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わたしが示す地に行きなさい (創世記12:1~7)

メッセージ

2014年7月6日富里キリスト教会

「わたしが示す地に行きなさい」
(創世記12:1~7)

1.生まれ故郷、父の家を離れて

さて今朝は、信仰の父アブラハムの新しい信仰の旅への出発の場面を見てみたいと思います。当時は、まだ名前をアブラムと言いましたが、アブラムの父テラは、メソポタミアのウル出身でした。今日で言うとイラクの南部のユーフラテス川沿いに面した町です。そこからユーフラテス川を上流に上って行って、ハランと言う町までやってまいりました。そこで、アブラムの父親テラは205歳で亡くなくなりました。そしてアブラムは、その父を葬った町ハランで神の御言葉を聞きました。そして、アブラム75歳の時に、一族郎党を連れてカナンの地、今日のイスラエルの国を目指して旅したわけです。

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。』アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき75歳であった。」(創世記12:1~4)

若いころは、自分の親や家族や生まれ故郷を離れて、遠く見知らぬ土地まで一人旅をしたいと思う時があります。でも、アブラムはすでに75歳でした。父の遺骨もハランに納め、残された人生、親の墓を守ってその地に骨を埋めると言う覚悟をしていたかもしれません。しかし、その時主はアブラムに言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」と。

当時いくら寿命が長かったと言われても、75歳から一族郎党、今まで築き上げてきた財産をもって、よその土地に移り住むことはなかなか容易なことではないと思います。人間的な考えかも知れませんが、アブラムも迷ったのではないでしょうか。自分が今まで築いてきた人間関係、環境、特権と権利を捨てることです。また、自分の血のつながりの中に自分の居場所を保持しようとしないことです。今まで自分が築き上げて来た物に安住し、それに依存することを手放すということです。いわばゼロからの出発と行っていいかも知れません。

2.わたしが示す地に行きなさい

神様はアブラムに対しまして、「生まれ故郷、父の家親戚一同からから離れなさい。」とは言いました。でもそれは神様に目的があってのことでした。神様はアブラムに行くべき先を、目的地を示されたのです。それは父テラにも言ったとおり後、カナンの地でした。ただ、ここでは最初は「わたしが示す地に行きなさい。」とだけ言いました。

この12章から17章までが、名前がアブラムとなっていますが、ヘブライ語の聖書の小題では、「レフ・レハー」と言う題がついています。そして、18章からは名前がアブラハムとなりますが、そこからは「顕現」(ヴァイエラ)と言う小題がついています。この12章の「レフ・レハー」という小題は、「お前自身に行け」と言う意味になります。「レフ」は「行きなさい」、「レハー」は「自分自身」と言う意味です。もう一つの意味は、「お前のために行け」と言う意味もあるということです。そして三番目の意味は、「絶対に行きなさい」と言う強い命令口調でもあるとのことです。

つまり、神様はアブラムに、ハランではなくカナンの地に向かって旅に出なさいと強くご命令しているのです。「行っても行かなくてもいいよ」ではなく、「必ず行きなさい」と言っています。なぜなら、その旅と言うのは、実はお前自身を知るための旅であるということです。「本来のお前、自分とは何か、人間とは何かと言う根本的な問いをもって探究する信仰の旅に出なさい」ということです。あのジョン・バンヤンの「天路歴程」のように、真の神との出会いを求め、本来の自分を発見するために信仰の旅出なさいということではなかったでしょうか。

神様は、そういう様々な試練と信仰の旅を目指して、本来のお前自身になるための旅に出よとおっしゃったのではないでしょうか。この世のいろんな誘惑や快楽や富、安全ではなく、目に見えない神御自身を見つめ、神の御言葉に従って行く人生を歩みなさい。そういう人生を獲得しなさい。そして、霊的に成長してしっかりと神を目の前に置いて歩むことができるようにしなさいと言う意味で、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」と命じられたのです。長い旅の始まりであると同時に、自分自身に、本来の神の前に立つ自分へと立ち帰る旅でもあったのです。

これから、神と共に歩む人生の中でいろんな出来事を通して、アブラムが神様の祝福の約束の確かさを経験し、また彼自身も信仰が試されて生きて行く中で、神の御言葉の確かさを経験して行くのです。そして、真に神の前に生きるということ、神と共に歩む人生のすばらしさ、神の祝福の大きさをというものを確かめ味わいつつ、感謝と喜びに満たされた旅を続けるのが、「レフ・レハー」、「わたしが示す地に行きなさい。」と言う主の御命令ではなかったでしょうか。

