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インマヌエルの神2018 (マタイ1:18~25)

メッセージ
2018年12月16日富里キリスト教会
「インマヌエルの神」
(マタイ1:18~25)
1.婚約の真の意味

ヨハネによる福音書1:12を読んでみましょう。「しかし、言(キリスト)は自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってでもなく、人の欲によってでもなく、神のよって生まれたのである。」(ヨハネ1:12~13)とあります。わたしも皆さんも、皆、聖霊によって神から生まれたのです。この聖霊によって新しく生まれ変わったものの群れが教会です。今は聖霊の時代です。マリアの聖霊による受胎は、この終末の時代におけるわたしたちの教会の姿を現しています。

マタイ1:18の御言葉の中に、そのことが要約されて述べられているような気がします。「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」この短い一言ですが、これは今日の教会の姿とわたし達の信仰の在り方を教えているような気がします。

ユダヤ人にとって、結婚はとても大切な出来事でした。若い夫婦が信仰をもって家庭を築いて行くために、1年間は結婚生活の研修期間として生活上の様々な知識と知恵を学ぶ期間でした。ユダヤ人は、単に新しい家庭を造る、子孫を造るということだけではなく、信仰を継承するという大切な目的がありましたので、律法に従って夫婦の在り方や生活態度をあらかじめ訓練しました。そのために最低1年間は一緒にならないで、親元で時を過ごしました。感情よりも信仰の知識を身に着けてしっかりと生活を立ててゆくのです。

そしてこの婚約期間、花嫁修業の期間は、実はわたし達の教会生活を示しているからです。教会はキリストの花嫁です。そしてやがてキリスト再臨のときには、花嫁がきれいに着飾って花婿であるキリストのもとへと嫁いで一体となるのです。つまり、今私たちはキリストの花嫁として、すでに結婚の約束を果たしました。すでにキリストと婚姻関係に入っています。やがて花嫁であるキリストが盛装しておいでになる時、つまり再臨の時に初めてキリストの顔を見るわけです。

そして、それまで花嫁として教会であるわたし達が、美しく着飾って、何のシミも汚れもない無垢の状態でキリストに嫁ぐのです。これが今の時代です。信仰生活は花嫁修業の期間です。この正式な結婚式、つまりキリストの再臨の時まで、わたし達は花嫁としての訓練を受けているのです。やがて来る結婚式で、顔の覆いすなわちベールを外して、花婿と初対面するまでの期間なのです。それは再臨の時です。今は信仰によってしか花婿の顔を見ることができません。その信仰の訓練の時を、マリアとヨセフは迎えていたのです。この花嫁訓練の修行の真最中に、私達がどのようにして生活するかが問われているのであり、大事な時なのです。信仰の訓練の時です。その時にこの大きな事件が起こりました。

“This is how the birth of Jesus Christ came about: His mother Mary was pledged to be married to Joseph, but before they came together, she was found to be with child through the Holy Spirit. (Matthew 1:18)
For Jews the engagement period is very important time, for the engagement already means a real marriage. If they will not be able to marry, they have to do divorce procedures. If the engagement person committed a crime of adultery, her husband will be able to publicized to death. When Joseph knew that Mary is pregnant and seems to be committed an adultery, he decided to divorce in secret. This engagement period means our life style of faith. In this period we are to train and to be tested our faith as a faithful Christian. Just like Joseph and Mary, we will be practiced to become a pure bride until seeing Christ face to face at the second coming . We are now on the way of engagement period. This is a true meaning of engagement period.

2.信仰の試練

その厳しい訓練をこの若い二人のカップルが受けたのです。それは何かと言いますと、聖霊によってキリストを宿すということです。マリアは実際に自分のお腹に赤ちゃんを宿したわけです。これはマリアだけに与えられた特別の恵みですが、その事実を示され、それを受け止める決心をさせられたのはヨセフでした。彼は男ですから子供を宿すということはありませんが、彼の信仰が試されたのです。もちろんマリアもすでに、天使ガブリエルからの妊娠の知らせを受けて、どうするか迷いましたが、彼女は「わたしは主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように。」(ルカ1:38)と言って信仰を告白しました。

ヨセフも、マリアと同様に、この事実を信じるかどうか、そしてこの天使の御言葉に従うかどうかと言う信仰の決断を迫られました。イエスを自分の子供として受け入れるかどうかの決断を迫られたのです。
「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む、その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、乙女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる。』と言う意味である。」(1:19~23)

