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すべての人は罪人です (ローマ3:9~20)

メッセージ

2013年3月3日富里キリスト教会
「すべての人は罪人です」
(ローマの信徒への手紙3:9~20)

1.罪からの救いが基本

さて今日もご一緒に、ローマの信徒の手紙から御言葉を学んでゆきたいと思います。宣教題を「すべての人は罪人です」という題にさせていただきました。
聖書の中に、「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた。』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」(Ⅰテモテ1:15)というパウロの有名な言葉があります。

このように、聖書が告げている言葉は、罪人を救うためにイエス様がこの世に来て下さったということです。そして、イエス様ご自身も「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マタイ9:13)とおっしゃいました。このようにイエス様もパウロも一貫して言っていることは、罪人を救うためにキリストが来て下さったということです。これが、大前提です。ですから、何か自分が教会に行って、正しい人間になり、幸福な生活をすることができるようになると考えている人は、ガッカリするかもしれません。

自分の罪を赦していただくために教会に、教会に行きます。毎週、毎月、罪の赦しを記念して説教がなされ、主の晩餐式を持ちます。そして、クリスチャンになればなるほど、自分こそその最たる者である、罪人の親分だという意識が強くなってきます。自分がイエス・キリストの十字架によって罪が赦されていることを知ることが、人生の最大の幸福であるとダビデも言っています(ローマ4:7~8)。

最近、説教をよく聞く機会がありますが、一番大事な説教の結論という最後のところで、「罪からの救い」ではなく、「ガンジーの平和主義」とか「戦争反対、原発反対、差別の撤廃」となっていて、「罪からの救い」という明確なメッセージがあいまいになってしまっている説教を良く耳にします。もちろん、私たちは平和を誰よりも愛し、戦争とか差別を人一倍憎みますが、その根本に自分も含めて「すべての人は罪人です」という聖書の基本的な教えがなければならないと思います。そして、この罪からの解放が、世界のどんな問題よりも最重要かつ最優先課題ではないかと私は思います。

聖書ははっきりと、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています。」(ローマ3:23)「正しい者はいない、一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ3:10~12)と言っています。これが人間の姿です。

皆さんは、この「全ての人は罪人です」というこの聖書の教えに賛同しますか。この人間の罪という現実から考えるなら、私たちクリスチャンは、福島の人にも、東電の人にも、北朝鮮の人にも、中国の人にも果たすべき責任があります。すべての人に福音を宣べ伝えることです。イエス・キリストの十字架の福音を通して、彼らが一人でもこの呪われた罪の世界から救われることです。そして、この富里の町に住んでいる人も同じように、果たすべき責任があります。わたしの団地の方々が、町内会の人々が、一刻も早くイエス・キリストの十字架の福音によって、罪から救われることです。そして、そのような祈りが必要です。

2.人間の罪の現実

わたしは戦争映画を見るのが好きです。どうしてかと言いますと、そこには人間の本当の姿、どうしようもないくらい残虐で、悲しい人間の憐れな姿がリアルに描き出されているからです。ある映画を見ましたら、若いアメリカの青年がベトナムに送り込まれる前に、戦闘訓練を一年間受けるという物語でした。上官が、あまりにも汚い言葉で、若い兵士をしかりつけ、ベトナム兵に対する憎しみや悪口を大声でたたき込み、だんだん兵士の良心も人間性も奪い取って行くようにして訓練しました。そして最後には、ロボットのように何も考えないで命令に従い、平気で人を殺せるようになるまで訓練されました。

私は、この映画を見ながら、ローマ書3:13~18の言葉が、頭の中に浮かんできました。「彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への恐れがない。」兵士が、完全に武装して、隊列を組んで、軍靴を鳴らしながらザックザックと行進する様子は、まさにここに書かれたとおりの姿です。破壊と悲惨のために突き進み、人を殺して血を流すことをその使命とします。これが人間の真の姿だとパウロは言っています。神を畏れない、まさに罪人そのものの姿が、このローマ書に連綿と書かれています。

