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ペンテコステの備え (使徒言行録1:12~2:4)

メッセージ

2015年5月24日富里キリスト教会

「ペンテコステの備え」
(使徒言行録1:12~2:4)

1.御言葉を信じて待つ祈り

「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離のところにある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」(使徒言行録1:12~14)

二千年にも及ぶイスラエルの歴史が、今や霊的なイスラエルとしてこの世界に実現成就しようとしているからこそ、彼らは、方々に散らされるのではなく、神がその基を据えたシオンの丘のおる、あのエルサレムから開始されなければならなかったのです。霊のイスラエル、新しい神の国の発展は、エルサレムから始まって、ユダヤ、サマリヤ、そして地の果てまで広がって行くのです。旧約聖書に、そのように預言されているからです。ですから彼らは、たとえ数が小さくても、ガリラヤ出身の田舎者の集まりでありまして、神の約束されたとおり、神の都エルサレムから、そして十二人の使徒から始めなければならなかったのです。

ですから彼らは、死を覚悟してまでも、イエスがおっしゃったとおりにエルサレムに入って、いつも集まっていた二階の部屋に集まって、主を礼拝し、祈って聖霊の降臨の時を待ったのです。そしてまた、神の聖なる十二部族を現すためにも、ユダの代わりに誰か別の弟子を、使徒として十二使徒の仲間に加える必要がありました。

そこに十一人の名前が挙がっています。ペテロがやはりリーダーで、他にヨハネとヤコブが加わって三役を形成していました。そして、この11人の使徒の他に、女性たちも仲間に入っていました。とりわけそこに、イエスの母マリア、そしてイエスの兄弟たちも加わって一緒に祈っていたのです。この三年間で、イエス様は家族伝道を果たされて、親と兄弟が救われたということは本当に素晴らしいことだと思います。

ここでは十二使徒をはじめ、イエス様のお母さんや兄弟たちを含めて、約120人ほどが集まっていました。最初の教会の大きさはここにありますとおり、120人ほどの会衆から成っていました。そして使徒たちと女性たち、イエス様の家族の者たちが、この二階の間で「心を合わせて熱心に祈っていた」のです。14節に「心を合わせて」と「熱心に」という祈りが出ております。教会は、弟子訓練も教会学校もスモールグループも大事ですが、基本的には、信徒達が一緒になって熱心に祈ること以外にないと思います。祈りに参加する人がおこされ、富里教会でも熱心に祈りが捧げられるようになることです。これがペンテコステの時代の教会の姿ではないかと思います。

2.神に委ねる祈り

ここでちょっと、17節以降のユダの最期を見てみましょう。「ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で、『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。」(1:17~19)

ユダもペテロもイエス様を裏切った行為は同じです。ユダは銀30枚で売り渡し、ペテロは「イエスを知らない」と三回も言いました。しかし、ペテロはすぐにその後に、涙を流して心から悔い改めました。しかし、ユダは最後の最後まで悔い改めることをせず、どこまでも自分の我を通し続けて、突き進んで行きました。最後には、自分で罪の責任を取って首をつって自殺してしまいました。ところがその首を吊った木の枝が折れて、高いところから真っ逆さまに地面に落ちてしまったのです。打ち所が悪かったのでしょうか、何かに当って体が真ん中から裂けて、腸が全部地面に出てしまったと、実にむごたらしくその最後が書き記しるされております。

これは悲しいことですが、まぎれもなくユダの上に神の裁きが下ったということを意味しているのではないでしょうか。そしてユダが主を売った30枚の銀貨で、外国人の墓地を祭司たちが買いましたが、それは「血の土地」と言われ、いわば呪われた場所になってしまいました。これもまたエレミヤが預言したことだったと聖書は記しています。(マタイ27:9~10、ゼカリヤ11:12~13)

この時彼らは、どのようにして代わりの使徒を選んだのかが記されております。まず二人の候補者をあげました。バルサバ、あるいはユストとも呼ばれているヨセフと、マティアの二人が候補者として選ばれました。いわば弟子たちは、倍数の候補を選んで、後は二人にくじを引かせました。そして当った方が使徒となったのです。普通バプテスト連盟の理事選挙では、倍数の候補を選んで、その二人の中で信徒による選挙をします。しかし、初代教会では、二人を選んだあとで、くじを引かせました。

その時に、ペテロは次のように祈りました。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべきところに行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」(1:24~25)と。私はここに当時の教会のリーダーたちの信仰と知恵を見る思いです。つまり、自分たちで選ぶという作業もしますが、最終的に人選は神様におゆだねするということです。人間の知恵と判断も大事ですが、最終決定権は神にあるということを認めたやり方です。ですから、選ばれなかった人も選ばれた人も、神様の御心と受け止めることができるのではないでしょうか。祈って神様に委ねる信仰です。

3.ひとつになって祈る

最後ですが、聖霊降臨の出来事は、120名くらいの信徒が一緒に集まって熱心に祈っていた時に起こりました。15節に「そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。120人ほどの人々が一つになっていた」(1:15)とあります。また、2:1には「五旬節の日が来て、一同が一つになって集まっていると」とありますように、弟子たちは120人もいましたが、一体となって祈っていたのであります。

一致が教会に無ければ、聖霊降臨は置きません。一致した祈り、心を一つにした教会活動と運営が意識的に使徒たちの手によって守られていたのです。他の人の必要に応じて、生活用品や食料などの分配がなされ、支え合っていました。そして何よりも、祈りによるところの聖霊の一致が守られていたのです。

パウロもこう言っています。「平和の絆で結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それはあなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。」(エフェソ4:3~4)そして「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エフェソ4:13)

私達が救われたのは、同じ兄弟姉妹として聖霊と知識の一致を得て、一つの体になるためなのです。そのために弟子訓練をします。弟子訓練の目標は、伝道もありますが、最終的にはわたしたちが一つになることなのです。絶えず他者を意識して、自分を喜ばせるためではなく、他の信徒を喜ばせるために努力することです。この時に聖霊が注がれ、さらに霊の賜物によって信徒が整えられて教会の一致が図られてゆくのです。

今日はペンテコステ礼拝です。心を一つにして祈りましょう。この場に天の窓が開かれて、聖霊様が激しく下って下さるように。皆さん方お一人お一人の頭上に炎のような舌がとどまって、聖霊に満たされるように。聖書には、炎が与えられるのではなく、「炎のような舌」が与えられると書いています。大事なのは舌の方です。新しい舌です。聖められた舌です。神の言葉を語る舌です。ペンテコステの出来事が新しい舌の出来事なのです。今週もSGがあります。毎月が伝道集会です。この集会に、家族のものを、友人を、知り合いを勇気を持って声をかけてお誘いしましょう。そして新しい聖められた舌をもって喜んで御言葉を語り、絶えず熱心に祈って行きましょう

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