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ヨゼフの夢 (創世記37:1~11)

メッセージ
2019年7月7日富里キリスト教会
「ヨセフの夢」
(創世記37:1~11)
1. 兄弟の妬み

「ヤコブの家族の由来は次のとおりである。ヨセフは17歳のとき、兄たちと羊の群れを買っていた。まだ若く、父の側女ビルハやジルバの子供たちと一緒にいた。ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した。イスラエルは、ヨセフが年より子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった。」(創世記37:2~4)

ヨセフは生まれた順でいいますと、ラケルとの間に生まれた11番目の子供でした。このヨセフの下に、母ラケルが死の間際に産んだベニヤミンという弟がいます。この二人は同じ母から生まれた兄弟で特に仲が良かったようです。そして父ヤコブも、年を取ってから生まれた子供でしたので、このヨセフをことの他かわいがったようです。聖書にも「イスラエル(=ヤコブ)はヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾の長い晴れ着を作ってやった。」とあります。

ヨセフには特別あつらえた「裾の長い晴れ着」を作ってあげました。これは、高価な上等な服ですので、当然ほかの兄弟たちからは妬みの種になってしまいました。「なぜ、ヨセフだけに良い服を買ってあげたのか。我々には何もいいものをくれない。」と。親としては、年を取ってからやっと生まれた子供ですし、愛する妻ラケルの忘れ形見でもありましたので、どうしても一番下の子供をかわいがってしまいます。ヨセフにだけ愛が集中してしまいました。

神様は、この12部族である神のイスラエルを、全員まんべんなく愛して救おうというのではなく、その中から一人を選んで、その一人の人物の信仰によってイスラエル全体を救おうとしていたのです。ここに神様の不思議な救いの御計画と選びというものがあります。たとえば、この地球を救うために、全人類を差別なく全員まとめて救おうとするのではなく、その中からある人を選んで、その人の信仰を通して全世界的な救いの業を成し遂げようとしているのです。

しかし、問題は選ばれなかった方です。何故11番目の息子だけを大事にするのか。父は我々を愛していないのかという反発が出てきます。でも兄たちは残念ながら、悪い行いがあったようです。ヨセフは兄たちの悪い行いを父に告げ口していたとあります。いわばヨセフだけは、父親に忠実に従い兄たちの悪行に加わりませんでした。ですからヤコブはますますヨセフへの愛情を傾けて行ったのではないでしょうか。いずれにしましても、あまりいい家族関係ではなかったようです。神様はそういう兄弟間の妬みや憎しみと言ったものを、最終的には赦しと和解の業を通して一つの神の民を形成してゆこうとしていたのです。

この兄たちのヨセフに対する妬みが、これから大きな事件を引き起こしてゆきます。そして、聖書の物語は人間の妬みの歴史ではないかと思うほど、人間の妬みがこれでもかこれでもかと記されています。まず最初の人アダムの二人の兄弟、カインとアベルの場合もそうです。神に顧みられなかった兄カインは、怒って弟アベルをねたみ憎んで、野原で殺してしまいました。また新約聖書では、ヘロデ大王が、ユダヤ人の真の王が生まれたという知らせを聞いて、自己保身のために罪もない子供を殺してしまいました。王位に対する権力者の妬みの故です。

そして一番大きな妬みの事件は、救い主の到来によって群衆が皆そちらに行ってしまったので、ユダヤの指導者たちが自分たちの妬みから、イエスを殺そうとしたことです。イエスが殺されたのは、人間の妬みです。しかも同族のユダヤ人の妬みなのです。神様はこの人間の妬みという最大の罪を、このイエス・キリストの赦しと和解の十字架の贖いの業を通して、真のイスラエルを形成しようとされました。ヨセフ物語はそういう意味で、イエス・キリストの救い、真の神の家族の形成、異教の地への宣教の働き、勝利への希望と言った神の業を、あらかじめ預言(予型)しているものと言っても過言ではありません。

The father Jacob loved Joseph and made him a richly ornamented robe for Joseph was born in his old age and he is a son of Rachel whom Jacob loved. Joseph bought the envy of his brothers by his father’s prejudice. This story takes the prejudice of human beings. We can see the example of envy of human beings in the Cain’s murder and king Herod’s murder. But God will create the new spiritual Israel by changing from the world of envy and hate to the world of forgiveness and reconciliation. Joseph was elected as Christ’s type to overcome the human envy and sins through his life of hardship.