夫ヨセフに起こった試練は何かと言いますと、自分と全く関係のないところで、婚約者の女性がいつの間にか妊娠してしまったということです。こういう場合は普通でしたら、慰謝料を取って婚約解消の手続きをするのが通例です。いかがでしょうか。もし皆さんがヨセフの立場でしたら。どんな対応をするでしょうか。ヨセフには二つの選択肢がありました。一つは、婚約者の不貞を明らかにして、律法に従って、公衆の面前で死刑にすることです。律法によれば石打の刑が定められていました。彼女はヨセフに恥をかかせたのです。ユダヤ人も日本人も一番嫌う感情ですね。

もう一つは公にしないで、ひそかに離婚手続きをすることです。そうすれば、マリアは死刑にならなくて済みます。ヨセフは正しい人でしたので、彼女を死刑にすることを良しとせず、彼女のために離婚する決心をしました。これがヨセフの取った道です。彼女を赦したけれども、その不倫と言う不祥事だけは認定していたのです。ヨセフにとっては、ぎりぎりの愛のある対応と言うにふさわしい決断でした。

しかし、神様の対応の道はそうではありませんでした。マリアは正しい信仰深い女性です。ただ彼女が妊娠したのは、聖霊によるのであって、メシアであるお方が生まれようとしていたのです。しかも名前まで指定されました。イエスと名付けなさい。それは「自分の民を罪から救う」と言う意味でした。どういう風にして救われるのかと申しますと、キリストが内に宿ってくださるということです。そのことによって、神様は共にいてくださるということです。インマヌエルの神です。「インマヌ―」は宿る、「エル」は神です。神様がわたし達の内に宿ってくださるということを通して救ってくださるということです。

この約束の言葉をヨセフが受け入れるかどうか、試されたのです。ヨセフはテストされました。マリアが選ばれ、テストを受けただけではなく、ヨセフも同じような信仰の試練、テストを受けたのです。クリスチャンは皆この試験を受けます。信仰が試されます。これが真のクリスチャンの証です。試練やテストのない信仰生活なんてありません。これが今の終末の時代に生きる私たち信仰者の生き方です。何か試練があった、問題に出会った、これらはすべて訓練なのです。花嫁修業の一環なのです。訓練されないクリスチャンはいません。

Joseph was tested by hearing his bride Mary was pregnant. The incredible thing happened to him. His mind got lost and shock. But Joseph was a righteous man, he did not want to expose her to public disgrace, he decided to divorce her quietly. But an angel of the Lord appeared to him in a dream and said to him. “do not afraid to take Mary home as your wife, because what is conceived in her is from the Holy Spirit.” She was pregnant through the Holy Spirit.
It is an incredible thing to him and to us. We also tested by this fact Virgin birth by the Holy Spirit. Joseph was tested his faith to God to submit this angel’s word or not. Do you believe the fact of Virgin birth. All of us also will be tested to believe this fact and follow to the word of an angel.

3.聖霊によってキリストを宿す

わたしたちが、聖霊に従って生きるかどうかです。まさに今年度の教会標語(「聖霊に従って生きる」)にありますように、聖霊によってイエスがマリアから生まれた、聖霊によってキリストがわが内に宿ることを信じるかどうかです。神学者の中には、そういう風にしてマリアが聖霊によって身ごもったということを、合理的医学的物理的に証明しようとして無理な解釈を施している学者がいます。マリアは他の男性によって妊娠したとか、聖霊を信じられない神学者です。もしかしたら、わたし達もそういう神学そういう間違った信仰を抱いていることはないでしょうか。聖霊を否定する信仰です。そのことが、今このクリスマスに問われているのです。そして当時のマリアとヨセフにも問われていたのでした。聖霊様は生きた人格も感情も持っておられます。ですから聖霊様を拒んだり、無視したり、悲しませてはいけません。

ヨハネによる福音書の3章に、ニコデモと言うイスラエルの議員であり長老の一人である人が、夜イエスを尋ねてくるお話があります。彼は高齢の長老でしたが、新しく生まれ変わることを真剣に望んでいました。どうしたら新しく生まれ変わり、神の国に入ることができるのかと。するとイエス様が「人は水と霊によらなければ新しく生まれ変わって、神の国に入ることはできません。肉から生まれた者は肉であり、霊から生まれた者は霊である。」(ヨハネ3:5~6)とお答えになりました。これからの新しい時代は、霊によって生まれ変わることを教えられたのです。

