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すべての民を弟子とせよ (マタイ28・18〜20)

メッセージ

2010年4月11日
「すべての民を弟子とせよ」
                  (マタイ28:18〜20)

1. イエスの弟子造り

イエス様はペテロとアンデレの兄弟を弟子としました。それからヤコブとヨハネの兄弟も弟子として召されて、一緒にガリラヤ中を伝道して歩きました。その他にも12人の弟子を召されて、一つのグループを形成して、ガリラヤから始めて、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こうまで伝道されました。このようにバプテスマは、その人の新しい人生の始まりなのです。伝道生活の始めであり、キリストの弟子を造るための出発でもあったのです。

このようにして、イエス様はその伝道の公生涯の始めに、イスラエルの北部のガリラヤ地方に出て行かれ、弟子グループを形成し、神の国の福音について弟子たちに教えられました。イエス様の伝道の生涯の始まりは、このような形をとられましたので、御自分が天に帰ってゆこうとする時に、最後の御命令として、「だから、あなたがたも行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ28:19〜20)と命じられたのです。

イエス様の弟子造りは、まず最初にグループを造ったことです。ペテロとヤコブとヨハネをそのグループの中心におきました。いわゆる三役という中核のグループです。そして、その周りに12弟子を置かれ、一緒に伝道して行動を共にしました。

やはり、弟子を作るにはグループが必要です。そして一緒に伝道して伝道のハウツウを学ぶわけです。そして、私は教会でもそうだと思います。グループを作って、最初はやって見せる、次ぎに一緒にする、そして今度は弟子にさせることによって、弟子が出来て行くのではないでしょうか。もし私たちがグループを造って共同作業をしないならば、自分の仕事場をいつも自分だけでやって、他のメンバーにやらせないならば、果たして、教会で弟子は育って行くでしょうか。

そして、弟子を造るためのキーワードがここに三つ出ております。一つは「あなたがたは行って」という言葉です。二つ目は「父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け」です。そして三番目が「命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」という言葉です。実はこの三つの言葉は、ギリシャ語で見てみますと、全部、「すべての民を弟子としなさい」という動詞にかかる言葉になっております。ですから、行きながら、バプテスマを授けながら、教えながら弟子にしなさいとなります。

2.あなたがたは行って

最初に「あなたがたは行って」という言葉ですが、もし、私たちが出て行かないとしたらどうなるでしょうか。いつもこの教会の中でだけ活動していたら、おそらく自然に、群れの中に序列ができてくるような気がします。弟子たちの中にもそういう誘惑はありました。事実、誰がイエス様の次なのか、ナンバーツーのポストを狙って常に内輪もめが起こってきました。

先週、礼拝に見えられた福岡の古賀教会の高良さんが、全国壮年会ニュースに次のように書いておられました。「壮年は、仕事上の役職であれ、教会の役職であれ、今のポジションに自分が長く居続けることは、後継者の育成に妨げになっているのではと思うことがあります。壮年は自分の後姿をしっかりと後輩に見せ、次の人に道を譲り、後継者育成にあたるべきです。」と。

私たちがもし、この教会だけで、この場所だけで伝道活動をしようとするなら、おそらく、先輩の役員の方がもしかすると自分の役職、ポジションを守ろうとして、新しい後輩を排除しようとするかも知れません。大事なことは、出て行ってその伝道の現場で弟子を造ることです。受付、案内、接客、司会、奏楽、後片付け、テーブルをしまう、ゴミを捨てる、そういう具体的な礼儀作法、動作から訓練し、教育して行きます。手取り足取りして教えて行くことが大事です。そして、できれば自分で成長の時間を持ったり、聖書を読んで祈ったりする生活習慣がつくまで、親身になって訓練する必要があるのではないでしょうか。キチンと自分で御言葉を聞いて、祈りができるキリストの弟子になってから、バプテスマを受けてもいいような気もします。

