱意」
(イザヤ8:23~9:6)

1.死と闇の地に大いなる光が輝いた

「先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ8:23~9:1)

ゼブルン、ナフタリの地と言いますのは、北イスラエル王国で、場所的にはガリラヤ湖の西側に位置します。この北イスラエルとその上にありますアラム(今のシリア)と連合して、紀元前734年に南王国ユダに攻め入ろうとしました。そこで、南王国のアハズ王が、更にその北にありますアッシリアに援軍を頼んで、この連合軍を滅ぼすように要請しました。南の王も、神により頼まずに他国に援軍を要請したのです。そのことをイザヤは、神に対する背信として非難しました。紀元前722年に北の首都サマリヤは陥落します。主な人々はアッシリヤに捕囚として連れて行かれ、そこには代わりに異邦人が移り住んできました。

この北イスラエルの国がアッシリアに滅ぼされたのは、彼らは、苦難の中で心を入れ替えて、主に立ち帰ろうとしなかったからでした。どこまでも自分を誇り、神を神としない生活を送っていたのです。9:7,8、12にこう言われています。「主はみ言葉をヤコブに対して送り、それはイスラエルにふりかかった。民は誰もかれも、エフライム、サマリヤの住民も、それを認めたが、なお誇り、驕る心に言った。・・民は自分たちを打った方に立ち帰らず、万軍の主を求めようとしなかった。」とあります。

このようにして、アッシリアに捕囚となった人々は、アッシリア人の血が混じって、純粋な南のユダヤ人から見れば、完全に堕落した民、滅ぼされてしまった民となってしまいました。その子孫が、サマリヤ地方の人々で、イエス様の時代になっても人種的宗教的な差別が続いていました。(サマリヤの女、良きサマリヤ人の例)また、同じように、ガリラヤ地方も異邦人が住み着く辺境の地となって行ってしまったのでした。

しかし、預言者イザヤは、やがて時が来れば、そのような呪われた地、滅ぼされてしまった地に神の栄光が現れるということを預言したのでした。それがこの9章の言葉です。イザヤは、そのような地にも、いやそのような苦難と闇と苦悩の地であるが故にこそ、やがてそこに大いなる光が輝き渡るということを預言しました。そのような死の陰の地に住む人々こそ、神の栄光を受ける時が来るということを預言したのです。それがこの9章の言葉です。

今、日本でも、あの3・11以来、多くの人々が苦難と苦悩と暗闇の中に突き落とされました。いくら、希望を持って立ち上がろうとしても、立ち上がる力も気力も希望も待てないままでいます。今なお、多くの人々が苦しみと悩み、失意と落胆と悲しみの中に置かれたままになっています。確かに、国と国との戦争も悲惨なものがあります。一概に言葉では語ることができないかもしれません。しかし、あの大震災も、原発事故も人々を悲惨さと苦しみのどん底に突き落としました。あれほどの大津波を経験した民族が、歴史的にもこの地上にいたでしょうか。8:23に「今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。」とイザヤは言っています。

しかし、イザヤは、そのような闇の中にいる人々、死んだも同然の人々の上に、必ず光が輝き渡り、人々はその栄光の光を見ることができると預言しました。そして、このイザヤの預言の言葉は、イエス・キリストがあのゼブルンとナフタリ地方の町カファルナウムで「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って宣教の第一声を語った時に成就しました。(マタイ4:12~17)

2.大きな喜びの日

「あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛を、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように、折って下さった。」(イザヤ9:2~3)なぜ彼らは喜んだのか、刈り入れの時、戦争に勝利して戦利品を分け合うかの時のように歓喜に満ちあふれるのか。それは、来たるべきメシアは、私たちの軛である重荷を担い、その罪の重荷をことごとく贖い取ってくださったからです。罪の軛のゆえに、がんじがらめに縛られていた律法の重荷とその鎖から、人々を解放して下さったからです。

ミディアンの日と言いますのは、あの勇士ギデオンが、たった300人の兵士をもって、ミディアンの大軍を一夜にして破ったという話から来ています。(士師記6~7章)そのようにして、イスラエルの罪の軛とその罰を、たった一人の人イエス・キリストが、全てその身に担って十字架に架かって、その罪の軛の下にある人々を解放して下さったということです。そのことが、どんなに嬉しいことか、喜ばしいことかということです。

このキリスト・メシヤの贖いのゆえに、私たちの今までの罪が赦され、無条件で神の子として下さり、神の栄光にあずかることができるようにして下さったのです。この喜びは何にも代えることができません。そして、この福音の光を宣べ伝えることによって、多くの魂を刈り入れて、共にその喜びにあずかる者として下さいました。その喜びのゆえに、楽しみに満ちあふれるのです。