兄弟同士の愛憎が渦巻く家族関係、どろどろとした人間的な妬みと憎しみの世界、しかし、そういう人間的な感情の対立を通して、神様は真の神の民、イスラエルというものを造り出そうとしていたのです。それは、妬みと憎しみの関係から、最後には赦しと和解の関係へと、神の民を造り変えようとしていました。いやそもそも、神の民というのは生まれたから神の民ではなく、相対立する関係を和解と赦しという業によって、新しい霊のイスラエルへと造り変えて行く共同体が真の神の民となって行くのです。これは真のイスラエルとなるための物語でもあります。それは、憎しみと妬みと争いという関係から、赦しと和解と平和という関係へと造り替えられてゆく共同体となって行くための物語でもあるわけです。妬みを乗り越えて行くために、憎しみに勝利してゆくためのプロセスが、このヨセフ物語のテーマになっているような気がします。

2.夢のお告げ

更に兄たちをねたみと憎しみへと駆り立てたのは、ヨセフが真理を語ったからでした。「ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むようになった。ヨセフは言った。『聞いてください。私はこんな夢を見ました。畑でわたしが束を結わえていると、いきなり私の束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。兄たちはヨセフに言った。『なに、お前が我々の王になると言うのか。お前が我々を支配すると言うのか。』兄たちは夢とその言葉のために、ヨセフをますます憎んだ。」(37:5~8)

ヨセフは自分が兄たちから良く思われていないということを知っていながら、更に自分が見た夢のお告げまで、みんなの前で得意になって話したのです。もうこれで、兄たちも怒りが頂点に達しました。そして更にヨセフは、太陽と月と星の夢も、今度は兄たちだけではなく、父ヤコブにも話したのです。「太陽と月と11の星がわたしにひれ伏しているのです。」(37:9)これには父ヤコブもヨセフを叱ってこう言いました。「『いったいどういうことだ、お前が見たその夢は。わたしも母さんも兄さんたちも、お前の前に行って、地面にひれ伏すと言うのか。』兄たちはヨセフをねたんだが、父はこのことを心に留めた。」(37:10~11)とあります。

父ヤコブは兄とは違って、ヨセフの得意げな話を聞いて叱りはしましたが、妬むのではなく、その言葉を心に留めていました。しかし、兄たちはねたむ思いが最高潮に達したようです。この夢の中で示されたヨセフの束が立ち上がると、他の11の束がそばに来てヨセフの束にひれ伏したというはどういうことでしょうか。これは束ですから、麦の束かもしれません。つまりこの地上の作物にまつわる食糧問題で、ヨセフの所に兄弟たちが身を寄せて食べ物を得ると言うことを意味しています。そしてヨセフはこの世の農業と経済のすべてを支配する地位につくということです。

そしてその権威は、父や母や兄弟たちにまさって、天上でも大きな権威と力を得るということを意味しているのではないでしょうか。ヨセフはやがて、この地上でも天上でもすべてのものを支配するほどに勢いが増してくるということではないかと思います。このようにして天上でも地上でも神の民イスラエルの名とその栄光は輝き渡るということではないかと思います。そういう来るべき神の救いと栄光についての神の御計画を、ヨセフは夢という形で受けたのです。そしてこの神様の救いの御計画は真実でした。

そして、その救いの御計画を預言したものは、なぜか同胞から妬みを買ってしまうのです。イエス・キリストも神の福音として、救いの御計画とその御心を宣べ伝えました。しかし、肝心の同胞イスラエルは、それを受け入れるどころか、イエスを妬み憎み、ついには十字架につけて殺してしまったのです。キリストは死んで、黄泉の世界まで行かれました。神の真理の言葉を語る者は、仲間から妬まれ、憎まれ、排除される、それが世の常です。ヨセフも兄たちの反感を買って、深い穴に投げ込まれました。そしてエジプトまで売り飛ばされました。エジプトでも濡れ衣を着せられて、暗い牢屋に閉じ込められました。それでもヨセフと共に神がいて下さり、夢という不思議な力を用いてヨセフをその死の穴の中から何度も救い出されたのです。ヨセフのこの洞穴やろ屋からの救出の出来事は、イエス・キリストの十字架と復活を示しています。

