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ペンテコステの教会 (使徒言行録2:37~47)

メッセージ

2013年5月19日富里キリスト教会

「ペンテコステの教会」
(使徒言行録2:37~47)

1.聖霊のバプテスマ

まず最初に、「ペンテコステ」とは何かと言いますと、ギリシャ語で50をペンテコストスといいます。第50日目という意味ですが、いつから数えて50日目かと言いますと、イエス様の復活された日から数えて50日目のことを言います。この日に、120名の弟子たちがエルサレムの二階の部屋に一緒に集まっていました。その時に、突然大音響とともに激しい風が吹いて来ました。そして天から音が聞こえ、家中に響き渡り、人間の舌のような形の炎が現れて一人一人の上に留まりました。

その聖霊のバプテスマの時にどんなことが起こったかと言いますと、まず、聖霊が一人一人の上に舌のかっこうをして降りました。そして一同が突然全く知らない外国語を語り始めたのです。そしてペテロが立ち上がって大胆にイエス・キリストの十字架と復活についての説教を語り始めました。周りの人々は、この弟子たちに起こった不思議な現象を見て、彼らが外国語を話している様子を目撃して、朝の九時から彼らは酒に酔っぱらっていると思いました。

つまり聖霊が注がれると、気持ちが大きくなると言いますか、心が開放されると言いますが、恥ずかしさがなくなると言いますか、人が大胆に話し始めるのです。しかも、イエス・キリストの救いの出来事についてです。人が変わったように、福音を語り始めるのです。何故か、それはコップに水を注いで行きますとある程度一杯になります。更に水を注ぐと、コップの淵から水があふれ出て来ます。それと同じように、聖霊が降って、心に充満しますと、聖霊があふれ出てきます。それが、聖霊の語る御言葉なのです。あふれ出る水を抑えることができないように、私たちも、心からあふれ出てくるイエス様の救いの言葉を抑えることができないのです。話さずにはいられなくなります。ですから、聖霊が舌の形をして一人一人の上に降ったのです。聖霊の舌で、新しい言葉を語るのです。

ペテロはこの時、こう言いました。2:17「神は言われる。終わりの時に、私の霊を全ての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言をし、若者は幻を見、老人は夢を見る。」と。ペンテコステの時には、息子、娘、男、女、奴隷に関係なく、聖霊様が注がれます。ふつうは、老人が幻を見る、若者は夢を見るですが、聖霊が降ると年齢が逆転して、老人の方が夢を見るのです。そして若者が、幻を語るのです。そして、この聖霊降臨は、この時から今日に至るまで続いております。今までは、イスラエルの歴代の王や預言者がリーダーでしたか、この日からリーダーは聖霊になったのです。すべてが聖霊の業なのです。

今は聖霊のバプテスマの時代です。聖霊様の働かれる時代です。肉の子供を産む時代ではなく、霊の子供を産む時代です。聖霊の働く時代なのです。聖霊が注がれると、自分の罪を認め主の十字架を見上げます。新しい霊の誕生です。私たち、主を信じている者は、もうすでに聖霊のバプテスマを受けている者なのです。(Ⅰコリント12:3,13)あのペンテコステの時の教会のように、心を一つにして祈りましょう。上から力が授けられるように、心を一つにして一緒に集まって祈りましょう。

2.あかしする教会

第二番目に、ペンテコステの教会は伝道し、証しする教会であったということです。一人の姉妹が、先日、「やっと近所のお友達をスモールグループにお誘いできました。」とおっしゃっておられました。私たちにとって、近所のお友達を誘うことでさえ、ある意味では勇気のいることです。おそらく、相当、祈りに祈って覚悟を決めて、思い切ってお声をかけてくださったのではないでしょうか。私たちは、祈って聖霊のバプテスマを受けなければ、大胆にイエス様のことを友達や知人に紹介することはできません。誰でも不安や恐れがあります。嫌われたらどうしよう、仲間外れにされたらどうしようと。でも、そのためにも祈りましょう。聖霊様が、あなたにあの人のところに行きなさい、そして福音を語りなさい。教会にスモールグループに誘いなさいと言って下さいます。

今、水曜祈祷会で学んでいるローマ書の中に、聖霊についての四つの働きがまとめて述べてある箇所がありましたので見てみましょう。ローマ8:15~17です。「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によって私たちは『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、私たちが神の子供であることを、私たちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし、子供であれば相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。」

