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あなたには弁解の余地がない (ローマ1:18~23、2:1~6)

メッセージ

2013年1月27日富里キリスト教会
「あなたには弁解の余地がない」
(ローマの信徒への手紙1:18~23、2:1~6)

1.人類の罪

今日の聖書箇所のローマ書1:18から読んでみましょう。「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界がつくられたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地はありません。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。」(ローマ1:18~21)

パウロは、神を知らない人間は一人もいないと言っています。人類はなに人であろうがどこに住んでいようが、聖書を持っていようがいまいが、すべての人は被造物を通して神を知っていると言っています。空や、海や、森の木々、小鳥、野の獣、昆虫や虫のいたるところに神の創造のみ業を見ることができるのです(これを自然啓示という。啓示とは神の側から人間に自分を啓(ひら)き示すこと)。しかし人間は、神が存在すること、神がこれら自然を造られたことを知りながら、神に対して感謝も礼拝もしないしないというのです。

そして、創造者なる神ではなく、神が造られた被造物(動物や植物など)を神として拝んでいるというのです。その結果、どういうことになっているかと言いますと、24節以降を読んでみましょう。「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた者を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男同士で恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。」(1:24~27)

今日神の摂理であるこの男女関係さえ、不自然なものに変えてはばからず、そのことを奨励さえしているような社会の風潮があります。その後29節以降に、20の人間の罪が述べられていますが、最後の32節でこう言っています。彼らの罪は、「このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為も是認しています。」自分たちがそういう悪いことをするだけではなく、他の人がそういう悪いことをするのを認めているというのです。

ここに、今日の宗教的な退廃と社会の混乱があるような気がします。本当の神を知っていながら、あえて神に逆らうような不義の道に突き進んでいるわけです。ですから、すべての人間は神の前に、もはや弁解の余地はないと言っています。神を知らないのではなく、知ろうとしないこと、そして、自ら造り主なる真の神に背を向け、ご利益的なこの世の神々を愛し、それを良しとして是認している人間、彼らにはもはや、弁解の余地も言い訳もないというのです。

2.人を裁く者の罪

そして、そういう罪人である人間を裁く者に対しても、同様の神の怒りが向けられていると述べています。2:1から読んでみます。「だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。」(2:1~3)

偶像礼拝にふけり、神を神とせずに空しく生きている人々を見て、おそらく、ユダヤ人は「あの異邦人たちは、神に必ず裁かれる。」と考えたに違いありません。あるいは、偶像礼拝をしている者を軽視しよう差別しよう、我々には律法があるし、自分たちの方が優れている民だからと考えたかもしれません。私たちも、このような人を裁くということに気をつけなければなりません。

さらに、9節から読んでみます「すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも、苦しみと悩みが下り、すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシャ人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。神は人を分け隔てなさいません。律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。」(2:9~12)

この律法を聖書に置き換えてみますと、たとえ、聖書を持っていても、クリスチャンですと自称していましても、悪を行えば、苦しみと悩みが下り、罪を犯せば裁かれるということです。神様は、わたしたちの心の中の罪を決して見逃される方ではありません。いやむしろクリスチャンであればあるほど、そうでない人よりももっと正しい行い、聖い心が要求されるのではないでしょうか。

11節の「神は人を分け隔てなさいません。」という言葉と、8節の「神はおのおのの行いに従ってお報いになります。」という言葉は大切な言葉です。そして、たとえ律法を持たない異邦人でありまして、神はその人の心に律法の要求することをちゃんと記されていて、人間の良心がそのことを証していると言っています。(2:15~16)つまり、神は、未信者であろうが異邦人であろうが、ユダヤ教徒であろうが、キリスト教徒であろうが、その人の行いによって正しく公平に裁きをされるということです。裁くのは神様であり、私たちではないのです。

3.悔い改めることの大切さ

ただ、わたしたちが救われたのは、そして今日あるを得ているのは、ただ、ただ、自分の罪を悔い改めて主を信じたことでした。わたしは、今回この箇所を学びまして、何と自分は今まで、他の人を裁いてきたのだろうかということに気付かされました。あの人は本当の神を知らない、聖書を全く理解していない、信仰が解らない、まだ信じないと、自分以外の人を片っ端からバッタバッタと切り倒してきたような気がします。しかも、自分の聖書の御言葉を持って。
実に聖書の神の言葉は、相手を切るには見事にその切れ味を発揮します。でもこの聖書の言葉は、他人ではなく自分に当てはめるべきものです。

果たして、この人間の罪の現実を示す言葉を自分に当てはめてみたことはあっただろうかと考えました。自分はどうなのか、1:20の「不義、悪、むさぼり、悪意、妬み、殺意、不和、欺き、邪念、陰口、そしり、憎しみ、侮り、高慢、大言、悪事、親に逆らう、無知、不誠実、無常、無慈悲なこと」が全く身に覚えがないと言うことができるだろうか。いやこの中にも自分が犯してきた罪はある。それにもかかわらず、自分は他の人を片っ端から裁いて来たのではないだろうか。神の怒りを自分の頭に積んでいるのは、わたしではないだろうかと思わされました。

神様は、わたしたちが自分の罪に気がついて、悔い改めることを待っておられるのではないでしょうか。それは、ユダヤ人だろうが、クリスチャンだろうが、まだ神を信じていない人だろうが皆同じです。すべての人が罪を犯したあのアダムの子孫だからです。区別はありません。義なる神の前には、どんな人でも胸を張って、私は正しい人間ですと言い得る人は一人もいないでしょう。誰であれ、自分の罪の汚れに気がついて一日も早く、悔い改めることです。

あのカルバリの十字架の時には、弟子たちでさえ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行きました。誰一人イエスをかばい、一緒に十字架についたものはいません。この十字架の前には、何人と言えども、かかわりがないと言い得る人間はいません。自分は正しいと言い得る人はいません。ただ、そういう罪深き私たちのために、主は十字架に身代わりにかかって下さり、罪の贖いと成し遂げてくださいました。たとえ裁かれるような私たちであっても、主は十字架の上で、罪を贖い赦し義としてくださったのです。ここにわたしたちの救いの根拠があります。これが神の真実であり、神の義なのです。

信仰とはこの義なるイエス様を、心に受け入れることです。イエス様と個人的な関係を持つということです。これが「信仰による義人は生きる」(ローマ1:17)ということです。そしてこのよう生き方は、初めから終わりまで、一貫して信仰によって成し遂げられるのです。信仰は生きています。絶えず新しくされてゆきます。信仰から信仰へと成長して行きます。信仰とは、絶えず悔い改めることです。聖書にも「熱心に悔い改めなさい。」(黙示録3:19)と記されています。

わたしたちは、自分を顧みるならば、誰も主の前に立つことができないものであります。神様の前に何の弁解も言い訳もできないものです。ただ、イエス様だけが、あの十字架の上で、私たちのために父なる神様に弁解をして下さっておられるのです。このお方が、聖霊様と一緒になって、わたしたちのためにとりなして下さっておられるのです。たとえどんなに私たちの罪が重くても、拭いきれないほどのものでありましても、主は私たちの代わりに神の怒りとその罰を、十字架の上でご自身の身に受けてくださいました。それは主を信じる者が、滅びることなく信仰によって義とされて永遠の命にあずかるためなのです。今も私たちのために、十字架の上でとりなしていて下さる主イエス・キリスト様の尊い贖いの業を心からあがめ感謝しましょう。       (岡田 久)

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