3.ヨセフの夢の実現

このように考えてきますと、このヨセフは来るべきイエス・キリストの働きをあらかじめ預言したキリストの予型(予表)ではないかと思います。この後ヨセフは、兄弟の反感を買って、穴の中に投げ込まれてしまいます。エジプトでも主人の妻の悪い行動によって、再び牢獄に投げ込まれてしまいます。何度も死と闇の暗闇に投げ込まれ、閉じ込められてしまうのですが、彼には夢という力がありました。神から夢を説く不思議な力が与えられて、ヨセフは牢獄から復活し、エジプトの大臣までも昇りつめることになります。

まさにイエス・キリストの十字架の死とそこからの復活を予告するような人生を送ります。そして最後に、自分を売り飛ばした兄たちとの再会という赦しと和解のクライマックスを迎えます。このようにしてヨセフの物語は、真のイスラエルとは何かということを投げかけています。そして神の民とは、ただ単に血筋による共同体ではなく、妬みと憎しみを最後は赦しと和解によって勝ち取った共同体であるということを表しているような気がします。これが真のイスラエルの12部族なのです。ヨセフ物語は、教会のあるべき姿を語っている所があります。

教会もそうです。バプテスマを受けて、教会員となった者が真の神の家族ではありません。むしろ兄弟姉妹の中には、ヨセフの兄弟のように、妬みや憎しみや争いと言ったものがあります。それが教会です。でもそういう対立があるにもかかわらず、それを赦しと和解によって乗り越えて一致を勝ち取って行くところに、真のキリストの体としての教会の姿があります。

Even though Joseph had never done a bad job, he bought a envy for him. And even though he was going to die, he decided to forgive his brothers seeing face to face at last. His way of life reflected the image of Jesus Christ forgiven on the cross. The story of Joseph is the story of forgiveness and reconciliation. Joseph is precisely Christ’s type. God want to save the world through the hardship life of Joseph including his brothers and family and people and all of the nations. He prophesied the coming worship that the savior of this world Jesus Christ was praised by all creation of heavens and the earth. Today the dream of Joseph has been realized in our worship.

ヨセフは悪いことをしたことがないにもかかわらず、夢を話しただけなのに、あんなにも妬み買ってしまったのです。そして殺されそうになったにもかかわらず、最後には、その憎むべき兄弟と対面し、赦す決心をした一人の人間ヨセフの物語です。その生き方は、あの十字架の上で罪を赦されたイエス・キリストの姿そのものを映していると言って過言ではないでしょう。このヨセフ物語は、赦しと和解の物語です。

ヨセフは紛れもなく、来るべきキリストの予型そのものです。そして神様は、この一人の妬みを買い迫害を受けた一人の人間の苦しみと愛の生き方を通して、憎み合った兄弟のみならず、家族も一族も、そして全世界をも救おうとしているのではないでしょうか。地上のものも、天上のものもすべての被造物が、一人の救い主の前にひれ伏して礼拝を捧げることをヨセフは夢見ていたのです。

その実現が、今日のこの日の礼拝です。人々には捨てられましたが、神に愛され、死から甦って和解を成し遂げ、人間の罪に勝利されたお方イエス・キリストを、今や全世界の被造物が天においても地においてもひれ伏してお辞儀をして礼拝しています。ヨセフが夢見、ヨセフが預言したあの夢が今、ここに成就しているのです。血筋による肉のイスラエルではなく、真に罪赦された霊のイスラエルが、今、全世界で礼拝をささげています。そして天にあるものも地にあるものも、すべての被造物がイエス・キリストを救い主としてひざまずいて礼拝をささげています。ヨセフの見た赦しと和解の礼拝という夢が、ここに成就しているのです。(岡田 久)

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