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エジプトに売られたヨセフ・父の悲しみ (創世記37:12~36)

メッセージ
2019年7月14日富里キリスト教会
「エジプトに売られたヨセフ」(父の悲しみ)
(創世記37:12~36)
1. 愛する息子の派遣

「兄たちが出かけて行き、シケムデ羊の群れを飼っていたとき、イスラエルはヨセフに言った。『兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところにやりたいのだが。』『はい、分かりました。』とヨセフが答えると、更にこう言った。『ではさっそく出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。』父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。」(創世記37:12~14)

ヘブロンからシケムまで約70キロ、そしてシケムからドタンまで30キロです。ですからヨセフは兄たちを探して約100キロの旅を続けたわけです。父イスラエル・ヤコブは何故ヨセフを兄たちのところへと遣わしたかと言いますと、息子たちの安否を確かめて、無事かどうかを知らせて欲しいと言うことでした。父ヤコブは息子たちの旅を心配していたのです。

この間の夢の出来事のせいで、兄たちが弟を憎んでいること、また晴れ着をヨセフだけに作ってあげたことで、兄たちがヨセフを妬んでいることをお父さんは知っていたでしょうか。そこまで、たかが晴れ着一枚のことで、兄たちがヨセフを妬み殺意を持っていたとは父も気が付かなったと思います。気が付いていればヨセフをそういう危険なところに遣わすことはなかったと思います。
父はヨセフをことのほか愛していましたが、他の兄弟たちも同じくらい心配し愛していたと思います。

ヨセフは兄たちの妬みと憎しみをうすうす気づいてはいましたが、それでもお父さんの命令であればあえて、兄たちのところへ行くこともやぶさかではありませんでした。「はい、わかりました。」としっかりと答えて、父の命に従ったのです。ここにやはりヨセフの素直な気持ちと父に対する尊敬の思いが表れているような気がします。そしてヨセフは70キロ先のシケムまで行きましたが、そこでは見つからず、さらに北に向かって30キロ先のドタンまで兄たちを探して行きました。ヨセフは父の愛と心配を背負って出かけたのです。

The father Israel sent his loved son Joseph to the wilderness to find his older brothers and to know how they are. Joseph answered father’s request at once. And he went out to find his brothers at a long distance of 100 kilometers. Father Israel loved not only Joseph but also other sons.

2. 兄弟の憎しみ

「兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談した。『おい、向こうから霊の夢見る者がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。あとは、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。』」(37:18~20)

兄弟たちを心配して、父イスラエルは最愛の息子であるヨセフを遣わしました。ところがヨセフが苦労してやっと兄たちを見つけ出して、近づいてきた時に、兄たちがとった行動は何だったでしょうか。それは妬みと憎しみのあまり、ヨセフを殺してしまおうという計画でした。幸い長男ルベンが、殺すのだけはやめさせて、穴の中に投げ込んでおこうと提案しました。幸い長男の意見が取り入れられて、ヨセフは命だけは助かりました。しかし、穴の中に投げ込んでおいても、いつかはその中で水も食べ物のなく死んでしまいます。

そうしましたら、4番目の兄ユダがこう言いました。「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」(37:26~27)と。そしてこの提案が受け入れられ、ヨセフは命が助かりましたが、イシュマエル人に買われて、エジプトに連れて行かれてしまいました。悪い兄弟たちの中にも、長男のルベンと4番目のユダが、他の兄たちを説得してヨセフの命を救いました。

ユダは、「あれだって肉親の弟だから。」といいました。またルベンは、後でヨセフを穴から引き上げて父のもとに送り返そうとしていました。10人の兄弟のうち、2人は同情心がありました。何とかヨセフを救おうとしましたが、他の兄たちの妬みと憎しみの心には勝てませんでした。兄弟たちがヨセフの着物をはぎ取って、それに雄山羊の血をつけて死んだ証拠にしようとしたのです。晴れ着をはぎ取り、これに血をつけて父を偽ろうとしたことは、ヨセフだけではなく彼らは父親をも憎しみの対象になっていたのではないでしょうか。