ここに聖霊の四つの働きが述べられています。一つは、「神の子とする霊を受けたのです。」つまり、聖霊様は私たちが神の子であることを保証して下さっています。そして第二に、「アッバ、父よ。」と呼ぶことができるのです。つまり聖霊様によって、天のお父様に遠慮なく祈りを捧げることができるというのです。祈りは、聖霊の導きと聖霊の助けなしには祈ることはできません。第三に、聖霊は私たちが神の子であることを、証して下さるということです。つまり「わたしはクリスチャンです。教会に行っています」ということを、この世に向かって私たちの霊と一緒に証するのを助けて下さるということです。第四に、イエス様と一緒に、天国の相続人となる保証をして下さるということです。

私はここで、この四つの聖霊様の働きの中で三番目の「証の力」というものに注目してみたいと思います。復活されたイエス様は、こうおっしゃいました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と。

聖霊が働かれると、女性だろうが、老人だろうが、神様が幻と夢を与えて遣わされます。この世界伝道は、すべて聖霊様の働きです。上から力を与えられて、遣わされます。そして、私たちの教会からも、将来は夢を持った老人の方が起こされ、地の果てまで遣わされるように、あるいは幻を持った若者が起こされて、アジアの隅々まで遣わされるようになることを願っております。その伝道計画は、すべて聖霊様の判断であり、聖霊様が企画し、聖霊様が起こし、聖霊様が人を遣わすのです。聖霊様の独壇場です。このお方に逆らっては何もできません。この聖霊様の働きなくしては、世界宣教は起こりません。

3.家ごとに集まっていた教会

最後に第三番目に、ペンテコステの教会は家ごとに集まっていた教会でした。2:41から読んでみます。「ペテロの言葉を受け入れた人々はバプテスマを受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべてのものを共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心を持って一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(使徒言行録2:41~47)

ここに真の教会の姿が描かれています。42節に「使徒の御言葉の教え(WORD)」、「信者同士の親しい交わり(WELCOME)」、「主の残された晩餐式を通して、罪の悔い改めと一致(WORSHIP)」、「聖霊によって熱心に祈ること(WORK)」という、教会の生命線とでもいうべき四つの大切な働きが述べられています。しかも、彼らはこの四つの働きをどのようにして持っていたかと言いますと、その中心は、聖霊様です。すべて聖霊様の働きによって行っていたのです。常に、聖霊様に聴いていたのです。(Hear the Spirit says to the church !)

しかも私はここで注目していただきたいのは、家ごとに集まって主の晩餐式をして、食事もして賛美もしておりました。しかも、44~45節を見てみますと、信者たちは自分の財産を分け合って、必要に応じて分配し合って全てのものを共有していました。彼らの信仰の基礎は家庭だったのです。家々でした。そしてその家同士の交わりでした。自分の現実の生活の場所の中で、祈ったり御言葉を聞いたり、助け合ったりしていたのです。

そういう生の生活の中で、生活にあてはめて御言葉を読み、生活の必要から神様に必死に祈るのでした。そういう信仰生活が基礎にあって、信者同士の結びつきが固くなるのです。まさに泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶという共同体、グループが築かれてゆくのです。そういう信仰生活が基礎にあって、日曜日の礼拝が生きて来るのです。みんな、そのような霊による信徒同士の交わりを必要とします。人間の好き嫌いという感情で一致するのではなく、霊による一致です。聖霊による絆です。

教会の生命線は、この聖書箇所にありますように、信徒の一致です。44節に「信者たちは皆一つになって」、46節に「ひたすら心を一つにして」、「一緒に食事をし」、47節に「日々仲間を加え一つにされた」とありますように、ペンテコステの教会の生命線は信者の一体感でした。そしてそれを生み出していたのが、自分の家や地域を通して集まっていたからです。信徒相互の親しい交わりがあったからです。この家庭を通しての信徒の親しい一体感を、ペンテコステの教会は持っていました。

そしてクリスチャンがこのようにして、一つとなって愛の内に喜んで成長してゆく時に、周りの民衆全体からも好意が寄せられて、仲間に加わる者が起こされて来ました。なぜか、それはそのような信徒の交わりの中に神様の御臨在が感じられるのです。Ⅰコリント14:24にこういう言葉があります。「皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入ってきたら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、『まことに、神はあなたがたの内におられます。』と皆の前で言い表すことになるでしょう。」

本当にみんながグループになって集まって、御言葉を語っている時に、そこにいた未信者の方の心が開かれて、自分の罪を認めて主を受け入れるようになります。家々でそういうことが起こっていたのです。そして、このペンテコステの時に、信仰決心をしてバプテスマを受けた者が三千人あったと言われています。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」                (マタイ18:20)
「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」
(ヘブライ10:25)
ペンテコステの教会を目指して、私たちも集会をやめることはしないで、ますます熱心に集まりましょう。そして、心を一つにして聖霊様の助けと満たしを願いながら祈って参りましょう。              (岡田 久)

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