3.父と子と聖霊の名によってバプテスマを授ける

次ぎに、バプテスト教会は、その名の示すとおり、バプテスマを大切にしてきました。そして、バプテスマが多く与えられる事を目指して伝道して来ました。でも、多くの宣教師が、4人バプテスマを授けても、最後まで残るのは統計的にみて1名にすぎないと、ガッカリして話してくれたのを覚えています。バプテスマの数やバプテスマを授けることが目的ではないのです。また、バプテスマが救いの条件ではありません。主の宣教の目的と御命令は、「弟子を造ること」でした。イエス様が、弟子を造りなさいといっていたのに、私たちは勘違いしてバプテスマをたくさん授ければいいと思っていたのかもしれません。

あの「マスターライフ」という、すばらしい弟子訓練の学びを考案されたエイブリー・ウイリス先生は、インドネシアで14年間宣教師として働かれました。インドネシアでは大きなリバイバルが起こり、何千人という人が信仰決心してバプテスマを受けました。ところが、先生がアメリカに帰国して、再び、インドネシアに戻ってみると、あのバプテスマを受けたクリスチャンはどこへ行ったのでしょう、誰も後に残っていませんでした。先生は大いに落胆しました。でも、そういう苦い経験を経て、やはりバプテスマではなく弟子造りだと、心を入れ替えて造った弟子訓練のテキストが、あの「マスターライフ」だったのです。「キリストの弟子を造ること」これがイエス様の至上命令であり、遺言でもあったわけです。その本の中にこう記していました。「キリストの弟子とは、生涯にわたり、イエス・キリストに対する従順な関係を築いてゆくことである。この関係を通して、キリストの品性が養われ、家庭、教会、社会、世界において神の宣教の業を担う者へと変えられてゆくことです。」とありました。

大事なことはバプテスマの前にすでにキリストの弟子として造られていることです。グループでの交わりや学びを通して、主を受け入れ、毎日静聴の時を持ち、祈りを捧げ、集会でいろんな奉仕をして、他の人を集会に導くことができる弟子をその場で造ることです。一人前のキリストの弟子を造ることです。それからバプテスマを受けても遅くはないような気がします。

4.教えなさい

最後にやはり教育です。「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」とあります。先ほども申しましたが、バプテスマは信仰生活のスタートです。新入生がいろんな科目を学ぶように、私たちもいろんな学科を学ぶ必要があります。今、わたしたちの教会では、バプテスマを受けられてから、「拡大する人生」や「マスターライフ」の学びがありますが、一昔前はあまりありませんでした。バプテスマ前後に簡単な学びをするだけで、あとは放って置かれて、奉仕をさせられたような気がします。

幸いな事に、今はいろんなすばらしいテキストがあります。先週からマスターライフの第二巻の学びが始まりました。カウンセリング講座もあります。「5つの目的」もスモールグルプで始まっています。また、再来週の水曜祈祷会から「誰でもできる伝道」という学びが始まります。もうわくわくしてくるような気がしています。こういう学びは、どんな犠牲を払っても受けられたほうがいいと思います。皆さんが真剣に学び、成長したいと願っているならば、一人一人が輝いてきます。「私をキリストの弟子にしてください」という、有名な黒人霊歌があります。「主よ、心から願います。私をあなたの弟子にしてください。主よ、心から願います。私をもっと愛するものにしてください。主よ、心から願います。私をもっと清いものにしてください。ユダのようにではなく、イエス様のようにさせて下さい。主よ、心から願います。」

こういう思いが、皆さん方の心の中に湧き起こってくるなら、お一人お一人が輝いてきます。そして教会全体が明るくなり、神様の栄光に満ちあふれてくるのではないでしょうか。後で天国に行ってから、皆さんと一緒に昔の地上のことを思い出す時、何が一番楽しかったかと言うと、私はこのような弟子としての訓練と学びの時ではなかと思います。多少苦しくても、真剣にイエス様のこの宣教の御言葉に従う時、そこには何にも変え難い大きな喜びがあると信じています。                        
                                     (岡田 久)

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