では一体、霊によって新しく生まれ変わるということはどういうことかと言いますと、二つのキーワードがあります。それは「イエス」と言う名前と「インマヌエル」と言う名前です。イエスと言う名前の意味は、詩編130:8から来ています。「主はイスラエルをすべての罪から贖ってくださる。」と言う言葉です。つまり罪からの救いを意味します。わたし達の罪を贖い取って下さるお方だということです。たとえダビデのように罪を犯した者であっても、ウリヤの妻のように罪を犯した女であっても、誰でもその罪を認めて悔い改めるならば、罪を赦されるのが、メシヤ(救い主)なるイエス・キリスト様なのです。

名前は体を表します。これはヨセフの夢に会われた天使が告げた名前ですが、もう一つの名前は、預言者イザヤが預言した称号です。それは「インマヌエル」と言う名前です。「イマヌー」は宿る、「エル」は神です。ですから「神が我らの内に宿る、神われらと共にいます」と言う意味です。わたし達の罪を贖い、赦して救ってくださるお方は、わたし達の心の中にも宿ってくださるお方だということです。

このお方は、聖霊様を通して私たちの内に宿ってくださり、わたし達の罪を贖い赦してくださるお方だということです。そのために御子は聖霊様を通してマリアの胎に宿り、肉体を取って来られました。言(キリスト)は肉となったのです。その目指すところは、ご自分の肉をもって、わたし達の罪をその肉の上に背負われ、ご自分の肉を通して、この世の罪の一切を背負って、身代わりになって苦しみ世の罪を贖い取って下さるということでした。

聖霊様はわたし達の上におられ、周りにおられ、そしてわたし達の心の中にも働いて、わたしたちの一切の罪を明らかにしてくださいます。そしてわたし達をイエス様のところに導き、その罪をイエス様の十字架の血によって贖い取って下さるお方です。わたし達を愛し、わたし達の罪を赦し救ってくださるお方なのです。それがわたし達のイエス・キリストであり、インマヌエルの神様なのです。あなたの罪が赦されるならば、あなたが変わり、夫婦関係が変わり、家庭が変わり、社会が変わって行きます。

Do you believe the Holy Spirit? Do you believe the Holy Spirit being in our heart? Can you read the slogan of our church in this year? It is written “Live by the Spirit and keep in step with the Spirit ”(Galatians 5:25) God can do everything. Nothing is impossible with God. God can make Mary pregnant. Do you believe God and the Holy Spirit?
And God sent his only Son to this world through Mary’s womb by the power of the Holy Spirit. The incarnation of God has two purposes.
The one is his name of Jesus. The name of Jesus means God will redeem Israel from all their sins. (Psalm 130:8) The meaning of Jesus is to redeem all our sins. And the other purpose is to be with us, because the other name of Jesus will be Immanuel that has been prophesied by Isaiah. Immanuel in Hebrew means that God was with us and is with us and will be with us forever. This is the God’s will to redeem our sins perfectly and be with us forever. And this is good news in this Christmas season.

ヨセフは、こうして語られた主の天使の御言葉を受け入れ従いました。24節に「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」(1:24~25)ここにヨセフの信仰がはっきりと述べられています。彼は信仰の試練に打ち勝ったのです。わたしたちは皆このような試練を受けます。つまり、天使の御言葉に従うかどうか。預言者の言葉に従うかどうか。聖書の言葉に従うかどうかです。当初、秘密裏に離婚を決意していた彼でしたが、この夢を見て、天使の語る預言者のみ言葉に従ったのです。

主の命じた通りに「マリアを妻として迎え入れ」、「マリアと夫婦関係を持たず」、「命ぜられた通りイエスと名付け」ました。ここにヨセフの取った三つの行動が述べられています。いかにヨセフが主の御言葉に従ったかです。ヨセフの信仰がはっきりと示されています。信仰とは主の御言葉を聞いて、それに従うことです。へりくだって従順になることです。マリアも「わたしは主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように。」と答えました。神の御子イエス・キリストは、聖霊様によって、肉を取ってマリアの胎に宿られました。それは私たち人間を罪から贖い出し、救うためでした。そして永遠にわたし達と共におられるためなのです。インマヌエルの神です。このクリスマスの言い尽くせない御子の恵みと神の愛に感謝します。わたし達もこの若い二人のように、へりくだって主の御言葉を求め、御言葉に従う信仰をもってこのクリスマスの時を迎えてゆきたいと願っています。(岡田 久)

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