3.祝福の約束

主はアブラムに、「わたしの指し示す地に行きなさい」と言っただけではなく、祝福の約束もしました。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪うものをわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」(12:2~3)神様はアブラムに自分の生まれ故郷を離れて、わたしが指し示す地に行きなさいと言いましたが、この主の御命令にはすばらしい約束がありました。それは、「あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源になるように。」と言う約束です。

わたしはいつも思うのですが、どうして神様は、全人類をそして全地球をまとめて、一度に祝福しないで、たったこの一人の人物アブラムを選び、この男だけを祝福されるのだろうかということです。この一人の選ばれた人間によって、この人を通して地上に神の祝福が広がるようにされたのです。そしてアブラムを祝福する者を神も祝福し、アブラムを呪う者を神が呪われるというのです。この一人の男を通して、神の祝福が全地に広がり、彼が全人類の祝福の源となるようにされました。なぜ神様は、このように回りくどい方法を取られるのだろうかということです。なぜ信仰というハードルを置かれたのかということです。誰でも、無条件で神の祝福にあずかるようにした方がいいのではないかと思いました。

それはやはり、本当の神様というお方を知らせるためではなったでしょうか。ご自分の本心をまたご自分の救いの御計画を、正しくこの世に示すために、その模範者として一人の人を選ばれたのではないかと思います。大事なこと、秘密や奥義というものは、一人の人に授けるのが普通ではないでしょうか。そしてその一人の人を選ばれて、神の御心を正しく真実をもって教え、それを行うことによって真の神の祝福と聖さにあずからせようとされたのではないかと思います。そのために、アブラムが選ばれました。そして、わたしたちもアブラムと同じよう信仰の旅をするようにとキリストにあって選ばれたのです。

たとえ行き先が定かではなくとも、悪条件な場所でありましても、人が行きたがらないような場所でありましても、神様は、アブラムを祝福したように、同じように私たちをも祝福して下さるとおっしゃっているのです。この神が祝福された北総の地、それは人々が一人でも多く救われて主の救いにあずかり、神の国がこの地にも拡大して行くことです。この北総の地の祝福の源が、富里教会から始まって行くのです。そのためにここに祝福の基としての教会を造られ、わたしたちを通して神の祝福をこの約束の地カナンに。北総に広げようとされているのではないでしょうか。

4.祈りの祭壇を築く

「アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。主はアブラムに現れて、言われた「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現われた主のために、そこに祭壇を築いた。アブラムは、そこからべテルの東の山へ移り、西にべテル、東にアイを望むところに天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。」(12:6~8)とあります。

カナン地方に入ったアブラムの信仰の始まりは、まず最初に祭壇を築いたことです。カナン地方のシケムのモレという場所にあった樫の木のところまで来ました。すると、そこに主が現われて「あなたの子孫にこの土地を与える。」と言われたのです。この主の御言葉を聞いたアブラムは、その場で、かつてアベルやノアが築いたように主に供え物を献げる祭壇を築いたのです。いわば、そこで主に礼拝をしました。今日でいう神への礼拝の場所を定めたということです。

これは神様がアブラムに言った「わたしが示す地に行け」ということです。カナンの地に入り、そこにはまだ原住民のカナン人が多く住んでいました。異教の神々の礼拝がなされていたでしょう。アブラハムもカナンに来た当初は、周りに多くのカナン人が住んでいました。異教の神々の礼拝がされていたと思います。一体こんな場所で、どこに神の祝福があるのかと疑ってしまうこともあったかもしれません。わたしたちもそうです。関東で一番偶像の力の強い、成田山新勝寺のおひざ元に住んでいます。果たして、こんな土地で福音を聞く人がいるだろうかと思うかもしれません。

しかし、アブラムは自分に語りかけて下さった主のために祭壇を築き、主の御名を呼び求めて祈ったのです。絶えず神の御名を呼び求めつつ、神の御言葉に従って歩む人生です。そのように行く先々で、神のみ声を聞き、そして祈りの祭壇を築くことによって、アブラムはだんだんと神の御言葉を聞くことができるようになって行きました。たとえ失敗しても、神様はアブラムとサライを守り、行く先々で祝福し守ってくださって下さったのです。そしてその都度、その都度、アブラムはこの祭壇の前に立ち帰って、神を礼拝し神の御心を求めて歩んだのです。

「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束して下さった方は真実な方ですから、決してその祝福の約束の言葉をたがえるようなことはありません。わたしたちが主に向かって礼拝を献げ、祈ってゆく時に、主が、一人、二人と救われる魂を起こして下さると信じています。そしてやがて、この北総の地のあちこちにバプテスト教会が建てられ、至るところで多くの人々が主の祭壇を築いて、主の御名を呼び求める日がやって来ると信じています。これが神様の約束ではないでしょうか。神様の祝福の約束ではないでしょうか。(岡田 久)

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