そして、国のためにと言って、町を破壊し、市民や女子供を殺し回るわけです。これが戦争の実態であり、人間の現実の姿です。先ほどの、戦争映画の結末も非常に悲惨なものとなりました。悪口雑言で自分の人間性も奪われ、相手を憎むことだけを徹底的に教え込まれ、殺人マシーンになった彼は、その訓練部隊を卒業する前に、戦場に行く前に、自分を罵声で訓練した上官に、敵意を煮えたぎらせ銃で打ち殺してしまいました。そして、自分も自殺してしまったのです。

人間の口から出る悪い言葉が、相手を殺し、そして自分自身まで殺してしまったのです。今日でも、軍隊では自殺者が後を絶たないと言われています。そしてすべての人は、この罪の鎖に縛られてどうしようもできずに、呻き苦しんでるのです。一体誰がこの罪の連鎖から、そしてこのサタンの束縛から解放してくれるのだろうかと叫び声を上げています。

3.どうしたら罪を知り、救われるか

すべての人は罪人だと解っても、自分がその最たるものであるという認識、自覚を持つことはできるでしょうか。パウロは、ユダヤ人に対しては、律法を通して、罪の自覚を生じることができると言っています。律法は、自分がそれを守っているということを意識させるものではなく、むしろ自分が律法の命じるところに従い得ない者であるという自覚を持たせるのがその役割であると言っています。20節に「なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」と言っています。律法は、私たちの心の中に眠っている罪を呼び覚ます、呼び水のような働きをするとも言っています。(ローマ7:7~8口頭で説明)

また、律法を持たない異邦人は、自分の良心の呵責という心の働きを通して自分の罪を知ることができます。ローマ書に1:29節以降に、人間の20の罪が述べられています。「不義、悪、むさぼり、悪意、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念、陰口、そしり、神を憎むこと、人を侮ること、高慢、大言、悪事、親に逆らう、無知、不誠実、無常、無慈悲」です(聖書を開いて全員で読む)。これらを行うことは死に値すると言っています。この20の罪を、わたしはこんなことは一つも行ってはいないと、神の前に胸を張って言える人はここにおられるでしょうか。

陰口を言ったことがないと言う人はいますか。いないと思います。人を侮り、高慢になって自分を誇ったことなど無いと言い得る人はいるでしょうか。このようにして、ユダヤ人であるパウロも、そして律法を持たない異邦人である私たちも、わたしには罪がない、わたしは罪人ではないと言い張ることのできる人はいないと思います。誰も主の前に、自分の完全さを主張し、弁明できる人はいないと思います。

ヤコブ書(1:23~25、P.422)にこう書いています。「御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。」

御言葉の鏡に、常に自分の姿を映し出すことです。つまりいつも御言葉を目の前において、女性が、朝に夕に、そして出かける時にいつも鏡の前に座るようにして、自分の本当の姿を映し出すのです。そして、少ししみが出て来たなとか、顔色が良くないなとか自分の汚れを、鏡である聖書を通して知ることができます。最初はぼんやりとしか映らないかもしれませんが、そのうちにしっかりと自分のしみもしわも映し出しますから、それを素早く手入れをしてしっかりとファウンデーションを塗って汚れを隠すことができるようになります。

人々の前に罪があるということよりも、まず聖書の神の前に自分はどうなのかということを問いただすことです。そうすれば誰も神の前には、正しいと言える人はいないのではないでしょうか。人間は自分では自分の罪を知ることはできません。この聖書の光に照らされて、初めて自分の陰の部分を知ることができるようになります。そしてこのどうしようもない自分の闇の部分、肉の部分に打ちひしがれて自分自身に絶望する時に、そのような罪人をも無償で救って下さる、神の義であるイエス・キリストの十字架を仰ぐのではないでしょうか。

全ての人は例外なく、神の前では罪人です。そしてイエス・キリストは、この罪人を救うためにこの世に来て下さいました。この言葉は真実で確実で、そのまま受け入れるに十分な価値を持っている言葉です。これはすべての人に救いを得させる神の恵みのしるしです。誰でも自分の罪を認めて主を信じるならば、罪赦されて神の前に義とされます。そして永遠の命にあずかることができるのです。今日は恵みの日、救いの日です。この主の恵みの招きに応えるものとなりましょう。                      (岡田 久)

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