そしてこのあと弟殺しの罪を兄たちは背負って、隠しながらずっと生きてゆかねばなりませんでした。いかに人間の罪が大きいかということを知ることができます。妬みから憎しみ、そして殺人、そして嘘と彼らの罪の上塗りはどんどんと大きくなってゆくのでした。まさに人間の罪はとどまることを知らずに、どんどんと膨れ上がって行くのでした。小さな妬みから、殺人と嘘という大きな罪が生じてしまったのです。

皆さんの中に、どうしても父親を赦せないと言う方はいませんか。あるいはどうしても自分の弟を赦せない、自分の姉を赦せないと兄弟に対して裁く思いを持っている方はいないでしょうか。もしかしたらその小さな妬みや憎しみが、自分の生き方を今でも左右しているということはないでしょうか。きれいな洋服を見るたびに、妹に対する憎しみが湧いてくるとか。子供の時に父親や母親からえこひいきにされたことはないでしょうか。そしてその差別や偏見で今でも苦しんでいることはないでしょうか。

兄たちはヨセフを傷つけ、陥れ、ひどいことをしました。弟ヨセフには、この兄たちの仕打ちを一生忘れることはできない傷がトラウマとなって残ったのではないでしょうか。兄たちはヨセフにひどいことをして、これで心すっきりしたでしょうか。せいせいして、この後の人性愉快に過ごしたでしょうか。そうではないと思います。ヨセフに対してしたことが、これからの人生の中でも大きな心の闇となって兄たちを束縛してしまったのではないでしょうか。相手に対する憎しみや妬みや攻撃は、ただ単に相手を傷つけてしまうだけで、自分自身の傷ついた心をいやすことはできません。逆に自分自身をも傷つけてしまいます。

自分たちが傷つけられた代償を支払って欲しいと、人は自分を傷つけた人に対してその支払いを求めます。これは、復讐仕返しという形で起こるのではないでしょうか。これは相手に対して自分のこぶしを振りかざしているようなものです。妬みや憎しみによる復讐は、自分の傷を握りしめたままですので、自分で自分を苦しめ束縛しているようなものです。まだその人に支配されたままです。そうではなく、まず自分の握りしめたこぶしを開いてみてはいかがでしょうか。報復や仕返しではなく、まず傷つけた人を赦すことです。手の平を開いてこぶしではなく、仕返しではなく、和解とハグをしてみてはいかがでしょうか。

ヨセフも自分を売り飛ばした兄たちを憎んでいたことでしょう。でも彼はその憎しみや復讐と言った感情を、再開した時に、兄たちを赦すということによって乗り越えました。主の祈りの中に「我らに罪を犯した者を赦す如くに、我らの罪をも赦したまえ。」という有名は祈りがあります。クリスチャンならだれでもその祈りを唱え、またそれを実行しようとする祈りです。他にも「祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」(ローマ12:14)という御言葉、また「善をもって悪に勝ちなさい。」(ローマ12:21)という御言葉があります。まず自分を傷つけた相手を赦すことです。その人を祝福することです。その人に善を計ってあげることです。そこに神様からの愛と和解と赦しの祝福を、受けることができるのではないでしょうか。それを選び取ること、選択すること、決断することです。あなたはどちらを選択しますか?

Other brothers saw that younger brother was coming to them in the distance. They planned to kill Joseph. But two good brothers Reuben and Judah intend to save this younger brother. They advised them to throw him into the deep hole and to sell Joseph to the caravan going to Egypt. The hatred and envy feeling of older brothers never stopped and burned up until they kill him. Is there anyone in you who envy and hate your brothers or your father? Did you find a good way when you hated your brothers and got back them? You are under the control of that person as long as you are willing to pay the price. Hate and getting back never heal your wounded heart. We should forgive the one first and pray for him God’s blessings and overcome the evil by doing good deed for him.

