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あなたがたは神の神殿です (Ⅰコリント3:10~23)

メッセージ

2013年3月17日富里キリスト教会
「あなたがたは神の神殿です」
(Ⅰコリント3:10~23)

1.神殿の土台を据える

「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築士のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように立てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」
                  (Ⅰコリント3:10~11)

建物は、基礎となる土台が大事です。そして、教会と言う共同体の土台は、イエス・キリストであるとパウロは言っています。このイエス・キリストと言う土台を無視しては誰も教会を建て上げることはできません。ところがコリントの教会では、この土台石がイエス・キリストではなく、パウロとかアポロとか伝道者がいつの間にか信徒の土台石になってしまっていました。

しかもパウロは、このイエス・キリストの十字架の言葉が土台石であると言っています。それは、「イエス・キリストは私の罪のために十字架につき、三日目に甦られた。そして今も私たちと共におられる」という教会の信仰告白です。このイエス・キリストの十字架の言葉なしには、教会はそのよって立つ基盤は他のどこにもないのです。

戦時中に、日本が戦争に勝つようにと言う軍部の命令によって、礼拝堂の十字架の横に、天皇陛下の御真影が掲げられて、イエス・キリスト様と一緒に天皇陛下も神様として礼拝するように強要された時代がありました。二人の神様を礼拝したわけです。また、戦争に勝つためには、お寺も神社もキリスト教も一体となって祈る必要があるということで、礼拝堂の表面に「南無キリスト大明神」という垂れ幕を掲げて、戦勝を祈願していた教会もあったとや聞いております。

こうして、いとも簡単に、教会の土台であるイエス・キリストの他に、別の神々や仏様が立てられて礼拝をするようなことが起こりました。私たちも、しっかりと目を覚ましていないと、いつの間にか、教会の台所に成田山のお札が張ってあったり、新勝寺の豆まきに行ったりしかねません。私たちは、どんなことがあっても、十字架につけられ、私たちの罪の贖いをしてくださった神を、ないがしろにすることはできないと思います。パウロはそのために、コリントの信徒に宛てて手紙を書いて何とか、彼らの信仰を励まそうとしていました。

2.祈りの家としての神殿

「この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その日はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。」
                      (Ⅰコリント3:12~15)
「かの日」と言いますのは、神の最後の審判のことです。最後の裁きの時には、火が現れて、それぞれの仕事を吟味検査すると言っています。そうしますと、おそらく、木や草やわらで作った建物は、おそらくこの最後の審判の炎の前には持ちこたえられないのではないかと思います。物理的にも焼け落ちてしまいます。しかし、金銀、宝石でしたら、審判の火が下って来ても、そうたやすくは焼け落ちることはないのではないでしょう。

神殿とは、もともと神様と人間がお会いする場所です。この神殿の至聖所に、大祭司が年に一度だけ、雄牛の血を贖罪所に注いで罪の贖いの儀式を行うことになっていました。まさに、神と人間が会見することのできる唯一の場所だったのです。ところがイエス・キリストがご自分の血を注ぎかけることによって、全人類の罪の贖いの儀式がなされ、だれでも信仰を持って無条件で目に見えないイエス・キリストと言う神殿を通って、神との会見の恵みの場に行くことができるようになりました。それが、私たちの祈りの場において実現しているのです。

パウロは、キリストを信じる私たちも、神の神殿であると言っています。つまり、私たちの体は、ただ単に住まいだと言ってはいません。パウロは3:16で「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちのうちに住んでいることを知らないのですか。」と言っています。また、同じコリント前書6:18でも、「みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがた、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(6:18~20)

パウロは、あなたがたの体は、普通の体ではありません。また、普通の住まいというものでもありません。神の霊の宿る聖なる神殿だというのです。ここに今朝は20戸の神殿が集まっています。そしてこの個々の神殿が集まって一つになって礼拝する時にも、この群れの真ん中に神の霊が宿り、さらに大きな神の神殿となるのです。いかがでしょうか。こんな私さえも神の聖なる神殿だと言って下さっているのです。この神の神殿である体が、いかがわしいところに出入りできるでしょうか。むしろ、神の神殿として、いつも昼歩くようにして良いことに励み、絶えず祈りながら、祈りの香をたいて歩むのが神の神殿である私たちではないでしょうか。

コリント教会に関して言えば、パウロはこの教会の信徒を、木や草やわらだとは考えていなかったように思います。確かに、分裂と仲間割れ、偶像礼拝、不品行や不倫問題から抜け出ることができなかったり、信徒同士の裁判問題を抱えていたり、神の神殿とは程遠いような問題教会ではありました。今にも崩れそうな、ちょっと火がつけばメラメラと燃え尽きてしまいそうなわらの教会のようでもありました。しかしそれでも、パウロは、「あなたがたは神の霊の宿る神殿です。」と言って、彼らの信仰的な自覚を、何とか呼び覚まそうとしていたのではないかと思います。

先週祈祷会でローマ書の「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み出すことを知っています。そしてこの希望は決して失望には終わりません。」(ローマ5:3~5)と言うパウロの言葉を学びました。このように、コリントの兄弟姉妹は必ずや、かの日には、燃え尽きるのではなく、非のうちどころのない完全な神の神殿として、主の前に立つに違いない、いや真実の神がしっかりと最後まで支えてくれると言う確信をもってこの手紙を書いたのです。

3.愚かな者の祈り

最後に、16節からの御言葉を読んでみましょう。
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちのうちに住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿です。誰も自分を欺いてはいけません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。」(Ⅰコリント3:16~18)

私たちを一つにつなぎ合わせるのは、この世的には愚かな考えだとみられている十字架のイエス・キリストこそが、私たちをしっかりと結びつけるものなのです。文化や教養は、一見繋がっているように見えても、かの日の炎には燃え尽きてしまいますから、「そんな愚かな考えはかなぐり捨てて、ばかになりなさい。」(現代訳)と言っています。また、こうも言っています。「私たち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。」(ローマ15:1~2)

「ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。」(3:21~23)これはすごい言葉だと思いませんか。

教会のためにパウロ先生もアポロ先生もペテロ先生も与えられているというのです。この世界も教会のものですと、言っているのです。人間の生き死にも、教会にその権威が与えられているというのです。また今、全世界で起こっている出来事、そしてこれから起こることもすべては教会に委ねられているというのです。どうしてか、それは私たちが神の霊の宿る神の神殿だからです。私たちが心を一つにして祈ることにおいて、すべてのことが神から与えられているからです。なぜなら、「一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものだからです。」(3:23)

これが私たち、神の神殿に与えられている最高のすばらしい特権です。私たちの教会の心を一つにした祈りに、全世界の運命がかかっていると言っても過言ではありません。わたしは、いつも誇りに思っていることは、富里教会は礼拝に出席している人の半分が、毎週、祈祷会に集まって来て祈っていますとうことです。これは神様から与えられたすばらしい恵みです。祈りましょう。すべては主にあって、祈りを通して私たちのものですから。礼拝で、祈祷会で、教会学校で、スモールグループで一人一人の朝の静聴の時に。  (岡田 久)

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