何か、物をもらうこと、利益が上がること、経済効果が出ることが私たちの喜びのような宣伝ばかりが目立ちますが、真の喜びは何でしょうか。株が上がったことですか、ボーナスがたくさん出ることですか、何か高級な料理やファッションを身にまとうことでしょうか。あの震災にあった人々が求めているものはそんなことでしょうか。そんなものは、もう一度大地震や津波が来れば、いとたまりもなく、消えてしまいます。真の解決は、経済や軍事力にあるのではなく、神の恵みであり平和である御子イエス・キリストの中にあるのです。

3.一人の神のみどり子

預言者イザヤは、真の神の国、真の平和は、軍事力や経済や資本や産業と言ったものではなく、神の御子イエス・キリストの誕生によって実現することを預言しました。9:4から読んでみます。「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた。一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。一人の男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」(9:4~6)

イスラエルを救われるのは、多くの軍隊を率いて、力強く敵を圧倒する万軍の王ではありません。今、日本でも中国の脅威に備えて、アメリカと同盟を強め、その軍事力に対抗しようとしています。南王国が、北王国イスラエルとアラムの連合軍の脅威に対抗するために、その北にある大国アッシリヤと同盟を結んで対抗しようとしたみたいなものです。しかし、真の平和は、そのような軍事力によっては守りえないのです。国と国との盟約によっては実現しません。聖書はそのことを教えています。

真の平和は、神の御子イエス・キリストを通して実現するとイザヤは預言しました。イザヤが預言したメシヤなる救い主は、一人のみどりごとしてこの世に来られるというのです。そして、その幼子には、四つの権威が与えられています。「驚くべき指導者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」と言う称号です。大いなる指導力を持ったみどりごです。全知全能の大きな権能を持った神そのものです。また、永遠の父として、民イスラエルをとこしえまでも見守っておられるお方です。そして、平和をもたらす真の王であるお方です。

まさか、このイスラエルを救って下さる救い主メシアが、この独りの幼子の中に成就したということは誰も知る由もありませんでした。しかし、預言者イザヤは、700年も前に、メシヤ(キリスト)の誕生を告げたのでした。救い主は、この地上に武力をもって君臨するのではありません。経済力を持って支配するのでもありません。幼子として、みどりごとしてこの世に来て下さるのです。乙女が身ごもって、男の子を産む、そしてその子の名前は「インマヌエルと呼ばれる。」と預言しました。(イザヤ7:14)神我らと共にいます。これこそが、神がわたしたちに与えられた唯一のしるしです。インマヌエル、神我らと共にいます。

人間は自分の知恵や力では、真の平和を造り出すことは出来ません。真の平和は、神の御子イエス・キリストの十字架によってのみ実現されるものです。人間のあらゆる、欲望、争い、妬み、比較と競争がのきさしならないところまで来ています。あっちの国、こっちの元首に頼るのではなく、真の神、あのベツレヘムの飼い葉桶の中に生を受け、カルバリの丘で全人類の罪のために死んでくださった幼子イエス・キリストこそ、すべての人の平和の源であり、永遠の王なのです。神はこの御子イエス・キリストの十字架の死と復活を通して、神の赦しと救いの御業を、この地上に成し遂げてくださったのです。このお方に頼るべきです。この方以外に真の平和はありません。

4.神の熱心が成し遂げる

しかし人間は、あたかもそれができるのは自分ではないかと思い、自分の努力や力で何とか平和を成し遂げようとしました。イザヤの生きていた時代の南王国の王アハズもそうでした。自分たちの国を守るために、真の神に頼ることなく、自分の力を頼み、より大きな国の武力に頼って延命を図ろうとしました。真に頼るべきお方は、万軍の主である神以外に存在しないにもかかわらず、この世の力により頼んだのです。

イザヤはこう警告しました。「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。」「万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。あなたたちが真に畏るべき方は主である。御前におののくべき方は主である。」(イザヤ7:4、8:13)と。また、この9:6でも最後に、「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」と言いました。主の熱心が成し遂げてくださるのです。私たちの熱心や努力ではありません。静かにしているならば、神様御自身が、必ず、最善の道を備えて私たちを救いの道へと導いてくださるのです。神様御自身が戦って下さるのです。あなたが戦うのではないのです。これは神の戦いであり、神の救いであり、神の勝利なのです。その救いが、あの御子イエス・キリストの中に成就しました。

戦争のうわさ、危機的時代、そして天変地異の起こっている昨今です。まさに暗闇と死が支配しているような時代です。でも、その暗闇の中を歩む人々にも、死の陰の谷を歩んでいるような人にも、救いの光、恵みの光が届いています。主御自身の熱心がそのようにして下さいます。その時を心静かに、信仰の祈りをもって待ち望んで行きたいと思います。          (岡田 久)

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