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ダニエルの信仰 (ダニエル1:3~17)

メッセージ

2016年11月6日富里キリスト教会

「ダニエルの信仰」
(ダニエル書1:3~17)

1.ダニエルたちの知識と才能の源

「ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった。バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した。主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレムの神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。ネブカドネツァルはそれらをシンアルに引いて行き、祭具類は自分の神々の宝物倉に納めた。
さて、ネブカドネツアル王は侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷につかえる能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデヤ人の言葉と文書を学ばせた。王は、宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、三年間養成してから自分に仕えさせることにした。この少年たちの中に、ユダ族出身のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人がいた。」(ダニエル1:1~7)

今日でいう、女性のミスユニバースのようなものでしょうか。そこに、七つの選抜条件がありました。「王族と貴族出身」、「体に難点がなく」、「容姿が美しく」「何事にも才能」と「知恵」があり、「知識」と「理解力」に富みとあります。ただ単に、体が丈夫でハンサムだけではなく、才能と知恵にたけていること、そして知識と理解力に優れている若者が選ばれました。しかも高貴な出で、体も頭脳も完全な青年たちが選ばれたのです。そして、彼らを三年間、カルデヤ人の言語と文学を学ばせて教育訓練してから、再度選抜して王に仕えさせたのです。カルデヤ人と言いますのは、バビロン人と同じことです。

幸いにもこの時、捕囚として連れて来られたユダ王国の王族、貴族の中から四人の若者が選ばれました。その名は「ダニエル」「ハナンヤ」「ミシャエル」「アザルヤ」の四人でした。更にこの四人に、バビロン人の名前が付けられたのです。ダニエルは「ベルテシャツァル」、ハナンヤは「シャドラク」、ミシャエルは「メシャク」、アザルヤは「アベド・ネゴ」と言う名前です。四人共もともとは、イスラエルの神の名前でしたが、異教の神の名前にちなんだ名前にされました。ダニエルは「神は審判者」と言う意味でしたが、バビロンの名前ではベルテシャツァルは「ベルの神、命を守りたまえ」と言う意味だそうです。

イスラエルの民はどこへ行っても、主を覚えて、エルサレムを思って神に礼拝を捧げていました。彼らはまさに信仰共同体だったのです。彼らがどこに行こうが、どこに住もうが、彼らの力の源は神だったのです。彼らがどのように生活していたかが記されています。6:11を見て下さい。「ダニエルは王が禁令に署名していたことは知っていたが、家に帰るといつもの通り二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。」とあります。

ダニエルは、どこへ行っても、自分たちの神を忘れることはありませんでした。たとえ、バビロンの王以外を礼拝したものは死刑になると言う御触れが出ても、彼は決められたとおりに、二階に祈りの部屋がありました。そしてその部屋のエルサレムに向かって開いている窓を開けて、そこにひざまずいて日に三度、神様に祈りと賛美を捧げました。禁令を破っても、名前を変えられ、異国の文化を押し付けられたとしても、危険を顧みず、彼らは主を礼拝していました。

彼らは捕囚の民であっても、自分たちの神様だけは忘れなかったのです。どんな困難や苦難の中にあっても、常に神に向かって感謝と賛美の祈りをしていたということです。これが彼ら四人の若者の、力の源泉だったのではないでしょうか。彼らの美しさ、健康、才能と知恵、知識と理解力は、この彼らの神への礼拝と祈りの中にありました。彼らの才能や知恵や若さや美しさは、神から来ていたのでした。

神を畏れ、神の前に毎日静まって御言葉を聞き、祈る生活です。この信仰の生活があったからこそ、彼らは生き残ったのであり、どこへ行っても神の民として守られ、証しができたのではないでしょうか。しかもエルサレムではない異教の地です。神殿もありません。彼らは目に見えない神殿を思いながら、自分自身が生ける祈りの神殿としての役目、すなわちひたすら祈りの生活に励んでいました。そして彼らの神は、この異教の地でも捕囚の地でも、余すところなく神御自身の力と栄光を発揮されて、彼らを助け、彼らを用いて神の救いを告げ知らせたのではないでしょうか。それがこのダニエル書の目的ではないかと思います。

2.自分を汚れから守る

そしてさらに彼ら四人の青年たちのすばらしいのは、自分たちを異教の神々の汚れから守ったということです。「郷に入れば郷に従え」とよく言いますが、イスラエル人は、決して郷に従いませんでした。彼らは祈りの生活をすればするほど、自分をこの世の汚れ、偶像礼拝から身も心も守ることを切に願ったのです。たとえ、殺されても体と心と霊の純潔を守り通したのでした。

