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この世の有様は過ぎ去る (Ⅰコリント7:25~35)

メッセージ

2013年7月28日富里キリスト教会

「この世の有様は過ぎ去る」
(Ⅰコリント7:25~35)

1.現状にとどまる

「未婚の人たちについて、私は主の指示を受けてはいませんが、主の憐みにより信任を得ている者として、意見を述べます。今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。」
                   (Ⅰコリント7:25~28)
パウロは、17節のところで、「おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。」と命じています。割礼を受けている人はそのままで、また奴隷の身分の人は奴隷の身分のままで、神の前にとどまっていなさいと勧めています。信仰に入ったから、クリスチャンになったからこうしようとか、無理に理想の生き方をする必要はないのです。信仰とは神様の御計画に自分を委ねることだからです。自分の理想や希望ではないのです。たとえそれが、信仰上のことでありましてもです。

自分が召された時のままで、その時の身分のままで、現状にとどまっていなさいとパウロは勧めています。もしその人が結婚していなかったら、無理に結婚して一家を構え所帯を持って、一族のために財をなそうとか、名をあげようとかとする必要はないのです。決して結婚していないからと言って、その人が半人前だとか世間知らずだとか、人生の幸福から外れているとか、今風で言うなら名「負け組」だとかということは一切ないのです。

ただ大事なことは、早く結婚しなさいとか独り身は良くないということは教会においては決して存在しません。大事なことは、結婚していようがいまいが、一人一人が品位ある生活をして、ひたすら主に仕えることなのです。結婚した方が、主の働きのためにプラスだと思ったならば結婚すればいいでしょうし、独身の方が働きやすいと思ったならば独身のままでいなさいということなのです。結婚を人生の一大イベントと考えたり、人生の目標と思ったり、人生の幸福のスタート地点だと思う必要はまったくありません。

1.時は縮まっている

それはやはり、時が近づいているからです。主の再臨の時が近づいていますので、クリスチャンはあまりこの世に深入りしないで、やがて来たるべき神の国のために品位を保って昼歩くように、つつましく歩むことが求められています。
同じような言葉が、7:26にもあります。「今危機が迫っている状態にあるので・・・」とあります。今は危機が迫っている状態なのです。また、同じ個所の7:31には「この世の有様は過ぎ去るからです。」とあります。今日取り上げましたⅠコリント7:25節以降は、未婚の男女に対するパウロの勧めの言葉なのですが、これから若い方々はどのように人生設計をして行けばよいか、また結婚という差し迫った課題をどう考えて行けば良いかについて、パウロなりに自分の信仰と経験から、聖霊に導かれてアドバイスしています。

7:29節から読んでみましょう。「兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。」

つまり「定められた時が近づいている」とか、「時が縮まっている」という表現は、主の再臨の時がいよいよ近づいているということです。何か全く新しい時代が起こる、今やその時が差し迫っている時なので、あなたがたその危機の時に備えて、身軽にしていなさいということではないかと思います。今私たちが生きているこの時代この世界は過ぎ去ってしまうものだから、あまりこの世界に深入りしてはいけないというのです。

東西ドイツが統一されるとか、ソ連邦がなくなるとかという社会情勢の変化以上に、全宇宙が新しくなる時が来るのです。(この間の3.11の津波以上のもっと大きな天変地異が起こるということです。)世界規模ではなく宇宙規模での変革が起こるような時が近づいているのです。そこに目を注ぐ時に、おのずとクリスチャンとして自分がなすべきことが見えてくるのではないでしょうか。

この世のことは、やがては過ぎ去るのです。危機的にまで、そのような時が近づいているのです。主の再臨の時が迫っているというのです。これが時が縮まっているとパウロが言った言葉なのです。「時」という言葉は、「溶ける」という言葉からきているとある文学者が行っていました。つまり、鉄の融点が約1500°Cだとしますと、現在は1490℃まで温度が上がっていて、あと10℃上がると一気に鉄が溶けだすように、現代社会も今はこのままの原形をとどめていますが、あと数年すると一気に世界が溶けるような事態が起こるのです。その決定的な瞬間がすぐ近くに迫っているというのです。だから今は危機的な状況であり、その決定的な瞬間が目の前に近づいているというのです。

ですから、私たちはその時を見つめて、いつでも鉄が溶けるような決定的な瞬間がやって来てもいいように、信仰を持って目を覚まして準備していなさいというのです。それが今のこの危機的な時代に生きている私たちの生き方だというのです。その決定的な瞬間が間近に迫っている、そのことをパウロは「時は縮まっている」と言ったのではないでしょうか。

ですから、パウロは、「結婚している人は、結婚していない人のように、いつでも主の言葉に従えるようにしていなさい、夫婦関係というものは過ぎ去るものであり、この世にあって主に仕えるための仮の姿であるから、もっと身軽にしていなさい。また、人生の喜怒哀楽に左右されないで、そのようなことからは覚めていなさい、この世の喜怒哀楽に流されてはいけない。家や車や土地を買ったりして財産をもっている人も、ホームレスのように無一文のような生き方をしなさい。この世のものに心を奪われないようにしなさい。なぜなら、この世の有様はすべて過ぎ去るからです。」(7:29~31)

3.品位ある生活をしてひたすら主に仕える

7:35節に「このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。」とあります。教会では結婚しない方がよいとか、独身の方が良いとかという意見に対して、パウロに対する誤解が出て来たのではないかと思います。確かにある意味では厳しい指導です。ここだけを読んだら、若い人は誰も教会に行かなくなるかもしれません。

しかし、パウロは決して、皆が独身主義を守って修道院にでもいるかのようにして信仰生活を送ることを良しとはしていませんでした。そうではなく、いろんなこの世のことに束縛されて、肝心の教会生活や奉仕がおろそかになってしまうのなら、独身の方がいいと言ったまでであって、いろんなケースがあるということです。ようは、一人一人が品位ある生活をして余念なく主に仕えることができるということが、この危機的時代の中にあってクリスチャンとして生きる最善の道だというのです。

この聖書では、「品位ある生活」とありますが、他の聖書では「秩序ある生活」とか「正しい生活」となっています。夫婦が同じ方向を向いて、同じ目的をもって共に主に仕えることです。また結婚していようがいまいが、主に仕えるということにおいてはどちらでもいいことではないでしょうか。サタンの誘惑や性的な問題で、主に仕えるということが妨げられないように、結婚した方がよければそのようにしなさいというのです。しかし、それでもやはり、教会に仕え主に仕えるという一番大事なことをおろそかにしては意味がありません。

大事なことは、現状のままでいなさいということです。自分が救われた時のままで、あるがままの自分で、現在置かれている状況の中で精一杯教会に仕えて行きなさいということです。「天国とは 神の恵みに生かされつつ 感謝をもって あるがままを生きること」です。大切なことは、今の状態で、主の御言葉に生き、正しい品位ある生活をして、ひたすら主に仕えて行くことではないでしょうか。                         (岡田 久)

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