3. 父の悲しみ

「彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、『これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください』と言わせた。父はそれを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」ヤコブは自分の衣を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。『ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府に下って行こう。』父はこう言ってヨセフのために泣いた。」
(37:32~35)

血の付いたヨセフの晴れ着を見たヤコブは、ヨセフが獣に食われて死んでしまったのだと思いました。兄弟たちはこの父の悲しみを見てもなんとも思わなかったのでしょうか。口裏を合わせて、父を皆で欺いたのでした。父イスラエルの嘆きと悲しみは尋常ではありませんでした。かえって父のこの悲しみが、兄弟たちを結束させたのでしょうか。やっぱり親父は、ヨセフだけをこんなに愛している。俺たちのことは何とも思っていないと。ヤコブは、兄たちを心配してヨセフを遣わしたにもかかわらず、兄たちの心は頑なでした。この父の心配と愛を受けようともしませんでした。

私はこの父ヤコブが、わが子の死を悼んで嘆き悲しむ場面を思い描いたとき、あの曲が思い出されました。それは、岩淵まことさんの「父の涙」です。
1.心にせまる 父の悲しみ 愛する独り子を 十字架につけた
人の罪は燃える火のよう 愛を知らずに今日も過ぎて行く
(くりかえし 十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙
十字架~あふれ流れる泉 それはイエスの愛)

2.父が静かに 見つめていたのは 愛する独り子の 傷ついた姿
  人の罪を その身に背負い 父よ彼らを赦してほしいと
   (くりかえし      〃               )

父ヤコブは、血染めの晴れ着を見ながら、自分の衣を引き裂き、荒布を腰に巻いて、何日も嘆き悲しみました。人々の慰めの言葉も拒んで、涙を流して泣き続けたのです。ここにヨセフが、兄たちの憎しみと妬みの犠牲となりました。しかし、神様はその罪のない息子の苦しみとその受けた傷によって、わたしたちの全人類の罪の贖いの供え物としてくださったのが、イエス・キリストの十字架の苦しみの姿でした。ヨセフはまさしく来るべき神の子、救い主の姿を予型していたのです。苦しんだのは子だけではなく、子を遣わした父もその愛のゆえに苦しみました。

The father Israel sorrowed and lamented with tears to hear the death of his loved son. And he refused to be comforted and wept for him for many days. The father Israel so loved his son Joseph and of course his other sons. But we used to see the other brothers and sisters instead of looking at our father. When our eyes leave our father, we used to compare with other people and used to depressed or became ecstatic.
We should remember the love of father whatever we are, the love of father never stopped to flow into our heart. Through this father’s sorrow and lamentation on His loved only son, God decided to save us and forgive our sins through his only Son’s redemption of passion. God can change our hatred and envy heart into the forgiveness and reconciliation heart through His only Son’s passion.

その後ヨセフはエジプトに売られ、数々の試練と苦難を経て、エジプトの大臣の地位まで昇りつめます。そして最後にあの憎い兄たちとの対面を果たすことになりますが、ヨセフは積年の恨みつらみを彼らに報復するのではなく、むしろ赦しと和解を通して兄たちを赦してゆきます。そして父ヤコブとの再会も果たします。ここに真の意味での神の家族であるイスラエルが誕生してゆきます。

人の罪は本当に燃える火のように人々の心を焼き尽くします。しかし、神の愛はひとりの息子の苦しみと身代わりの犠牲によって、愛と赦しと和解へと変えられてゆきます。これが真の意味での神の民イスラエルの誕生なのです。教会の姿ではないでしょうか。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(Ⅰヨハネ4:10)このみ言葉にありますように、父なる神はわたしたち一人一人を、たとえ罪を犯しても、憎しみを持っていても愛しておられます。どうかこの罪を赦す父の大きな愛の内にとどまりましょう。そして互いに罪を告白して、互いに赦しあう者となってゆきましょう。(岡田 久)

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