8節から読んでみます。「ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないで欲しいと侍従長に願い出た。神の御計らいによって、侍従長はダニエルに好意を示し、親切にした。」(1:8~9)もし侍従長が親切心を示さなければ、ダニエルは王の命に背いたことで死刑になっていたかもしれません。でもそこに神が働かれました。いかがでしょうか。皆さんでしたらどうされるでしょうか。

ダニエルは、野菜と水だけを下さいと願ったのです。ここから菜食主義と言うことが起こったのでしょうか。野菜と水だけでいいですから、十日間試してみてくださいと侍従長に願いました。そして十日間試してみましたら、何と他の酒を飲み肉を食べた若者よりも、健康で顔色も良かったと言うのです。こうしてダニエルたちは、三年間、酒肉を口にしないで研修訓練を続けました。その結果は、ほかの国のどの若者たちよりも、健康に優れ知識と才能に恵まれて、王の側近として召し抱えられたのです。わたしはここで、彼らは祈りと礼拝の生活だけではなく、そこから生じるところの聖化、すなわち清くなることを願ったところに神様の祝福があったような気がします。祈る人は清くなることを求めます。祈りと清くなることは同じことです。

どうして彼らが、酒と肉を拒んだのかと言いますと、律法の中に禁じられている肉があります。それは、豚肉や馬の肉ですね。また魚も鱗がなければ食べることはできません。また、肉や酒はいったんバビロンの神々に捧げられたものが市場に出回ることもありますので、偶像に献げた肉を食べることは自分も偶像にあずかることですから汚れるわけです。偶像に献げられた肉かも知れないと言うことで、彼らはそれらを食べることによって、自分たちが汚れることを恐れました。それで、命がけで断ったのです。

祈りましょう。そして何よりも自分自身が清くなること、この世の汚れに染まらないようにと祈ることです。慶晃君の暗唱聖句ではありませんが、「あなたがたは地の塩である。」と言うイエス様の御言葉をしっかりと心に刻んで、人生の最後のラストスパートを、全速力で走りぬけたいものです。若ければ若いなりに、いろんな誘惑があります。また年をとってくれば取ったで、気が緩んでしまいがちです。でも、いよいよ天国が近いことを思えば、もっと清くなろう、この世の汚れに染まらないように、もっと清くなろうと祈って行きたいものです。

またダニエルは嘆願の祈りの人でした。彼の祈りの言葉を見てみましょう。9:3からの御言葉です。「わたしは主なる神を仰いで断食し、荒布をまとい、灰をかぶって祈りを捧げ、嘆願した。わたしは主なる神に祈り、罪を告白してこう言った。『主よ、畏るべき偉大な神よ、主を愛しその戒めに従う者には契約を守ってその慈しみを施される神よ、わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。・・・主よ、恥をこうむるのはわたしたちであり、その王、指導者、祖父なのです。あなたに対して罪を犯したのですから。憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。』」(ダニエル8:3~9)

わたしたちも地の塩として、キリストの福音を最後まで証しするものとなりたいと願っています。30名礼拝に主が答えて下さったように、祈りには力があります。このダニエルの祈りのように、自分と自分たちの罪を告白して、主に向かって心から叫びましょう。嘆願の祈りです。

3.霊の賜物の授与

最後に、わたしたちが祈りの生活をつづけ、自分を清く保とうと願う時、神様はわたしたちに豊かな霊の賜物を与えて下さいます。17節に「この四人の少年は、知識と才能を神から恵まれ、文書や文字についてもすべて優れていて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができた。」となっています。こうしてこの物語は、ダニエルの夢を説く話や幻を語ったりする物語が始まります。

このようにして捕囚となって苦しみの中に置かれたイスラエルの民でしたが、その中にあっても祈りに専念し、偶像礼拝という他国の汚れから自分を守ろうとしている者には、神様はすばらしい霊の賜物を与えて下さると言うことです。
わたしたちは祈らなければ何も始まりませんし、何も与えられません。ダニエルは嘆願の預言者と言われています。彼は黙っていても霊的な賜物をいただいたのではありません。神に嘆願したから受けたのです。9章の定めの70週の箇所には、ダニエルの嘆願の祈りが述べられております。(9:17~23)

わたしたちも祈りましょう。主はわたしたちの祈りを聞いて下さったではありませんか。しかも予定した数よりももっと多くの方々が先週、礼拝に集いました。今週も皆さんで一緒に、心を合わせて祈って行こうではありませんか。ダニエルのように、神様に向かって心の窓を開いて祈りましょう。特に金曜日は、全員で心を合わせて祈りましょう。   

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